重要タイトルで振り返る捏造ドイツボードゲーム20年史(part3)

プエルト・リコ | 2002

プエルトリコがDSPを獲った瞬間はそのままイコール「特殊能力対戦物がドイツにおいてOKになった瞬間」であると言えます。プエルトリコが何で面白かったかという話であれば、独特かつ効果的なフェーズ選択システム(と積荷ルール)によって形作られる「遅延をめぐる攻防」にまず触れる必要があり、このゲームにおける特殊能力の面白さはそれが前提になっているわけで、特殊能力について触れるのは後回しでも別に構わないくらいなんですが、残念なことにそっちのほうはその後ぜんぜん流行らなかったのでして。ここで取り上げるべきは専らテキストのほうになります。

プエルトリコ以前と以降で大きく変わったのは何か。テキストが有りになった、ではありません。イベント的なテキストは90年代にも生き残っていましたし、特殊能力としてのテキストはこれ以後もメジャーになってはいません(特殊能力としてのテキストのメジャー化は「アグリコラ(2008)」あたりでしょうか)。特殊能力が有りになった、というのも本当はちょっと違ってて(いや冒頭ではそう書いたんですけど)、90年代的な特殊能力というのは厳然と存在しています。「90年代的な」というところが重要なポイントで、90年代の特殊能力は概ね「イベントカードをどう現代化するか=ファミリーストラテジーの通常進行の中にどう組み込むか」という問題意識と繋がっています。そのへんが最もよく現れているのが前回の「エルグランデ」で、旧来のイベントデッキを特殊能力デッキに作り替え、プレイヤーの選択次第で場からどのカードを獲得できるか変化するという形を生み出しました。拡張の「エルグランデ K&I (1997)」では更にラディカルになっていて、特殊能力デッキをそのままプレイヤーの手札とし、元々のアクションカードと機能を融合させ、通常のゲーム手順の中に組み込むことで、特殊能力選択のフェーズそのものを削ってしまっています(エルグランデK&Iは特に意識的な例でして、それほどこの部分に拘っていないゲーム、例えば「フィレンツェの匠」などは、カタンの特殊カード的な処理で済ませてしまっています。こちらのほうが多数派ですね)。

プエルトリコが変えたのはこの部分です。プエルトリコ以降(厳密には1年飛んで03-04シーズンから。02-03シーズンのDSP受賞作は、特殊能力に関して典型的なカタン処理を行っている「アメン・ラー」です)、特殊能力はイベント山札から離れ、最初から面陳で全部場に並ぶようになります。プエルトリコ以前のドイツゲームにもそういう取り扱いをやった作品はあって(もうこの流れは今シリーズのお決まりですね)、ここでは「原始スープ(1997)」がこれに当たりますが、97-98当時の原始スープというのはそれはもうエクストリームでカルトな作品という位置づけのゲームでございまして、いや位置づけがどうこうではなく実際原始スープはどの特殊能力をいつ選ぶかで全てが決まるエクストリームなゲームなんですけど、なんにせよ主流派ではなかった。それを言うならプエルトリコそのものだって発表当初は普通にエクストリーム扱いされていたようにも思うのですが、お値段とか流通とか意外と当時のドイツ本流的な部分が強いとかいろいろあったのでしょう、「この手のゲームとしては」の前提付きながら大ヒットしてしまい、実際大ヒットしてみると意外にみんなあっさり受け入れてむしろ嬉々として能力の強弱談義に花を咲かせ、なんならそういう談義とか嫌いじゃないご新規のユーザまで連れてくることになってしまったのです(←ここ重要)。そしてこの流れは、特殊能力から特殊性を取り除いた「サンクトペテルブルク(2004)」、ケイラスの項で再び登場すると思われる【微妙な能力の組み合わせ】ゲームの火付役「ルイ十四世(2005)」で確定的になります。

この流れを振り返った後で改めて「ドイツボードゲームの終わりとその後」というテーマを考えた時、「終わりの始まり」つまり転換点の役を割り振るのに最も相応しいゲームはやはりこのプエルトリコだと言えるでしょう。ただし、何からなにへの転換点なのかということはきちんと言及しておく必要があります。つまり、「多主体複雑系的(≒マルチゲーム的)ジレンマ」をベースとしたゲームから「強弱解析のケーススタディ」をベースとしたゲームへと流れが移り変わる瞬間、という意味です。最初にモダンアートの項で取り上げた「クニツィアレスク」というのは前者の要素のミニマル化だと言えます。そして後者はTCG/CCGを支配する主題であり、より広くは2人用ゲーム一般を支配する主題です。マルチゲームの2人ゲーム化。その最初の作品となったのが、醜い汚れ仕事にまみれた如何にもなマルチゲームである「プエルトリコ」だというのは少し皮肉なところがありますが、歴史というのはそういうものなのでしょう。いや全部わたくしの按配なんですけど。



キャメロットを覆う影 | 2005

ドイツゲームの終わりとその後の話はいったん中断して、ここで協力ゲームの話題を入れておきたいと思います。この話題はこのサイトでは散々しつこくやってて新しく付け加えることって何も無いんですけど、それでも偽史を作る以上はやっとかないといけないトピックではあるのです。ドイツゲームの20年で未解決に終わった問題というのはいくつかあって、たとえば「結局ゲームにおいてダイスというのはどう扱うべきなのか」なんてのがあり、こういうのは次の世代のゲーム(の出版社と作者とプレイヤー)が考えていかないといけないんですが、それら未解決の問題のなかで取り分け大きいのがこの「協力ゲーム問題」です。協力ゲーム問題というのは、協力ゲームを如何にマルチプレイヤーズゲームとして成立させるか、という問題のことです。協力ゲームは放っとくと「声の大きい奴が1人でやってんのと変わらないよね」ということに必ず陥ってしまい、というのはそれを防ぐ強いインセンティブのある人が場に誰もいないからですが、これを何とかしないと複数人で集まってゲームをする意味がなくなってしまいます。

なんでこの問題が未解決なのかというと、まず解くのが難しい問題であるというのがひとつ。あとは80-90年代のドイツゲームが基本的に協力ゲームにあんまり興味を持ってなかった、ということもあるでしょう。なぜ興味が無かったのかというと、その年代のドイツゲームでは勝敗というのはいい加減に決まるものだったので(多主体複雑系的ゲームでは勝敗というのは本質的にいい加減なものなのです)、勝敗についてさほどシリアスに考える必要がなかった、ということは指摘できます。それがエルグランデ以降のゲーマーズゲームの定着で「スキル」の概念がクローズアップされ、さらに前述のプエルトリコのところで述べた解析化の流れにより、勝敗、つまり勝ったひとと負けたひとがいること、という事実が相応に重いものになってきました。その緩衝材として必要になるのが(カジュアルゲームと)協力ゲームであった、という筋書きは、ひとつあり得るんじゃないかなと思います。

前置きが長くなりましたがそんなわけなので、ドイツゲームでは協力ゲームの歴史そのものがあんま無いのです。相応しいスタート地点はおそらく「ロード・オブ・ザ・リング」ですが、これ2000年のゲームですから。そしてこれはあくまで(ドイツゲームとしては)開始点なので、協力ゲーム問題は別に何も解消されていません。欧州のボードゲームで、まっとうにこの問題に取り組んで成果を挙げ、さらに市場にもそれなり以上に受け入れられた、という条件を満たすものを探すと、出てくるタイトルがこの「キャメロットを覆う影」になります。

キャメロットが何をやったか。これは一言で表すことができて、「裏切り者がいる<可能性>の導入」です。いるかもしれない、いないかもしれない。その揺らぎが重要だ...というのはそのまま別のエントリで述べたので詳しくはそちらを(【「である」のではなく「になる」こと】 http://toccobushi.exblog.jp/3461437/ )。実際に裏切り者が1人います、だと今度は単純な1vsNになってしまって協力ゲームではないので、「可能性」にとどめておくことで「全員協力しているのだけれども全員の情報をオープンにできない」という状態をともかく現出させたことが「キャメロット」の主要な功績です。まあ実際にはかなりの確率で普通にいるんですけどね裏切り者。

それだけ? それだけ。それだけです。それでも、やっぱり初めにやった人は偉いんですよ。このあと協力ゲームはそれなりに数が出るようになり、その中で協力ゲーム問題をクリアしたといえる水準にあるゲームも複数出てきています(具体的には「スペースアラート(2008)」と「花火(2010)」。「パンデミック(2008)」は楽しいゲームですが協力ゲーム問題に関する限り2000年の水準を一歩も出ていません)。で、何でそういうものが出てくるようになったかを考えた時、キャメロットがデザイナーに与えた影響、つまり「協力ゲーム問題というものがある」と認識させたこと、これは大きかったんじゃないかと思うのです。
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by Taiju_SAWADA | 2011-10-24 01:23 | 感想・紹介
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