2006年 09月 04日 ( 1 )

Sioux スー

[トリックテイキングとバッティングゲームの中間くらいの構造のゲーム。1から11までの11枚を持ってゲーム開始、スタートプレイヤーから順に1枚ずつ出していって最後の2人だけ同時出し。最大値を出したプレイヤーが、二番手との数字の差の分だけポイント。二巡目以降は、前の順で出したカードの大きい順にプレイ(無論最後の2人は同時)。謎のルールとして、トップが二人でバッティングすると、条件によっては勝利点を交換しなければならなくなったり、ある条件で得点すると「連鎖」が起きて他人からさらに勝利点を奪えたりする。...と、とりあえずは説明しておきますが。]

本日の収穫、と簡単に言い切ってしまえれば楽なんですけど。

ドイツには変態トリックテイキングならいくらでもありますが、変態バッティングゲームとなると珍しい。なんでかみんなバッティングゲームは正格で作りたがるみたいで。そんな中に現れた正真正銘のド変態で、しかもこのゲームには変態であることに確固とした意味があります。

冒頭で記述したとおり謎のルールがいっぱいあるんですが、その妙なルールがむしろ意思決定の構造としては焦点をくっきりと見えやすいものにしている、というのが第一の美点です。「どのカードにも一定の意味がある」「どのカードを誰が出したかということが、そのプレイヤーの意図を明確に伝えている」(基本的には、高いカードは得点の主張、低いカードは次の巡目での得点の主張。また、自分の持ってるポイントによってバッティングをしたいか避けたいかが違ってくるので、それによって行動も変化する。あと説明してない特殊な極悪ルールがあって、その絡みも強く影響する)ということが正しく表現されています。

また、ラウンド前半と後半で展開がゆっくりと変わっていき、最後の数手番には最初と全く異なった様相が見えるという点も、起承転結のない単調な読み合いに終始することの多いバッティングゲームとしては大きく評価できます。

これは一つには「バッティング=得点総取り替え」という無謀っぽいルールがきちんと効いているためです。但しそれでも、普通に全員同時プロットとしてしまうと、結局のところ作業が繰り返しに堕してしまう危険は避けられません。といって普通に一枚ずつカードを出していったのではそれこそ変態トリックテイキングゲームの山の中に埋もれてしまいます。

このゲームがどちらの穴にも落ちていないのは、部分的な同時プロットという独自性の強いルールが最大限に生かされているからでしょう。このルールによって実現されているのは、「ターンごとにプレイヤーの立場あるいは役割が目まぐるしく変動し、しかしその変動は数ターンぶんであれば予測が可能である」という効果です。このルールと、前述の大胆な逆転ルールが噛み合わさってこそ、「焦点のはっきりしたコンパクトなカードゲームであるにもかかわらず多様な展開が発生する」、という易々とは行えないようなアクロバットが実現できるのです。

いや、単なるバッティングゲームにここまでの可能性があるものとは全然思ってませんでした。いったんトップが走り出すと止めるのが困難という大きな減点箇所を考慮してなお★★★★クラスの大傑作、と言いたいところなんですがここで問題が一つ。僕が遊んだルールなんですけど、相当にオリジナルルールからの変更が入ってるんですよねー。つまり元のルールが駄目なんでプレイヤーの側で直して直して直して、それでここまで持って行きましたと。どうもオリジナルルールだと(遊んでないので正当な評価じゃないですが)革新性を最大限に評価しても★★★、普通に取ればせいぜい★★〜★★☆くらいまでしかいかなそうな感があります。そうすると名誉は誰が受け取るべきなんでしょうか。というか僕の遊んだゲームに「Sioux」という看板を立てることは可能なんでしょうか。こういう作家論に固執するのは現代人としてはちょっとどうかとは思うんですが、でもボードゲーム業界はやっと作家論が成立する状況になったという段階だしなあ。

Sioux
by Frank Stark
Heidelberger Spieleverlag, 2006
評価保留(本文で示した理由による)
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by Taiju_SAWADA | 2006-09-04 22:03 | 感想・紹介