2005年 08月 22日 ( 1 )

ブームタウン

[良い金鉱を競り落として金を稼ぐゲーム。金鉱カードには発掘率(1/36~6/36)と発掘成功時の発見量(1~7くらい)が記されており、これに応じて毎ターン収入が入る。競りでは人数分の金鉱が出てきて、当然最後まで競りで残ったプレイヤーが競り値の見返りに一番良い金鉱を獲得するのだが、問題は二番手以下で、普通に想像されるような「競りに居残った順に競り値を払ってよい金鉱を獲得」ではなく、単純に反時計回りに(ゼロコストで)1枚ずつ取っていく、というルールが採用されている。あとはいくつかの特殊ルールカードと、同色の金鉱を多数集めると有利、とかそういうルールが付属。]

「えー?」と素頓狂な声を上げたくなる投槍な競りルール(無論「作者が投槍に決めた」という意味ではないです)がゲームの半分くらいを支配していて、このルールによって何が起きるかと言うと、あんまり競りに出たくなくなります。席順が近いプレイヤーに勝ってもらえれば金を払わずして良い目に遭えるのですから。積極的に打って出ないといけないのは、明らかに利害が対立していたり、一番を取らないとどうにも都合が悪かったり、一番を取りたそうな相手からの席順が絶望的に遠かったり、という事情がある場合でして、いずれにせよあんまり嬉しがるところではないです。金(=勝利点)が遠くに行ってしまうのを嘆きつつ、仕方ないなー、くらいのテンション。特に最後の「席順が遠い」が切実になるので、実際に競りが始まると、最初の1~2順は「とりあえず誰が勝ちたがっているか様子を見ておこう」という微妙なビッドが繰り広げられます。で、明らかに勝ちたがっている人がいて自分と席順が近ければ、あ全然OKっつうので降りて、都合が悪かったりすると、うーん、仕掛ける?、で二人目が仕掛けると、第三者としては最初のプランが崩れる(一人目が勝つならいいんだけど二人目が勝つのはアレ)んで仕方なく勝負に出たり。とにかく微妙なやる気の無さが漂い続ける競りゲームと言えそうです。

この競りシステムを使用すると、「自分で弄れないものとしての」他人の動向次第で完全に運命が決まってしまいます。自分で勝負に出ると基本的には損なので避けたい、最も得になるのは他人Aと他人Bの争いを横で見ていて自分に都合のいい方が勝ってくれること、そしてその争いに第三者の立場で介入することは(競りなので当たり前といえば当たり前なのですが)不可能、というわけで、なるべく自分で運命を切り開かないほうが良い、ということになるからです。もちろんそこにゲーム性を見出すことは可能で、その場合には、見込んだ他プレイヤーがきちんと今回の競りで勝ってくれることに賭けるか、あるいは諦めてローリターンだけど自分で出ることにするか、というギャンブルゲーム的なものとして捉えるのが相応しいと思います。

そもそもの競りルールがギャンブルっぽいので、このルールを中心としてパッケージにするとなると、あまりシビアなゲームに仕立てるわけには行かないというのが普通の考え方でしょう。作者もそのように普通に考えたようで、得点のルールをサイコロに従った乱数の強いものにすることによって、競りでの「失敗」がサイコロによっていくらでもカバーされ得る、緩い雰囲気の気楽なゲームとして纏められています。これは実にクレバーなやりかたで、つまりこういうゲームなんですという把握もしやすくはなっているのですが、ただそれによってこの競りルールの奇矯がやや安全な形で漂白されちゃったんじゃないかな? という疑問もちょっとあります。ゲームとしてあるいは商品として成立するものかどうか解りませんが、得点周りを無闇にシビアに作ることで競りの理不尽を強調してみたり(Kniziaっぽい手法と言えなくもない)、あるいは他者同士の競りに第三者として干渉するようなルールをつけてさらにビザールな感を漂わせて見たり、というような冒険をしてもよかったんじゃないでしょうか。現状ではちょっとだけ変わったルールによってコンパクトに纏められた気楽な競りゲーム、という位置づけになりますが、もうちょっとこの変な競りルールに相応しい変な立ち位置があるんじゃないのか、というのは多数派の意見ではないのでしょうけれど。

Boomtown
by Bruno Cathala and Bruno Faidutti
(Face 2 Face Games, 2004)
沢田★★★
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by taiju_SAWADA | 2005-08-22 00:28 | 感想・紹介