「トップ・ラス」への反抗

あー。そだ。金賭けりゃ良いんだ。

表題と上記の一行目だけで一部の人には何を言ってるか分かってもらえるような気もするのですが、そういう無理やりな我侭を通すのもどうかと思うので、以下多少の補足を。

まず何について触れたいのかというと、多くのマルチプレイヤーゲームのルールと、それ以上に多くのマルチプレイヤーゲームのプレイヤーが、一位以外の順位を全く気にかけていないという話題なのです。このことが良いことか悪いことかというと、んーとどっちかというとやや良い感じ? くらいのポジションであって、何が良いのかというと、マルチプレイヤーであってかつ「良い位置」に付けることができるのが一人だけ、となると大半の人は「良くない位置」に付かざるを得ないわけで、それでもそのゲームをやろうというからには、その動機として「勝ちたい(又は強くなりたい)」以外のものをどうしても持たないと話にならない。それであってこそゲームの良し悪しに視線を送る余裕も出てこようというものでしょう。そうでないひともいっぱいいるでしょうけども、とりあえず一つのそれなりに個人的には納得できる主張だと思います。

但し、それだけじゃなんかねえ、と思うのもまたありまして、その残念な感じというのは言い換えると、全てのゲームが「目的はトップ獲得のみ」となってしまったがために、そうでない目的を持つゲームならば実現できたかもしれない別のゲームデザインが何か煙のようにどっかに行ってしまったんじゃないか、という喪失感なのです。

しかし、じゃあトップ獲得のみを目的としないファミリーストラテジー系マルチプレイヤーゲームを作れるのか? という問題を設定すると、実際にはそう簡単でもなかったりします。厄介なのはデザインの技術面ではありません。いや、技術面でも厄介な部分は充分に存在しそうではありますが、最初に圧倒的な壁として立ちはだかるのはそこではない。最初にしてたぶん最大の壁は、プレイヤーの意識にあります。ルールブックにどれだけ大きい文字で「1位の価値と2位の価値と3位の価値と以下略」と書いたところで、プレイヤーは簡単に「それはそれとしてトップ以外は全員屑ね」と変換してしまうでしょう。これはそういうゲームじゃないんだ、2位狙いと3位狙いと1位至上主義者がその価値観の摩擦によって泥だらけになる様を味わうためのゲームなんだ、とデザイナーが主張したところで、たぶん受け流されて終わり。じゃあどうすればいいのか。

[ここで一行目に戻る]

つまりは他所から別の価値の体系を取ってくればよいのだね、と。トップ以外は全員屑であろうと、そんなイデオロギーとは全く無関係に1000円の浮きは1000円の浮きであって、抽象的な2位なるものとは全く違った重い喜びをこの一枚の紙は与えてくれます。とりあえず既存の多数のゲーム、あるいは新たにそういうことを意識して製作したゲームに金を賭けてみる(賭けさせてみる)ことによって、トップ至上主義と離れたところにあるゲームがどのようなものであるのか観察することができるかもしれません。

ここからは補足の補足。昔どこかの哲学だかなんだかよくわからない人が、競技性のゲームの楽しみとギャンブルゲームの楽しみは基本的に相反するものであって、ギャンブルゲームはただ偶然性によって自分の運命(の一部)が翻弄されることをこそ楽しむものであるから、そのルールはなるべくスキルの関与しないものであることが望まれている、とか書いていて一定のポピュラリティを得ていたような気がしないでもないですが、知らねえよそんなフランス人のことなんか。

もう一つ。それなりの競技性を持ちつつ一般的にギャンブルゲームとして普及している麻雀にはしかし、トップに対して小さくないボーナスポイントが与えられるという慣習が存在するみたいで、なんだよ結局トップラスかよ。何のために金賭けてんだよ。
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by Taiju_SAWADA | 2005-01-30 23:52 | うわごと
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