2004年 09月 14日 ( 2 )

ビラボング Billabong

[駒五つ持ちのトラック一周レース。最初に全駒ゴールさせれば勝ち。手番には、自分の駒を一つ選んで、一歩移動(これは非常手段)かジャンプ移動(こっちがメイン)を行う。ジャンプ移動は、適当なほかの駒を指定して、その指定した駒を中心として自分の駒との対称点まで、自分の駒を移動させる、というもの(但し、間に障害物、というか第三者がいてはいけない)。ジャンプ移動は行えるかぎり一手番に連続して何回でも行える。ジャンプ駒を利用してスタート地点から一気にコースを半周したりできるのが醍醐味。]

このゲームをプレーして気づいたのですが、わたくしこの手のゲームならばほぼ無条件で好みのようです。「この手の」というのはつまり、他の駒との位置関係絡みのインタラクションを利用したパズルっぽい移動ルールを用いる、一人複数駒持ちのレースゲーム。「大円形競技場@古代ローマ」なんかもまさにそのジャンル。何で好みなのか、といわれるとなかなか説明するのが困難なんですけども。でもほら、駒がいっぱいあって多人数でみんな好き勝手動き回るから必然的にケイオティックで、でも乱数一切無いからなんか読み筋がありそうな気がして、そうでなくても後のこと考えないでの最善手っぽい手を探すだけでもけっこうがんばる必要があって、その無駄に考える疲労感が心地よくて、ついでに言えば次の手まで決めて動かした後で他のプレイヤーが状況を弄ってしまわないようにこっそり祈る瞬間とかとってもスリリングで、って感じでいろいろ楽しいじゃないすか。
あるいは、さっきは「ジャンル」と書いたんですけど、そのジャンルに入れる、ということ自体がもう評価なのかもしれません。つまんないゲームだと、パズルっぽさを狙ってもパズルっぽい爽快感がぜんぜん出なかったり(つまるところ「解けた」ときの開放感の話)、インタラクションもぜんぜん起きなかったりして、そもそもさっきの定義によるところのジャンルに含まれないのかなー、と。


Billabong
by Eric W. Solomon
(Franjos 1994)
(Amigo 1995)
(Franjos 2002)
★★★★
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by Taiju_SAWADA | 2004-09-14 23:10 | 感想・紹介

そっとおやすみ Schlafmuetze

[「うすのろばかまぬけ」とかその系統のゲームのバリエーション。手番のプレイヤーはカードを隣に一枚渡す、という作業を続けていって、カードの絵柄がそろったプレイヤーは、手札を“そっと”伏せる。誰かがカードを伏せた(ということに気づいた)ら、あとはカードがそろってるプレイヤーもそろってないプレイヤーもカードを伏せる。一番遅かった人の負け。]

子供ゲームにこういうことを言うのもどうかとは思うんですけど、でもまあ言うんですけど、これゲームとして成立してないです。まず第一に、手札を「そっと」伏せることのメリットが別に無い。そっと伏せるというようなことに気を配っている暇があったらほかの事に気を配れ、という話でして、実際このゲームにおいて手札の持ち方の基本は、全部カードを揃えておいて親指と人差し指の2本指で支えるように(手を離せばいつでもすぐに「伏せ」られるように)持つ、ですから。普通の「うすのろ」系ゲームでこれをやるといつまで経ってもゲームが終わらないんですが(要するに子の持ち方は「自分で絵柄を揃える気はない」つうことですんで)、このゲームの場合、絵柄の都合により揃える気がなくても誰か一人くらいは揃ってしまい、ということはこの持ち方でないと確実に負けてしまいます。まあそれは大人になることで回避するにしても、より根本的な問題として、だれが「負け」なのかわかんないんですよこのやりかただと。普通の「うすのろ」では、人数マイナス1個のトークンを用意しておいて争奪戦、ですから、負けた人が誰なのかは非常に分かり易い。ところが、誰が一番最後にカードを伏せたか、なんて言われても、これはビデオでも回しておかないとわかりません。増して全員が既述の「臨戦態勢」で臨んでいた日には、殆ど全員が同着になってしまいます。
白熱するのは確かではありますが、じゃあ許せるか、となると無論話は別です。


Schlafmütze
by Ulrike Fischer
(HABA, 2002)
★☆
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by Taiju_SAWADA | 2004-09-14 23:05 | 感想・紹介