2008年 03月 23日 ( 1 )

なるべくデザインしない: "Container" 雑感

ドイツ系で括られるゲームデザイン、の中の良い物、の多くに見られる特徴として「ゲームシステムによる主張の強さ」を挙げることができます。という文だけだと何を言っているのか全くわからないはずなので補足しますと、「このゲームはこのような仕組みによって回っている。そのなかで主要な遊び所はこの部分にある」「このゲームのこの部分は旧来からの伝統をそのまま受け継いでおり、一方で新規性はこの部分にある」「私はゲームはこのようにあるべきだと考えており、その思想の実装として今回のゲームはある」みたいな。ドイツのデザイナーズ・ゲームは一様にテーマにおける思想性が希薄ですが、そのぶん彼らは「システム」というものについて何か言いたいことがあるわけですね。

そういうゲームでは大概「ここ!ここ遊んで!」的なポイントが設定されていて、ゲームを進めていくと殆ど自動的にそこのポイントまで連れて行ってくれることになっています。というのは本当は話が逆で、そういうポイントが設定されているゲームの場合、そこまで連れて行ってくれないゲームはサービスが悪いものとして冷たくあしらわれてしまいます。これはまあ尤もな話で、遊ばせたいことがあるのにそこまでの手続きをちゃんとやらないのは単純にデザイナーの怠慢というべきでしょう。

しかしこの物言いが成立するのは、冒頭で述べたように「テーマにおける思想性が希薄で」「ゲームシステムについて何か言いたいことがある」ドイツゲームの場合に限られます。例えばシステム全体が何らかの現実の対象を模倣することを意図している場合(って別にぼかして書く必要はないな。語のそのまんまの意味におけるシミュレーションゲームのことです)、ゲームシステム的な意味での「遊び所」を設定すること自体が是非の議論の対象になりますし、ましてそこに連れて行くために模倣対象と無関係な操作を恣意的に入れたとなれば、ゲームの目的をそもそも達成していないと言えてしまいます。

では、そうでない作品ならば誘導は常に行われるべきか。繰り返しになりますが、アウトプットから逆算して考える限り、いわゆるドイツ系のゲームにおいては回答は極めて高い確率で Yes だったように思います。ごく希に No を回答する作品が現れると我々はいろいろ戸惑ったりするのでして、例えば Ewert and Delonge の "Container" がこれにあたります。

作者の一人である Delonge という人は過去 "TransAmerica" において殆ど犯罪的といっていいレベルのデザイン放棄をやらかしています。実は本作でもその辺の事情はあまり変わっていなくて、何かしら「デザイン」された痕跡というのはほとんど見受けられません。 TransAmerica と本作の間で何が異なるかと言えば、 TransAmerica では結果として何も起きずにゲームが終了しますが、本作ではどんな結果でも起こりえるということです。いや、愉快な意味では決してありません。どんな「凄惨な」結果でも普通に起こりえるのです。ここで言う「凄惨」というのはゲームのマゾヒスティックな楽しみについての婉曲表現ではなく、素直に文字通りに腐った結末のことです。それこそがデザイナーの意図なのだとしたら?

本作では普通のドイツ系ゲームとは全く逆に、あらゆる腐った結末を回避するための機構こそが慎重に取り除かれています。前段で「デザインの痕跡が見受けられない」と言ったのはそういうことで、粉か何かを撒いて消してあるのですねきっと。そうすることによって、それ自体には意図のない剥き出しのシステムの骨格が浮き上がります。何の飾りもない流通システムの模式図を一切の誘導無しに与えられた時、プレイヤーはそこで何をするのか。協調と闘争の間を漂ってそれなりの経済系を構築するか、あるいは失敗国家への道を進んで歩むか。世界が持つ可能性の全てがここには残っています。その意味では、もしかすると本作をシミュレーションゲームと呼ぶこともできるのかもしれません。「『何かの』世界」を真似て遊ぶのではなく、「世界」そのものの抽象的な定義を真似て遊ぶこと。プレイヤーに面白さを保証するために多くのゲームが捨てた世界の欠片。そういうものに興味がある方には、このゲームを強くお勧めしたいと思います。

繰り返しますが、このゲームに柵はありません。事故を厭わない方のみどうぞ。
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by Taiju_SAWADA | 2008-03-23 23:25 | 感想・紹介