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オイそれは俺の魚だぜ Hey! That's My Fish!

[ヘクスタイルが六十枚くらい。それぞれのタイルには魚が一匹から三匹まで書かれています。これを適当にくっつけてマップにして、各自自分のペンギン駒を置いてゲームスタート。手番には、自分のペンギンを直線で動かせるところまで(マップのへりとかほかの駒にぶつかる直前まで)動かしてから、もといた場所のタイルを取り去り、これに書かれた魚を自分の得点とします。全員動けなくなったらおしまい、得点の多い人の勝ち。2003年の「Pingvinas」のリメイク。]

「テーマ的にもシステム的にもどうしたってNanuuk(G.Cornett / Bambus, 1998)を思い起こさざるを得ないつくりですが、しかしこっちのが数段洗練されてます」という書き出しを考えた後で作者とメーカー確認したらCornettでBambusじゃないすか共作だけど。そーかそーか諦めきれなかったんだねあのシステム(とテーマ)を。俺もあれは何か惜しいと思ってた。

といってもNanuuk自体マイナーなゲームなんで概要をおさらいしておきましょう。ハンターが北極でヘクスマップに散らばったなんやかやの獲物を取得しつつおうちにかえる、というゲームで、ハンターが一歩あるくごとに、元いたマスにつながる通路の一部が遮断されます、というのがゲームのポイント。すごーく似てるでしょ。Nanuukが駄目なのは悪い意味で地味だってことで、ハンターはいっぺんに一歩しか動けないし通路の遮断も徐々にしか行われないしってんで、展望の開け方がとにかくもっさりしてるんです。遊んでるうちにあーなんとなくこーゆー結末を迎えそうですねー、でだんだん輪郭がはっきりしてきて、10分後にはあーやっぱりそーなりましたかー。と。

このゲームではその問題にはっきりとした反省がみえていて、具体的にはプレイヤー駒は直線で遮蔽物に当たるまで自動で進みますし、駒の数も一人複数個持ち、さらに大きな点として、移動が行われたら元いたマスは直ちに全面的に移動禁止になります。このルールが何を意味しているのかというと、これは偏に一手番ごとにかなりドラスティックに局面が変わるということであって、ということはたった今行ったアクションの正否が、早ければ次の手番、遅くともその次の手番には致命的な結果となって現れます(逆に言うと、二手番かかって致命的な結果にならなかったのであれば、問題はなかったものと見なせます)。何をやったか覚えているうちに結果が出るというのが重要なところで、これが空気の茫洋を防いでいます。

あと副次的な効果として、手読みがかなり難しくなっています。一手番くらいはみんな読みますが、二手番読むのはかなりの努力が必要で(しかも無駄になることも多く)、それ以上になると完全に無駄な努力という。これは前段の行動→結果のレスポンスタイムと絶妙にマッチしていて、つまり二手番ぎりぎり読めるかなやっぱ無理かなというあたりの行為を要求していて結果も二手番先ですから、これはちょうど自分の読み(をやったとして、ですが)との答え合わせが常にできることになります。そしてこの面倒な手読みをさぼることもできて、その場合でも半分くらいは問題なく通り、といっていつもさぼっていると必ずどこかでどうしようもない結果に陥る事になります。

そしてうっかりどうしようもない結果に陥った場合の処理なんですが、ほぼそのまま終了します。というのは、ゲーム時間がとにかく短いんですね。なんかやらかしたら即負け内定、で3分後から5分後には正式にゲームセット。この残酷かつ後を引かない爽やかなテンポがとても効いていて、これがあるがために「油断して歩いていたらいきなり死亡」という恐ろしいゲームデザインが平気で許されている訳です。


知恵熱風にも気楽にも遊べる軽量級の傑作。ぜひどうぞ。

Hey! That's My Fish!
by Guenter Cornett and Alvydas Jakeliunas
(Bambus, 2003 as Pingvinas)
(Phalanx, 2005)
★★★☆

※メーカーのスペル間違ってたので修正しました恥ずかしー。あと実はルールも違うという説が濃厚というか少なくともBambusに載ってる英文見る限りでは間違ってる。「直線でぶつかるところまで自動」じゃなくて「直線でぶつかるところまで任意」ですね。ということで上記レビューは取り消しになる可能性が高いです。
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by Taiju_SAWADA | 2006-06-28 23:33 | 感想・紹介

アーク Arche Opti Mix

[邦題は「ぴったりの箱舟」あたりのが原題に忠実でいいのでは。内容は文字通りぴったりに、というかここまでやるとぎちぎち過ぎて後で出せなくなるんじゃねえのかというくらいの勢いで動物を箱舟に詰め込みましょう、というもの。要は川渡り問題をアレンジしたようなゲームで、肉食動物と弱い草食動物は一緒の部屋にいれちゃだめとか、植物と草食以下略、なタイトな制限下で、他プレイヤーより多く手札の動植物を船に入れれば勝ち。ちなみにどうやっても駄目な場合は船室の増設ができる。いいのか。]

さてこのゲームをどうとらえればいいのか。とにかく制約が多くて、いや別に制約が多いこと自体は構わないといえば構わないんですが、言うまでも無く制約はルールなので、効果的な補助表示がついていないんであれば何とかしてこいつを全部覚えないとゲームが始まらない。いや無論各カードにはそれなりに表示もついてはいますが、特殊効果についてはテキストがついてなかったりとか色々不親切な点があり、ゲームを始めると結局一個一個マニュアル首っ引きで確かめないといけないことに。 Doris and Frank のゲームといえばちょっと前にも大貧民みたいなゲームで似たような表示の不親切があったような気がしますけど、このへん如何に見栄えが良くても同人物は同人物、ってことなんでしょうか。

始めるためのハードルが高いんであれば、そのぶんそのへんのルールはきちんと意思決定に噛んでくるんだろうね、と期待をゲーマーズゲーム方向に振ってみましょう。ところが別にその方面でもこのゲームはかなり微妙で、というのはこのゲームにおいて「あれもできないこれもできない全然駄目ー」というシチュエーションは当然いっぱい出てくるんですが、しかしこれは多くの優れたゲーマーズゲームと一部の極めて優れた非ゲーマーズゲームがそうであるような、今見えている局面と自分だけが持っている情報から手筋を一つ一つ読み進む熟考を重ねた結果、ということではぜんぜんないのです。単に一個一個マニュアルの記述を上から確認していってこの札はオケーこの札はだめ、とひよこ鑑定を行った結果でしかありません。

別にこのゲームに遊びでが全くないということではなく、動物の補充をどのへんでやめて船に放り込み始めるべきか(手は広く持っておくほうが良いのでカードの補充はしたいけれどもゲーム終了までに使いきれないのなら単に手損)とか、隣のプレイヤーがプレイできる可能性を完全に潰すにはどうしておくべきかとか、それとも自分が出し易いカードを優先的に処理しておいたほうがいいかとか、悩めるポイントはいくつもあります。駄目なのは、ゲーム全体を支配しているひよこ鑑定の重量のせいでそうした遊び所を強く認識できないってことで、もっとずっと軽く仕上げるか、あるいは川渡り自体にもっと戦略性を持たせて正しいゲーマーズゲームに仕立てるか、どっちかにウェイトを振るべきだったと思います。このままだと「頭を使わずにゲーマーズゲームの嫌な部分を体験するゲーム」にしかならないんじゃないでしょうか。いや、 Doris 画のナイスなどーぶつがいっぱい見れるんだから細かいことはどうでもいいじゃんという意見には黙って賛同したいところでもあるんですけど。

Arche Opti Mix
by Doris Matthaus and Frank Nestel
(Doris and Frank, 2005)
★★
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by Taiju_SAWADA | 2006-03-22 00:44 | 感想・紹介

ティンブクトゥ Timbuktu

[各プレイヤー四匹の駱駝を持ち、それぞれの駱駝に何種類かの商品を積んでゲームスタート。毎ラウンド、20あるマスのどこかに自分の駱駝を一匹ずつ配置する。各マスには一匹の駱駝しか入れず、また前回のラウンドにおける配置によって移動にそれなりの制限がかかる。ゲームのポイントは、この20のマスのうち5マスが地雷ポイントだというところで、地雷を踏むと指定の商品が没収される。地雷の箇所はラウンド開始時に各プレイヤーに対してそれぞれ別個のポイントが(盗賊カードとして)示され、一巡するごとにカードを回すことで少しずつ情報が増えていく、という形。メモ帳必須。数ラウンド行い、最終的に残った商品の数でゲームを決める。]

全員に情報のピースを非公開情報として配っておいて、ピースを配っていくことで徐々に情報の総体が見えてくる。但しどの時点においても全員の持つ情報が完全に重なることは無い。という、今まではガチ推理物にだけ許されていた手法を大々的に取り上げてほぼそれだけでゲーム一本作ってみましたー。実にインディーズっ気溢れるやり口ですがメーカー見たらこれQueenじゃないの。トップメーカーからは一段落ちるとは言えメジャーからこういうゲームがでてくるというのはちょっと驚きです。つっても作者がHennだから実は元は同人物(db)のゲームなのかもしれないですけど面倒なので調べません。

インディーズかどうかは置いといてその手法自体に対する評価ですが、ルール一見して感じたほどには遊んでみると悪くない、んですが結論としてはやっぱりちょっと無理筋っぽい。ゲームにおける情報提示の手段として理屈方面から眺めればこれは当然アリなやりかただとは思いますけども、ボードゲームは確かに理屈がメインとはいえ、それだけでなく特にファミリーストラテジーの分野ならばブツを右から左に動かす手続きの快楽にも支えられているわけで、そっち方面のことをいくらなんでも無視しすぎています。駱駝を弄ってたと思いきや唐突にメモ書きの作業を強制されるのがもう単純にうざい。推理物においてメモ書きが歓迎されるのはあれがそもそもメモ書きのゲームだからですし、ディプロマシーその他の同時プロット物では割り込んでくる回数が少ないから許容されているので、このゲームの場合どっちにも当てはまりません。

記憶物にしたくなかったし、そうすると他の手段は出てこなかった。というデザイン上の事情は理解できます。理解はできますが、そもそもの枠がはっきりと軽めのファミリーストラテジーなんですから、ゲームのテンポに余計な重荷を背負わせてそのまま投げっぱなし、というのでは単に異物が挟まったようにしか映りません。もうすこしメモ書きを面白くするか、ゲーム全体を重くしてテンポを合わせるか、できればその両方の措置を取るべきなんじゃないでしょうか。

しかしほんとにHennのゲームと相性悪いなあ。

Timbuktu
by Dirk Henn
(Queen, 2005)
★★☆
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by Taiju_SAWADA | 2006-03-22 00:44 | 感想・紹介

セルティカ Celtica

[盤にはすごろくが書いてあり、全員共通で動かせる駒をいくつか置いてゲームスタート。それぞれの駒に対応する色のカードを手札として持ち、手番にはこれを一色何枚でも出して、出した枚数だけ駒を進める。盤のほうにはそれぞれのマスに「-1」とか「+3」とか「カード一枚補充(これ以外の補充は、全員が使い切るまで無し)」とか書いてあって、止まったマスの指示に従う。どれかの駒がゴールに着いたらゲームセット、得点の大きい人が勝ち。]

マイナス点のマスが続く一個手前で駒を止めて、全員で別の駒のカードを出し続ける我慢比べ、1歩目ならさほど大きいマイナスにはならないから踏み込むか、それとも他の連中が耐え切れずに出すまでなんとか堪えて成功したら悠々と渡りきるか、主にそういう顔色伺いをやるゲームです。表明できる宣言の幅がたいしたことないので、ブラフというほどのものではありません。あと伺ったからといって特にどうなるわけでもなく結局運で決まるケースも往々にしてあり、どうにもならないときはどうにもならないという感じです。あと、駒が複数あるというのも実はちょっと微妙で、これのせいで戦局が微妙にばらけて散漫な印象を与えているかもしれません。

とはいえ美点もあって、ゲームのルールが全て一点を向いており、余計なものをなにも入れていないこと。放っておくとすぐゲームをややこしいものにしたがるKramer and Kieslingのボードゲームとしては奇跡的です(って、Holzwurmなんてゲームもありましたけど)。ゲーマーズゲームを出すブランドならばAleaがあるんですから、Ravensburgerブランドではこういう誰でもルールを聞けば勘所を掴んで遊べるようなものを出していったほうがいいと思います。少なくともこのゲームは、ゲームを好んで遊びたがる人種を不快にさせるような「勘所の無い」ゲームではありません。(このへん誰に対して何を主張しているのかと訝るかたもいらっしゃると思いますが、早い話BoardGameGeekにおけるあまりにもあんまりな低評価にちょっと憤っているのです。軽すぎるゲームが嫌いなのはわかるけど味噌と糞との区別くらいはつけてやれよと)

ただしその観点で見たとき、対象年齢を十歳以上にしてしまったのはミステイクと言えるでしょう。本来これは八歳以上向け市場をターゲットとすべきゲームなんですが、あんまり上手く機能していない得点周りのルールと機能はしてるけど対象年齢を上げる要素でもある経験カードのルール(※)のせいで十歳向けと書かざるを得なくなって、そのせいでだいぶ損をしています。経験カードのルールは確かに悪くないんですが、削ることがクリティカルになっちゃうというほどのものではないので、とりあえずもう少し整理して解り易いものに変えてもよかったのでは。まあ作者というよりはRavensburger側に対する文句ということなりますか。

※経験カード:マイナス点のマスに止まると補償の意味も込めて1枚もらえるカード。普通のカードがかならずいつかは使わないといけないのに対して、このカードだけは使っても使わなくても構わない。その他ゲーム終了時にいくつか(余計な)特殊効果あり。

Celtica
by Wolfgang Kramer and Michael Kiesling
(Ravensburger,2006)
★★☆
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by Taiju_SAWADA | 2006-03-22 00:43 | 感想・紹介

Happy Dog (あとでたぶんちゃんと書きます)

学研から出てるAlan MoonのHappy Dog。たいへん素晴らしい出来のゲームなのにあまり言及がなくてかわいそうなので(発売日から間がないからだと思いたい)みなさん買って遊んで面白がっていただきたいと思います。

Moonのゲームの中で一番好き、というのはちょっと語弊があって、というのはこのゲーム、全然Moonっぽくないのです。むしろMoon好きには辛いかもしれない。なんか微妙にMoon批判みたいになってますけどそんなことありません僕は大好きですよElfenland。具体的にはDorisの絵とか。あー余計印象悪いか。いや、UnionPacificもSantaFeもCapitolもそれぞれに面白かったし。Raibach und Coは駄目だったな。

じゃあ誰っぽい作風かと言えばこれはブラインドテストをやれば100人が100人とも即答で90年代Kniziaと答えてはい不正解罰ゲーム、ということになるでしょう。そう90年代Kniziaです。本人が99年から作風の変更を模索しだしたのでファンとしてはもう大分飢えてたわけで(AmunReは面白いけどあーゆう露骨なゲーマーズゲームは99年以降の作風つまりStephensonsRocketとかTadschMahalとかから繋がるもので90年代の作風とは違います)、そこにこういうものが提出されるとそれはもう猫まっしぐら。たぶん30分想定のゲームなのにうっかり2時間半かけて遊んでしまいました。これですよこれ。えらいこと単純なルールに大胆に絡んだ運の要素、そして執拗に知恵熱を要求しておきながら最後は得体の知れないところで勝利を掻っ攫われるままならなさ。集団行動の怪しさを最大限に堪能するためのツールが我々の元に帰ってきました。研究すればしただけ強くなれるようなゲームなんて要らない、欲しいのは研究すればしただけ訳のわからない泥沼に嵌りこんで抜け出せなくなるそんな素敵なゲームなのです。

ずいぶん舞い上がってしまってまともな紹介になりませんでしたがそういうゲームが好きな人は絶対に損をしませんので繰り返しますが買いましょう。逆に90年代Kniziaが苦手だったりどうでもよかったりする人は買っても1500円と時間とを無駄にするだけなのでやめといたほうが無難です。

Happy Dog
by Alan R. Moon
(学研, 2005)
★★★★
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by Taiju_SAWADA | 2005-11-04 01:06 | 感想・紹介

ヒクタス

[エイトとかUNOとかのストップ系ゲームにNeuやO'NO99とかの要素(カウント物とでも言うのでしょうか)を混ぜ込んで駆け引きの要素を強めたもの。具体的に言うと、カードを出したときに場の数字をカウントアップ、手札を出したときに任意で山から1枚補充可(←ストップ系なのに任意で補充可というのが重要)、手札を使い切った時に場の数字が一定値(50とか60とか)に達していないと上がりとは見なされずにペナルティを受ける。相手の妨害はそこそこできるのだけれど、妨害やってると自分の手札が整わずに一向に上がりに近づかないので、相手が本当に上がれそうか放っておいても問題ないか見極めるのがポイント。]

沢田「凄くちゃんとしてると思う。良い悪いで言えば良いゲームだと思います。
吉田「思った以上にずっと。
山根「一般層への浸透とゆうことを意識するんであれば最適なんじゃないかと。
吉田「やー、でもねー。一般層って話だと、システム的に荒れてても興奮があるほうが受けるでしょー。
沢田「うん。地味だものこれ。引きが弱いでしょう
吉田「そもそも遊ぼうってとこまで行かない。「じゃあヒクタスで」ってことにならない。
沢田「ある程度市場が確立しているところにこういうゲームを一個出すというならとてもいいと思うんだけど。定期的にこういうゲームを出していければ、良いメーカーだねって評価も得られるし。でも今、市場ないから。
吉田「最初の一個でこれを出してどうすると。
山根「いやその姿勢はある意味で大変すばらしいので拍手したいところではあるんだが。
沢田「ゲームとしては立派なもんなんだけどね。ルールは全体に渡って気を使って書いてるし、この題材でこれ以上のものにはそうできないだろうってとこまで作ってる
吉田「新しいとか新しくないとかいう観点だとどう?
沢田「実際に過去にこういう方向で駄目なところが全部潰されたゲームが存在しているかと言われるとわかんないけど、とりあえずぱっと見の新味はないかな。でも遊んでみればルールの一個一個にはしっかりとした意味があるし。
山根「そもそも真っ向から新しいものを出そうというところから作られたゲームではないから。古いゲームの駄目なところを全部とっぱらってちゃんとやりましょう、って発想。
吉田「ちゃんとしていると言うことで言えば本当にびっくりするくらいちゃんとしている。遊ぶ前から蔑ろにして御免よってくらいに。SkipとかReverseとかそういうカードがUNOより面白い効果を上げているのは間違いない。数字札も良く見れば配分に意味がある。
山根「というより、このゲームにSkipとかReverseとか持ち込んでるのは、デザイナーがUNOに対して腹に一物持ってるとしか思えない
沢田「確かにそういう目で見るとUNOに一物もってるように見えてきた
山根「UNOに廿年ばかりの屈辱を感じて「お前らなんでこんなもんで盛り上がってんだ。ゲームしろよゲームを」と主張している
沢田「一物ある、という点で言えば、101とかO'NO99とかNeuとかそのへんのゲームにも言いたいことが相当ありそう。
吉田「そんなんでいいんかと。このくらいまではデザインしようよと。
沢田「どっちが売れるかっつったらこっちのが売れないんだけどね。
山根「これはゲームだから。
吉田「一般向けということを考えるとゲームであるよりもエキサイティングであることのほうを優先しないといけないわけで
山根「そこを否定したいというのも意図としてあるでしょ?
吉田「あるとすればその思想は硬派すぎるというか、単に会社を騙して自分の作りたいものを作っただけじゃねえかというか。店の人だってテストプレイなんてしてくれないし。このへんの和製ゲームを見てると、こっそりと良いものは作ってるんだけど。問題は、こっそり過ぎて誰にもバレないんだよ。店の人間がやっと一人気づくかどうかって程の隠れっぷり。それは駄目でしょう。あと、終わった後で思ったのは、結局コンポーネントはこれ以上凝っても駄目だなということ。(←もうちょっと凝って単価上げてもいいんじゃないか、とかゲーム前は言ってたのです)
沢田「うん。これより足しても意味ないし引くと単価的に売り物にならない。ドイツならAdlungみたいなパッケージがあるけど日本じゃねえ。難しいね売り方って。同人市場にすら居場所ないじゃん。同人みたいな小さい市場だとある程度複雑なゲーマー向けのものが求められるから。そこに見た目上は101にしか見えないものを出しても食いついてくれない。
吉田「ゲームみたいな商品だと売り方に無自覚ではとてもやってらんない。うーん。暖かいものを感じると同時に限界も見えるなー。なんというか、ゲームってのは良いだけじゃ売れないよね。という。でも、ま、頑張れとは言いたい。会社騙して一個出したってだけでとりあえず偉い。
沢田「ただこれを出したことでプロデューサーの人が会社の中で立場悪くなってないだろうかとちょっと心配。


HICTAS
片野 秀 / Daydream
(河田/グラパックジャパン, 2005)
沢田★★★☆/吉田★★★/山根★★★
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by Taiju_SAWADA | 2005-09-26 01:24 | 感想・紹介

ブームタウン

[良い金鉱を競り落として金を稼ぐゲーム。金鉱カードには発掘率(1/36~6/36)と発掘成功時の発見量(1~7くらい)が記されており、これに応じて毎ターン収入が入る。競りでは人数分の金鉱が出てきて、当然最後まで競りで残ったプレイヤーが競り値の見返りに一番良い金鉱を獲得するのだが、問題は二番手以下で、普通に想像されるような「競りに居残った順に競り値を払ってよい金鉱を獲得」ではなく、単純に反時計回りに(ゼロコストで)1枚ずつ取っていく、というルールが採用されている。あとはいくつかの特殊ルールカードと、同色の金鉱を多数集めると有利、とかそういうルールが付属。]

「えー?」と素頓狂な声を上げたくなる投槍な競りルール(無論「作者が投槍に決めた」という意味ではないです)がゲームの半分くらいを支配していて、このルールによって何が起きるかと言うと、あんまり競りに出たくなくなります。席順が近いプレイヤーに勝ってもらえれば金を払わずして良い目に遭えるのですから。積極的に打って出ないといけないのは、明らかに利害が対立していたり、一番を取らないとどうにも都合が悪かったり、一番を取りたそうな相手からの席順が絶望的に遠かったり、という事情がある場合でして、いずれにせよあんまり嬉しがるところではないです。金(=勝利点)が遠くに行ってしまうのを嘆きつつ、仕方ないなー、くらいのテンション。特に最後の「席順が遠い」が切実になるので、実際に競りが始まると、最初の1~2順は「とりあえず誰が勝ちたがっているか様子を見ておこう」という微妙なビッドが繰り広げられます。で、明らかに勝ちたがっている人がいて自分と席順が近ければ、あ全然OKっつうので降りて、都合が悪かったりすると、うーん、仕掛ける?、で二人目が仕掛けると、第三者としては最初のプランが崩れる(一人目が勝つならいいんだけど二人目が勝つのはアレ)んで仕方なく勝負に出たり。とにかく微妙なやる気の無さが漂い続ける競りゲームと言えそうです。

この競りシステムを使用すると、「自分で弄れないものとしての」他人の動向次第で完全に運命が決まってしまいます。自分で勝負に出ると基本的には損なので避けたい、最も得になるのは他人Aと他人Bの争いを横で見ていて自分に都合のいい方が勝ってくれること、そしてその争いに第三者の立場で介入することは(競りなので当たり前といえば当たり前なのですが)不可能、というわけで、なるべく自分で運命を切り開かないほうが良い、ということになるからです。もちろんそこにゲーム性を見出すことは可能で、その場合には、見込んだ他プレイヤーがきちんと今回の競りで勝ってくれることに賭けるか、あるいは諦めてローリターンだけど自分で出ることにするか、というギャンブルゲーム的なものとして捉えるのが相応しいと思います。

そもそもの競りルールがギャンブルっぽいので、このルールを中心としてパッケージにするとなると、あまりシビアなゲームに仕立てるわけには行かないというのが普通の考え方でしょう。作者もそのように普通に考えたようで、得点のルールをサイコロに従った乱数の強いものにすることによって、競りでの「失敗」がサイコロによっていくらでもカバーされ得る、緩い雰囲気の気楽なゲームとして纏められています。これは実にクレバーなやりかたで、つまりこういうゲームなんですという把握もしやすくはなっているのですが、ただそれによってこの競りルールの奇矯がやや安全な形で漂白されちゃったんじゃないかな? という疑問もちょっとあります。ゲームとしてあるいは商品として成立するものかどうか解りませんが、得点周りを無闇にシビアに作ることで競りの理不尽を強調してみたり(Kniziaっぽい手法と言えなくもない)、あるいは他者同士の競りに第三者として干渉するようなルールをつけてさらにビザールな感を漂わせて見たり、というような冒険をしてもよかったんじゃないでしょうか。現状ではちょっとだけ変わったルールによってコンパクトに纏められた気楽な競りゲーム、という位置づけになりますが、もうちょっとこの変な競りルールに相応しい変な立ち位置があるんじゃないのか、というのは多数派の意見ではないのでしょうけれど。

Boomtown
by Bruno Cathala and Bruno Faidutti
(Face 2 Face Games, 2004)
沢田★★★
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by taiju_SAWADA | 2005-08-22 00:28 | 感想・紹介

マングローブ密林からの脱出 Flucht aus Mangrovia

Flucht aus Mangrovia

[一人2駒持ちのレースゲーム。手札から色の書かれたカードを出して、現在位置から最も近い、カードに書かれた色のマスに移動する。また、カードには、移動先の色のほかに「チップを置く色」というものが指定されており、カードを出すたびに対応する色のマスにチップが置かれていく(全てのマスにチップが置かれている場合、ゴールに一番近いマスのチップが剥がされる)。このチップは何かと言うと要するに道で、チップが置かれていないマスには移動も通過もできない。両方の駒を最初に上がらせたプレイヤーの勝ち。]

(ゲームの最終盤。ゴールマスの色であり、従って上がりのためのキーである「赤」を誰も引かずに悶々とプレイを続けること四十分。そして)
吉田「お。上がった?上がった。上がりー
向井「やっとおわったー
沢田「何分かかった?
山根「九十分
向井「表示は?
沢田「三十分。
向井「えー。ダメだろうこれは
沢田「いやー、序盤は楽しかったよねえ
吉田「ほんとに遥か昔の思い出に思える
向井「何が問題だったんだろうか。結局赤って何枚あるの?
山根「五枚は無いと思う...って六枚あるのか。誰だ複数枚溜め込んでたのは。
沢田「はい。
吉田「はい。そりゃあ溜めるよ。自然に気づくでしょ。赤溜めないと勝てないって。
沢田「ルールに書いてあるんだもん。『赤溜めましょう』って。んー。どーすりゃ面白くなるんだろうね。
吉田「つまるところ勝とうとすると回らなくなるゲームなんだよね。赤が出回らなくなるから。勝とうとしてはいけない。
沢田「それはもはやゲームではありません。
山根「何かないかね。ゴール二色にしよう。いやむしろここ(と言ってコースの終盤に差し掛かったあたりを指差す)ゴールにしよう。
沢田「そこゴールにするとそのまますとーんとゴールに行っちゃわない?
吉田「多少止まって欲しいし多少上がって欲しい、くらいじゃないと。
沢田「じゃあ他の全員が象(というチェックポイントが数箇所用意されているのです)を越えたらラストランナーは象のとこまで来ていいとか。
吉田「あーなるほど。何者なんだ象という感じでもあるけど
沢田「あるいは、このゲームで一番面白いのは中盤のつり橋のあたりでしょう。もちょっとコースを長くして、つり橋2箇所くらい設けて、ゴールのほうは緩くするとか。
山根「チップ剥がしていくってルールもどうなんだろう。
吉田「確かに。気分悪いし。剥がしてステイ、剥がしてステイ。
沢田「ルールに序盤から中盤までは何の意味も無い。終盤にしか意味が無くて、終盤になると急に重くチップ剥がしがのしかかる
山根「オールマイティのカードを用意するとか
吉田「そしたらオールマイティ握りだすでしょう
山根「握るものが増えれば多少楽になるでしょ
(しばらくの沈黙の後)
沢田「いいよもう。考えるだけ無駄。捨てちゃえこんなくそげー
吉田「まあ、ダメでした、ということで。
向井「面白げな気配はあったのにねえ。
沢田「中盤までは楽しかったよ、とだけは言っておきます。
吉田「中盤で終わろうか。鰻の臭いだけで楽しむような感じで。
沢田「その鰻はたぶん食うと不味いです。
山根「しかし中盤まで楽しんでおいて最後にここまで評価が反転するゲームも無いよな

Flucht aus Mangrovia
by Roland Siegers
(Mattel, 1989)
沢田★
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by Taiju_SAWADA | 2005-08-08 01:01 | 感想・紹介

オルトレマーレ

[商品カードを山札から手札に移して手札から自分の船(まあ場札ですが)に積み込むと得点になる。但し、同じ種類の商品カードを一定枚数連続で積み込まないとまともな得点にはならない。ということで交渉で他プレイヤーと手札を遣り取りすることになる(手札枚数に制限がかかっているという事情も、交渉の頻度に拍車をかける)。あと、商品カードには一緒に、船に積み込むときに自動的に発生する「余計にもらえる得点」「貰える手札」「受けるペナルティ」「所有特殊能力の変更」というようなイベントが書いてあり、そしてこのイベントは各プレイヤーが現時点で持っている所有特殊能力により強化したり回避したりできるので、積み込みたい商品カードによって特殊能力をうまいこと切り替えていくのが肝要。]

強烈な制限がかかっている中で手札を処理しないといけなくてそのために交渉が必要になるゲーム、と言えばこれはもう明らかに「ボーナンザ」な訳ですが(そしてこれだけの説明でボーナンザと言い切ってしまえるというのがボーナンザの名作振りを示しているのですが)、ボーナンザでは交渉による契約の成立がそのまま双方にとって確実に利益になるというデザインがなされているために牧歌的な雰囲気を纏わせているのに対し、このゲームの交渉は遥かに重いものとなっています。いや、やっていることが難しいというわけではありません。単にカードを交換したり、勝利点を使って売ったり買ったりするだけです。何が問題かというと、カードという資源を持っているということが場合によってはマイナスに働く可能性があるというところで、要は手札制限を越えるとペナルティが来るということなんですけれども。手札制限を越えないにしても、カードを積み込む際に素で受けるペナルティというものもあり、つまるところ何も考えずにカードを集めているだけでは全然儲からないということで、従って迂闊に交渉に応じて変なカードを得るわけにはいかない。とりあえず交渉に応じておけばいい、ということにはならないのです。

この、互いの事情というものを肌で感じながら身を削るようにして行う交渉というもの、これがやってみるとかなり新鮮なものと感じます。つまりはやること自体は(利害調整というよりも嘆願という気分を基にした交渉という意味で)弄らないままボーナンザのプレー感覚を表裏完全に引っくり返したものになっていて、この一手番をどうやって乗り切っていきましょうか、そしてすぐに襲い来る次の一手番にどう備えましょうかという、ちょっと悲壮と言えなくもないくらいに覚悟めいた気分で臨むのが独特の楽しさを産んでいます。実際のところゲームを左右するのはむしろ特殊能力(ペナルティ無効とかボーナス勝利点とか)をどう手元の商品カードに合わせていくのかという部分のほうが大きいのではないかと思うのですが、そうは言ってもそれは交渉を一定の水準でこなした上の話であって、交渉から(ということはこの覚悟を要するほどの閉塞から)逃れられるということにはなりません。

きついことは間違いなくきついので、好き嫌いは明確に分かれるゲームだと思いますが、そういうことを面白がるゲームであるという前提に立てば、概ね問題のない品質に仕上がっています。ひとつ難点を挙げるとすればゲームの長さで、これは3人ゲームだったからということなのかもしれませんが少し長すぎる気がします。特にこのゲームは手番ごとの正否を積み上げて最終結果とするタイプの時間管理を行っており起承転結を持った構造ではないため、ゲーム時間を短くしようと思えばカード枚数を減らすだけで至極簡単に行えます。行えるものが敢えて行われていないということから、そこにデザイナーの意図を読み取るべきではあるのですが、しかし個人的にはゲームの長さを倍に取ることによってこのゲームに新たに生まれるものは何も無いと考えます。一本調子の閉塞感を2時間弱に渡って繰り返していると流石に不毛な疲労感を感じないでもありません。

OltreMare
by Emanuele Ornella (Mind the Move, 2004)
沢田★★★/山根★★★★/吉田★★★☆
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by Taiju_SAWADA | 2005-08-01 23:07 | 感想・紹介

ナイアガラ Niagara

[流れる川をカヌーで行ったりきたりして、滝から落ちないようにしながら川の途中にある宝石を取りに行くゲーム。移動は全員で移動力タイルを伏せて出して、せーので公開。移動力タイルは自分のカヌーの移動力を決定するのは当然ながら、川の流れの速さを決定する要因でもあり、具体的には出た移動力タイルの中で一番小さい移動力タイル+川の流れのベース値に等しい分だけ川が流れる。まともな移動力タイルを使い切って「パス(川の流れのベース値を変更する)」を出したときに他のプレイヤーが全員高い移動力のタイルを出してたりすると最悪で、確実に川に飲み込まれてさようなら。]

発売されるゲームの難易度の平均がじりじりと上がり続ける傾向と言うのがずーっとあって、そりゃ確かにXXXX(適当なゲーム名を各位挿入されたし)は面白いゲームだけどその道の先にあるのは行き止まりだけだよ、という微妙な苦い感じが付きまとっていたので、こういう単純で能天気で確かに楽しい馬鹿な佳作が存在してくれるとどうしても持ち上げたくなるのも人情です。川の流れを表現したギミックに単に騙されているだけなのではないか、という疑問はちょっと感じつつ、まあいいじゃないか楽しいのだから、と全てをうやむやにしてOKにしてしまいましょう。

とは言いつつ一点問題を挙げるとするならば、まさにそのギミックの部分になります。川は滝の手前で二手に分かれ、川が一マス流れる度に、その分かれた先で右か左のどっちかの支流にいるカヌーが滝に落ちていくのですが、ギミックが妙にきっちりとできているので、最初に1マス流すと左の支流が、次に流すと右の支流が、さらに流すと左の支流、というように、流れていく支流がほぼ必ず交互になるのです。ルールは「交互にならないこともある」くらいの前提で書かれているようなのですが、今回のゲームでは交互の原則を外れることは一回もありませんでした。これが何を意味するのかと言うと、下流に突っ込んでいったカヌーが戻ってこれるか否かということを、ほぼ正確に計算できてしまうのです。このゲームは「計算が狂って滝に落ちる」ことが最大の眼目ですから、ここのバランス取りは非常に微妙なところでして、単純ランダムでは決して成り立たず(確率50%で落ちるのではリスキーになりすぎる)、といって乱数が効かないのではスリルがありません。交互原則がゲーム中2~3回程度崩れるのが理想なのですが、なかなかそう上手くはいかないようです。ドライなことを言ってしまえば、サイコロを振って交互原則が守られるかどうか決めればいいのですが、しかしこのゲームにおいてすべてを煙に巻くギミックの魔法というのはとても大事なものなのでそういうわけにもいかず。ちょっとした工作でなんとかなると良いのですけど。

Niagara
by Thomas Liesching
Zoch, 2004
★★★☆
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by Taiju_SAWADA | 2005-06-27 00:26 | 感想・紹介