重要タイトルで振り返る捏造ドイツボードゲーム20年史(part1)

「歴史的重要性の観点からわたくしが勝手に選ぶこの20年の代表的ボードゲーム(欧州系システム限定)。モダンアート・カタン・エルグランデ・フィレンツェの匠・プエルトリコ・キャメロットを覆う影・ケイラス・ドミニオン・七不思議。みんなもやってみよう。みんなって誰だ?」

ボードゲームの歴史、特に現代史を考えることは重要なことだと思うのですが、重要なことだとは思っていても知らないものは知らないし教科書もでていない。のでおしまい、というのは少々後ろ向きすぎるようにも思えるので、とりあえず現代史を捏造してみるところから始めましょう、というお話でございます。「みんなもやってみよう」というのは、みんなもここに挙げたゲームをやってみよう、という意味ではなく(いや基本的にここに挙げたゲームについては未プレイならぜひ遊んでみるといいとは思いますけども)、みんなも勝手に歴史的重要性の観点から代表的ボードゲームを挙げてマイ現代史を捏造してみよう、という意味であります。捏造の山から正史が立ち上がることもあるかもしんないというポジティブシンク。根拠無いけど。

なんで20年で欧州系限定かというと、その範囲を外れると捏造しようにもなんも知らないので書くことがない、というのが理由のほとんどです。残りの理由としては、たとえばこの20年で欧州系限定をはずしてしまうとどうしたってM:TGに触れざるを得なくなり、そうするとM:TGと並べて恥ずかしくない程度の影響力を持ったボードゲームってこの20年ではカタンだけなので、ちょっとやりたいことと違ってきちゃう、というのがあります。レンジが30年だとウォーハンマー、40年ならD&D、50年だとタクティクスみたいな初期のウォーゲーム、とかまあいろいろあるんでしょうけど、よく知らないのでとにかくこの20年、「欧州系」限定です。正確に言うと「欧州系以降」限定。つまりドミニオンは冷静に考えてみると欧州系と言えるための条件を殆ど満たしてないけど当然入れるからね、という宣言です。


モダン・アート | 1992

欧州ボードゲーム20年偽史をモダンアートから始めるというのは何かたいへん意義あることのような錯覚を覚えて書いてる方としてはちょっとした興奮があります。というのは、「欧州ボードゲーム20年史」というのはほぼ「ドイツ・ファミリーストラテジーの興隆と衰退、そしてその後の展開」に等しいわけで、その書き出しというのは何をもってドイツゲーム・ルネッサンスの始まりと定義するか、につながります。そこでたとえばカタンを出してくるという態度があり、あるいは20年縛りを無視してスコットランドヤードという手もある(というか、「スコットランドヤード(1983)」を始まりと定義するのであれば、お題のほうを「30年史」に変えるわけです)。その中でクニーツィア、それもモダンアート。含意はふたつあり、「ドイツゲーム・ルネッサンスの時代とはそのまま競りゲームのルネッサンスの時代と言い換えることが可能である」ということ、そして「ドイツ・ファミリーストラテジーの最も大きな主題は、クニツィア的なるもの、であった」ということです。

特に前者については、競りゲームの歴史ははっきりとモダンアート以前・モダンアート以降に分けることができます(もちろんクーハンデル(1985)みたいな例外はあるにせよ)。全てが競りだけで構成され、あらゆる行動が価格付けという言語によって構成されるゲームでありながら、しかしその言語によって行われることは必ずしも単なる価格付けだというわけではなく、むしろ本質的にはプライシングというよりも空気の形成に関するゲームである。クニーツィアはこのモダンアートにおいて、競りというシステムをミニマルに用いることで、競りというだけに留まらない複雑な味を持たせることに成功しました。これにより、九十年代のボードゲームにおいて競りは第一級のゲーム要素に格上げされ、クニツィアがリファレンス的なゲームを同時期にいっぱいつくったこともあり、やたら数多く出回るようになります(各作者の名誉のために、その多くが十分に遊べる水準を保っていた、ということは付け加えておくべきでしょう)。また、ここで提示されたミニマリズムも、その後のドイツゲームにとってひとつの規範をもたらしました。そしてこの「競りとミニマリズム」によって退潮したボードゲーム要素というのも確実にあり、それはたとえばダイスだったりイベントだったりするわけで(直接戦闘は八十年代の時点でドイツではマイナーになっていました)、そういう新たに追加された要素と退潮していった要素とが九十年代、つまりドイツ・ファミリーストラテジーの時代を形作ることになったのでした。

 そうすると今度は、この時代がどこで終わったのか、という話になり、これも当然いろいろキーイベントを挙げることができるのですけども(後述するいくつかのゲームの登場なんてのは分かりやすい例ですね)、今述べたような競り史観=クニツィア(レスク)史観を採用するのであれば、1999年のスティーブンソンズロケットか2003年(だっけ)のアメンラーというのが分かりやすい終わりの始まりと言えます。前者はクニツィアが初めて狙って作ったゲーマーズゲーム、後者はそれがDSPを獲得した、というイベントです。何なら2008年のケルトを、ドイツ・ファミリーストラテジーの時代への別れの挨拶、という扱いで見ることだって可能でしょう。ああいうミニマリズム的な45-60分クラスのゲームが大箱で並ぶようなことは本当に少なくなりました。

※追記:タージマハル(2000)というのもあるのですけど、あれはどっちかというとチグリス・ユーフラテス(1997)と同じ系統、つまり「できちゃった」ゲームなんじゃないかなーと。ポーカー狂いのクニーツィアがうっかり産み落とした危険なドイツ・ゲーマーズゲーム。



カタン | 1995

ドイツゲームの象徴をなにか1つ、という条件だったらふつうはこのゲームを挙げますわね。少なくとも商業的には、ドイツゲームの時代というのは完全にカタンの時代とイコールです。その後10年、ドイツゲームが生産される基盤そのものを作ったゲームですから、当然歴史的に見てこの20年で最も重要な作品でございます。

システム面から言えば、ファミリーストラテジーにおいて許される複雑さの上限を再定義した作品というのがまず第一に来るでしょう。カタンというのは玩具屋で平積にされて売りに出るメジャーな作品としてはかーなり複雑なルール構成のゲームで(いやヴェルニサージ(1993)十分複雑じゃね、とか言わんように。あれは五千部しか出てません)、これが大ヒットしたことで、ここまではやってOKとなった。もちろんこれはちょっとずれた認識で、ルールの複雑さとユーザが遊んだ事後の印象としての複雑さとゲームの難度はそれぞれ別のことである、というのが本当のところなのですが、ともあれルールの複雑さについてはここまでOKになりました。と。このゲーム自体は別にゲーマーズゲームじゃないんですが、システム面でも「ゲーマー」が産まれるきっかけになったゲームとは言えます。
なんか口調が煮え切らないんですけどこれは何故かというとですね、よく言われることだと思いますが、このゲームって各パーツを抽出してみると全然九十年代ドイツ風ファミリーストラテジーじゃないんですよね。まずルールが複雑なことが第一に挙げられますが、それよりも重要な点があって、それはドイツゲームの系譜のどこかに位置づけることがかなり難しいシステムだということです。カタンの先行作品として良く名前が出てくるゲームって"Borderlands (1982)"と"McMulti (1974)"だと思うのですが、どっちもアメリカのゲームなわけです。そして後に続くゲームはないと。んでこれは外側から見た言い方ですが、内側から同じ事を言うなら、何より全面的なダイスの採用と堂々たる特殊能力カードの運用。特殊能力カードはその後もなんとなく残っていくことになりますが、ダイスを好んで大箱に突っ込むデザイナーはたぶんトイバーが最後の一人で、トイバーが一線から引いたら本当にダイスはメインストリームから消えてしまいました。ドイツゲームが終わった現在になっておずおずとダイスの再定義が始まっていますけれども、第一級の要素として復帰するのは(あったとしても)だいぶ先のことでしょう。トイバーは当時の基準で考えるとダイス的な乱数を本当に愛した人で、ことあるごとにダイスやらルーレットやらを、結構アクロバティックな方法で取り込んでいます。90年代にダイスを用いるにはここまでやらんと駄目だったですか、ダイス末期ですしねえ、という印象もありますけど、ただたとえばこのカタンが代表例ですが、トリッキーかつ全体から浮かないような使い方でありながら、プリミティブなダイス勝負感覚、つまりあの「この目を出したんぞオラ」なオカルト、そういうものを大事に残しているんですね。最後の一人だけあってダイスを使うのが最も巧かった人だと思います。

そして、これは功罪半ばするところですが、交渉要素の大幅なカジュアル化、というのもこのゲームの残した大きな影響と言えるでしょう。モノポリー(1933)からディプロマシー(1959)を経て延々と続く交渉=鉄火場論。カタンはそういうのと関係のないところでプレイヤー間の交渉をメインストリームのユーザに提示し成功しました。そして鉄火場的な交渉ゲームはその後完全に立場を失いました(いや、これは割と恨みがましい嘘が混じってますけど)。この流れを決定的にしたのはローゼンベルクの衝撃的なデビュー作「ボーナンザ(1997)」で、この二作によってドイツにおける交渉とはそういうことです、というスタンダードが形作られました。前述のアメリカからカタンへという話と組み合わせると、カタンが行ったのはドイツゲームとしての要素を入れ込むというよりは、アメリカのゲームを象徴する生臭さをアメリカのゲームから取り除くことだった、というように言っても良いかもしれません(ただ、そう言ってしまうと後継者がKeyaertsということになってしまい、それはそれで違和感があるのですけども)。

※一応追記しておきますと、これはあくまでカタン単体の話であって、トイバーが常にソフィスティケイテッド・アメリカの人だと言いたいわけではありません。というより、「カタン」シリーズを除けば、トイバーはほぼ常に王道ドイツの人で、それも1997年版レーベンヘルツを除けば王道ドイツ・ファミリーストラテジーの人だと言えます(前述のとおりヴェルニサージはゲーマー寄りですが)。



...すぐ終わると思いきや意外にも全然先に進まないのでここで切ります。続きは近いうちに。


追記(10/12): あーキャメロット抜けてたー。というわけで足しました。決して個人的にはそこまで好きじゃなくて書くのめんどくさいからこっそり削ったわけではー。
[PR]
by Taiju_SAWADA | 2011-10-12 00:34 | 感想・紹介
<< 重要タイトルで振り返る捏造ドイ... のいのわーる(未テスト創作) >>