カテゴリ:感想・紹介( 47 )

庭小人協会 Gartenzwerge e.V.

[小人と小人を配合させて、より強い小人をつくるゲーム。といっても血の配合がどうとかそういう要素はなくて(小人のパラメータは「強さ」だけで、両親のうち強いほうの小人の強さと、あと乱数によって子供の強さが決まる)、ゲームの本線は、自分のところの小人を種馬としていくらで貸すか、あるいは逆にいくらで種馬をよそから借りてくるか、という部分であり、従ってジャンルとしては入札物、ということになる。一番強い小人を最初につくったプレイヤーの勝ち。]

小人を売買して、という言葉からしてちょっと面白く、じっさい遊んでみても乱数が強く出る配合結果に翻弄されたり、入札における各プレイヤーの相場観が全然違っていたりで面白いんですけど、ただ留保をつけておかないといけない部分もありそうです。

何が言いたいのかというと、ルールがちょっとややこしいんじゃないか。各プレイヤーが各小人について「貸し」の入札と「借り」の入札を提示できる、という基本線だけでそこそこの量がある以上、他のルールはなるべく小さくまとめたほうがよかったのではないかと。例えば、小人の貸し借り以外にも「小人を売り払う」「小人を庭で働かせる」という選択肢がこのゲームにはありますが、これらがゲームに対して積極的な意味を持っているようには思えません。ゲームが長時間にわたるものであれば、小人の売却というルールが必要になるかもしれませんが、実際には小人の数を適正に管理しつづけることに技術が必要になるほど長時間のゲームにはなりません(小人が増殖して困ることはありますが、その困った状態はゲームにおいて放っておくと必ず現れ対処を求められるという類のものではなく、ある種の戦略をとった場合に時としてゲーム後半に出現する結果というべきでしょう)。小人を庭で働かせる(実質的な手番パス。小人の維持費が半分になる)については、ターン数も短くターンごとの動きも激しいこのゲームにおいて、維持費をわずかばかり浮かせるという行動を用意することに何の意味があるのか全く分かりません。

つまりは、乱数は強いし、入札で動く金額の幅も大きいし、またイベントカードの存在もあり、ということでかなり勢い一発っぽいゲームなのに、それとは正反対の微妙なマネジメント要素がなぜか紛れ込んでいるのが気になる、ということなのです。もしかするとプロトタイプの段階では、もっとブリーディングの部分に複雑な要素を組み込んだビックゲームだったのかもしれません。

このゲームの面白さは、基本的に金を稼ぐのが目的のゲームではないことと、プレイヤー以外の存在(「場」と言い換えたほうがよいかもしれません)との取引が殆ど存在しないことにより、金銭について絶対的な量を欲することがあまり無く、他プレイヤーにくらべて極端に所持金が低くなっていなければ別に構わない、くらいのスタンスがとれるということに由来しています。このことによって競りの基準がとても曖昧なものになり、さらにこのゲームは競り上げ式ではなく入札を採用している(しかもオークショニアも“入札によって”最低入札価格を決定しなければならない)ので、入札の結果が訳の分からないものになる。もともと入札というのは計算不可能な部分がありますが、さらにこのゲームでは計算不可能性を増幅しており、それによって生み出される驚きがゲームの根幹を成しています。ブリーディングを乱数として表現したり、イベントカードを入れたりといったデザインも、入札の計算不可能性との相性から導入されたものでしょうし、それは多分正しい選択のはずです(個人的にはイベントカードには嫌悪感を覚えますが、それはそれとして)。

しかしそれならば、相性の悪い要素はもうすこし入念に取り除いてくれてもよかったんじゃないか。という思いはどうしても残ってしまうのです。

Gartenzwerge e.V.
by Roman Mathar
Argentum Verlag
★★★
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by Taiju_SAWADA | 2005-04-23 17:30 | 感想・紹介

電力会社(二版)

[地図上の都市に電気を供給するゲーム。発電所を競り落とし、燃料を市場から購入して、都市間および都市内における電線の敷設費用を支払うと、(既に他社が入っていなければ)その都市の電気利権を獲得して電気代収入を得ることができる。最終的に最も多くの都市に対して電気を供給できたプレイヤーの勝利。ゲーム上の特徴として、中間順位(つまり所有する電気利権の数)の低いプレイヤーに対しては、燃料の優先購入権や電線の優先敷設権などが与えられることで、これによりゲームは概ね常に一定の緊張感を保つことになる。]

良質な順位マネジメントゲーム。実際のところマネージしないといけないのは順位じゃなくて金銭なんですが、間に順位というものを挟んで、常に直接意識すべき第一の対象として金銭よりも順位のほうを表に見せた構成になっています。つまりは「順位が高いほうが現時点での見かけの収入は高く、その代わりとして、順位が低いほうが盤面における要所を押さえるには都合がいい(但し、ゲーム終了とともに順位は絶対のものとなるので、既に盤面が手詰まりを起こしてからでは遅い)、そしていったん順位を上げてしまうとなかなかこちらの都合では下に戻せない(ので、決定的な場面で要所を他プレイヤーに押さえられてしまう危険がある)」という要約でこのゲームのほぼ全てを表すことができるのでして、後の部分は全てこの要約の構成要素となっています。
その意図がどれほどの実を結んでいるかと、その点にのみ的を絞って言うのであれば、これはほぼ理想的な状態であると思います。ある時点における自分の意思決定が直近の順位に及ぼす影響、これはきわめて明快です。その順位変動が金銭に及ぼす影響となると、きちんとした計算をしないと分からない。中期的な金銭面での損得勘定となると、その場での計算ではほぼ無理なのであって、事前の分析または経験、理想的にはその両方が必要となるでしょう。長期的な順位に及ぼす変動は。分析が効かなくなる分野(運も絡んできますし、なにしろマルチプレイヤーゲームとはそういうものです)においては、再び形容しがたい勘のような立ち回りの巧拙のようなそういったものが幅を利かせることになります。この時間の遠近への対処こそがマネージメントゲームであって、描かれた遠近法の美しさを評価の全てとするのであれば文句の付けようもありません。遠近法以外のものがないとか、結局上位の下にべったりくっついて最後に抜け出した者の勝ちじゃないか、とか言うのは的外れというもので、これはそもそもそういうゲームとして作られているのですから。
問題はむしろ、そういったものを全体として形作るためにはいろんなものを配置していかないといけないわけで、この配置されたなんやかやが少々気に障る。もうちょっとゲーム時間は短くならなかったか(2時間半という時間をどう見るのか、というのは人によって当然変わってくるでしょうし、前述の理由によりどうしてもマネジメントもののゲーム時間は長くなってしまうものですが)、市場への燃料供給のシステムはもうちょっとスマートに行かなかったか、それを言うなら時代変化のシステムも(一都市に参画できるプレイヤーの数が、時間が進むにつれて多くなっていくのですが、その区切りのルールがちょっと微妙なのです)、競りの使い方が適当すぎる、発電所の最低価格と性能の関係性が中途半端、といった感じで多数列挙できてしまいます。それだけのことがあっても基本線が「買って建てて多く建てれば勝ち」とごく単純明快なものなので、プレーそのものを妨げるというほどのことにはならないのですが、なんといいますか、折角本筋が綺麗にできているのになあ、という印象は持ってしまいます。
でも好きなんですけどね。

Funkenschlag (2nd Ed.)
by Friedemann Friese (2F Spiele)
★★★☆
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by Taiju_SAWADA | 2005-01-22 16:30 | 感想・紹介

暗黒の大広間 Finstere Flure

[モンスターに喰われない様に自分の駒4つをスタートからゴールまで逃がすゲーム。各プレイヤーの駒の位置関係によってモンスターの動きが決定されるので、いかに自分の駒を巧みに配置して、モンスターの移動方向を自分から逸らして他者の駒の方向に向かわせるか、が鍵になる。その他、動かせる石とか滑る血の池とか、そういう付加的なパズル要素も用意されている。]

山根 なんでこっちから入ってあっちから出てくるんだ、というのが素朴な感想として。
吉田 パックマンだから。
沢田 逃げ惑うのは我々だけども。
吉田 最初はみんな真面目に逃げてたでしょう。
沢田 確かに逃げてた
山根 それがそのうちに竹槍持って特攻を始めるように。
吉田 最初のうちは1マスぶんの移動力を潰したの潰さないのという話をしていたんだけどねえ。
山根 そんなことよりポジション取りのほうがはるかに重要だった
吉田 最初は無難にイメージとフィットした感じだったんだけど、そのへんからなんともいえない具合に面白くなり始めて。喰わせることを考え始める。相手が駒を犠牲にすることで色々な状況が発生してしまうのが一番のポイントですか。
沢田 逃げ切れなさそうな家族を「お前はそこにいろー」とか囮に使い始める父親。「いや、まだ生き延びようと思えば、何とか、なると思う、んです、けど」「いやそっちよりこの辺の盤面のが大事だから」
山根 トップ争いしてるとどうしてもゴール前は糞詰まりを起こすんで、そこに特攻が入った日にはもう。
吉田 最下位の人としてはそりゃあそういう状態なら喰わせるのも難しくないから。ゲーム盤自体も隅が二つ丸まってて、ゴール近辺で固まり易い形になってる。これは正しいなと。
沢田 こういう方向で行きたいんだ、と。いやあ。いいじゃないすか。
吉田 やー、結構凄いっすこれ。面白い面白い。
山根 酷い酷い。
吉田 こーゆーゲームって実力で読み合いという部分が多くなりがちな気もするんだけどこのゲームに関してはそうではない
山根 読み始められる状況では既に詰んでいたりもするんで
沢田 「あー、そーなるですかー?」というような事が頻繁に起きるんで
吉田 最初は血と石をどうこうするゲームなのかな、と思っていたけど、最終的にはそうでもない。
山根 案外目の前に止まられると逃げようがないね、というのが大きい。脇をすり抜けていくのが本道かな、と思っていたんだけども
沢田 こいつら足遅いから。石の動きをどうこうとか、そういう意味でのパズル性ではないような感じがする。パズルっぽいのは別の部分。あー、あれだ。Robo Rally。でもってRobo Rallyより面白い。
山根 確かにRobo Rally。Robo Rallyなんだけども、同時にRasende Roboterでもある。
沢田 Roboterって意見は結構あちこちで聞いた。で、ルール読むとそんなにRoboterでもなかろうと思ったんだけども、実際遊ぶと確かにという。
吉田 わりあい良い所取りという気がする。Robo RallyのノリでRoboterをやるというか。Robo Rallyはノリはいいんだけど、遊んでて徒労感が凄くあるんで、その点でこっちのが。
沢田 すっきりと終わる。
吉田 そのあたりで言えば、迂闊な勝利条件を付けちゃうと碌でもないゲームになりそうなところを、きちんと考えて締めてあるところがとてもよろしい。
沢田 3個逃がせることも無くはない?
山根 無理でしょう。
吉田 全員の気分次第じゃない? ぎりぎりまで協力して最後だけ抜け駆け、という形になれば。あとはビジュアルイメージが今回に関しては功を奏したかも。
沢田 Fische Fluppen Frikadellenのときと違ってテーマに合ってる。
吉田 全体的に、昔の。ファミコンぽい。絵とか動きとか。
沢田 安いホラーめいた演出まで含めて。

Finstere Flure
by Friedemann Friese (2F Spiele, 2003)
沢田★★★★
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by Taiju_SAWADA | 2005-01-16 21:44 | 感想・紹介

ゲシェンク

[全員、チップを何枚か持ってスタート。毎回、山札から「失点カード(-3から-35まで)」が出てくるので、手番のプレイヤーはこの失点カードを諦めて取るか、とりたくないのでチップを場に1枚払うかする。失点カードを取る場合、場に溜まっているチップも全部取る。山札が尽きた時点で失点の一番少ない人の勝ち。]

実のところこのゲームに対してはだいぶんアンビバレントな感情を持っていて、そのために以下の感想文も混乱したものになるのは間違いない-そういう一切の余計な思いを切り取って、面白いか面白くないか、と言う話だけして終えてしまおうというのであれば、躊躇なく「面白い」と言い切ってしまって構わない。あるいはその度合いを一言で評するのであれば「佳作」ということになる。のだけれど。それで終わりにしてしまうには余りにも何か、惜しい感じがする。-何がいいたいのかというとですね。とても身勝手な言い草ではあるのですが「もっと面白くても良かったんじゃないの?」ということなのです。 Moegul (M.Schacht / Timbuktu 2002) を更に洗練された形で表現したようなルールを読んだときには、10年に1度というレベルを想像していましたから。どこに問題があったのかというのは分からないのですが、作者側のやりたかったこととわたくしの期待する方向が単純に思い切りずれていた、ということはあるかもしれません。何を期待していたのかといいますと、極度に単純化された現在の「取るか取らないか」の意思決定が後になって致命的に効いてくるのが分かりきっているという時の躊躇とか痛みとかそういった諸々をゲームの開始から終了まで途切れることなく感じられる、というような要するに胃痛系の傑作なんですが、実際に提供されているものはむしろカード運に思い切り翻弄されるなかでそれでもまあなんとかして期待利得が高まるよう頑張って遣り繰りしなさいね、というもので、確かにカードゲームにおける一つの王道と言える方法ではありそういうものとして楽しむ分には(若干プレー時間が長いかな、という点を除けば)これはこれで立派なゲーム、ではあるわけです。わけなんですけど。なんですけども。このルールで胃痛への道を切り開こうとしないのは余りに勿体無いのではないか、個人的な思いとして言わせて頂くならばネタ殺しに近いんじゃないかという気分すらあるのです。

Geschenkt
by Thorsten Gimmler
Amigo 2004
★★★
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by Taiju_SAWADA | 2004-12-31 10:57 | 感想・紹介

1825

[鉄道引きゲーム。「1829」に始まるシリーズ作品の一つで、シリーズの中では1829の直系リメイクという扱い。株券を買って・社長になって・列車を買って・線路タイルをマップに配置して・都市と都市を繋いで・繋いだ都市に支社を作って・客を運んで収益を得て・配当を出して株価を上げる。この文のそれぞれの箇所にそれぞれ対応するルールがくっついております。ゲームの勘所となるのは、たぶん運営する会社の選択と、線路の引き方(都市のつなげ方)をどうするか、といったあたりで、株の遣り取りに絡んだ話はそれほど大きな扱いにはなっておらず、つまりそういう意味ではごくストレートな鉄道会社運営ゲーム。]

吉田「四時間。
沢田「えー、もう勝ち負けはどうでもいいでしょう。
山根「よくわからない。
沢田「ルールはたぶんいろいろ間違えてるはずなので。
吉田「普段の我々の主義から言えば今日はゲームはやってないということになります。
山根「なにか儀式のようなことをやった。
吉田「敢えて何をやったというならやはりイギリスでしょうこれは。途中から凄くイギリス味が。
沢田「さて、良し悪しで言うならば、良い、と言わざるを得ない、が。
吉田「凄いよ。本気のイギリス人に殴り倒される感じ。なんでこんなことしちゃったんだっつう、ここまでやる必要ないだろうという力。こればっかりやってたら他のゲームはできないだろーねえ
沢田「これより軽いゲームは違うゲームとしか認識できないよねー
吉田「なんつーかねー、うん。我々はかなり甘かったかな。
沢田「うん。英米ゲーム進出計画いきなり第一歩で挫折ー、つー感じ。
吉田「ぼこぼこに殴られて終わり。負けてもいいのかなー、とも思いますけども。これってドイツゲームレベルまでダウンサイズできるのかな?
沢田「ボリュームを半分くらいには落とせるんじゃない? つーかそういうゲームは探せばあるんじゃない?
吉田「つまりはボリューム=イギリス、という。とにかくねー、確かに不合格とまでは言わないんだけど、いろいろとイギリス的な見づらさを持つ数々の物事がストレスを溜める。なんとかならんですかね。
山根「なんか一へクスあたりの情報量がなんかおかしいので。
吉田「遊び易さを無視して詰め込んでる
山根「プレイアビリティ? お前らがスキルを伸ばせ。
沢田「そんなこと言われても。
吉田「絶対そーだよな。どこまでもやれるんだぞ、つーことを見せ付ける。これでスキルが上がって騙しあえるようになってくると人生がかかってくるかなー
沢田「やればやるだけ上があって天井は無いな、というにおいはたしかにあります
山根「天井が見えてくるとバージョンが上がっていよいよ退路を絶たれる
吉田「プレイヤーがそれに従って成長していけよ、というのがイギリスのゲームの志向なんじゃないか、というのは真面目に思いました。ウォーハンマーにしてもそうだし。プレイヤーが熟練するほど面白くなる。一生遊べ、と。
山根「これを遊べてこそジェントルマンだと。

吉田「ところでこれ4人5人でやるとどーなるんだ?
山根「列車が足りないねえ。
吉田「株重視?
沢田「4人までなら想像つかないこともないんだけど。5人は嫌な感じがする
山根「社長が独走できなくなる。ですぐMandAか。二人で談合してトレードとか。

沢田「で、今回のゲームについてはどーすればよかったんだろ。
吉田「序盤は金の面では関係なくて地作りだけだから、
沢田「だからアドバイスとしては、株をとにかく買っておけ、は正しいんだ。
吉田「で、その後どうすればいいんだろうか。ただアドバイスとしてもちょっと乱暴かもしれない
沢田「確かに1回目2回目の我々には大変すばらしいアドバイスだけど、そのあとどうなんだろーね
吉田「そのまま固まっちゃうと展開が膠着しそうかも
沢田「線路引きの嫌らしさに走る?
山根「そうそう嫌らしくできない
吉田「できない。おもったより改変できちゃうし
沢田「そーかあ? 思ったより改変できなかった気がするけど
山根「いや、そもそも最初に引ける線路が限られてるんで
吉田「そーすると次回のプレイでは、結局タイル枚数を全部覚えることになる。定石もたいへん大事。覚えなきゃいけないことがえらく多い
沢田「まあ結局、
吉田「繰り返しやれ、と。
沢田「やだ。
吉田「やだ(笑)。2回目やったとしても結局、また正しくできなかったー、つうのがオチじゃないかと。なんというか箱開かないほうがよかったという気もちょっとだけする。それに2回目の人が1回目のひとと一緒にやるのがまた酷
沢田「ルール喋るのが面倒だし、1回目のひとが気の毒でもあるし
吉田「1回目のひとだけで組んで後ろからアドバイス、とか。
沢田「あるいは1825あきらめていきなり1830に移行して、我々も1回目の人として始めるとか。『最初にひとつだけ言っておく。俺らも分からん。』
山根「収拾がつかなくなる。

吉田「さて。評価としては、うーん、凄い。同時に、凄く駄目。
沢田「すごい。けど、見たくない。
吉田「そういう評価で。星はつけません。+10か-10。絶対値10。
山根「それじゃ20段階評価じゃないか。んーと、8なんだろけど。でも8つけたくないんだよ。8つけるのは憎たらしい。理性では8、感情では7、ってところか。
沢田「あーどうしようかなー評価。
吉田「このゲームは敵でしょ?
沢田「敵なんだけどねー。
吉田「手強い
沢田「かなり手強い。
吉田「うかつにも面白いと思ってしまうあたりが
沢田「うーん。6かなー。
山根「シンプル化に問題があるだけで、着想の面白さが
吉田「着想じゃないでしょ。これは一言で言えば、使いたくない言葉だけど魂の問題。
山根「やだよイギリス魂なんて。
吉田「自分たちが唯一絶対に正しいと信じて疑わない人々の魂。


1825 (Unit 1)
by Francis G. Tresham
(Hartland Trefoil, 1994)
沢田★★★/山根★★★★/吉田-
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by Taiju_SAWADA | 2004-11-07 11:35 | 感想・紹介

サンクトペテルスブルク Sankt Petersburg

[カードを買って得点を得るゲーム。各カードには「購買コスト」「色(決算タイミング)」「決算ごとの収益金」「決算ごとの獲得勝利点」が示されていて、要はカードを買うとそれに見合った収入なり勝利点なりが毎ラウンド入ってきます。基本的にはそれだけのゲームで、どのタイミングでどういうカードを買っていくか考えるのが基本。プレイヤー間相互作用に関しては、カードの取り合いとか終了タイミング操作のほかに、「場に出てくるカードの種類はフェイズごとに決められており、そして場に出てくる枚数は、直前のフェイズで売れ残ったカードの量によって決まる(要するに合わせて8枚になるように出てくるのです)」というルールによって確保される。]

えっと、はい、大変結構だと思います。もう模範解答っちゅう感じで。その問題はいつ誰が提出したのかといえば、とりあえずはAleaがPuerto Ricoという形で、ということになるのでしょうが、あるいはもっと遡ってWizards of the CoastがMagic:The Gatheringによって、という言い方のほうが正しいかもしれません。

「多様なデータを組み合わせることによって複雑性を確保する」という手法は、ゲームに奥深さ(というのか、競技性というか、あるいはリプレイアビリティとでもいうのか、言葉はどうでもいいんですけども)を与えようとする際には標準的に用いられる手法ですが、この手法を取ると必然的にルールの量は増大し、まだしもそれがゲームの全ての要素にかかるようなものであるのならば我慢できないこともないのですが、得てして個々のデータに対してそれぞれ別個の全く異なったルールが与えられるということになってしまいます。一言で纏めてしまうとエレガンスの欠如ということになりましょうか。そんな意味なく気取った言葉を使わなくとも、単純にルール量の増大(とその不統一性)はゲーム把握のためのコストの増大を意味しますから、どうしたって「さて始めようか」と気軽に持ち出すことができなくなります。

そうは言ってもデータを組み合わせて強い弱いを云々するのはやっぱり楽しいしさー、M:TGはなんだかんだ言っても革命的だったわけでー、もう初めてゲームした頃には戻れないんだしー、マルチプレーの肝たる相互作用を充分に確保した上でその相互作用の量の増大を意図して数十程度の個別データ/ルールを持ち込むのは有りじゃないの? という問いがPuerto Ricoだった、とするのであれば。エレガンス陣営による「ルールの総量を押さえ込み統一性を保ったまま、データの多様性に耽溺するようなゲームを作ることは可能である」という宣言が、このゲームなのだと思います。

どのようなプレーが正しいか/間違っているのかということは割と明確に決まっていて、しかしそれはルールから自明というような類のものではなくある程度の分析を必要とするので、単純な知識の有無というレベルにおいて「技術差」がある場合にはほぼ勝敗がゲーム開始時点で予期できてしまう、という欠点(欠点ですとも。)は解決されていません。このため、あらゆる人々が同じテーブルにつくことができるとは残念ながら言えないのですが、この点についてはこのジャンルを採用した以上如何ともしがたい部分であり(この部分を解決したゲームが現れれば、ボードゲームのデザインにおける一種の革命と言えるんじゃないでしょうか)、これをもって非難を加えるのは酷というものでしょう。ここはやはり、10分でルールを把握できて(「つまり何をすればいいのか」ということが理解できて)、技術レベルが同じプレイヤー同士でならばとりあえず何の問題も無く楽しめてしまうという、このルールの(あるいは用意されたデータの)美しさを素直に堪能すべきなのでしょう。

Sankt Petersburg
by Michael Tummelhofer
(Hans im Glueck, 2004)
★★★☆
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by Taiju_SAWADA | 2004-11-03 21:37 | 感想・紹介

レイルロード・ダイス Railroad Dice

[サイコロを振って鉄道会社の株を買ってオーナーになり線路を引いて駅をつくるゲーム。但し「サイコロを振って」は「線路を引いて」のみにかかるのではなく文全体にかかる。つまり、現実には駅を作る行為も株を買う行為も線路を引く行為でも、必要になるのは金銭であるわけで、このゲームではその金銭そのものの代替としてダイスが与えられる。従ってプレイヤーにはターンごとに「資金」としてダイスが複数与えられ、プレイヤーはこれに対してどれだけの資金を使う(=振る)か決める。振ったダイスには「線路引く」とか「株券買う」とか書いてあって、という按配。ちなみに振らなかった資金は駅を建てるためのコストとして使用される。駅を建てた鉄道会社のオーナーには、その数に応じて勝利点が授与されます。]

欠点を書き出していけばそれだけで延々と続けていけるゲームではあって、まず一番の問題は「ルールの説明にかかる時間がゲーム時間(90分)の三分の一」ということになるでしょう。いや、その90分が濃密なものであれば、これは欠点とまでは言えないのでしょうが、このゲームの90分はそういうものではありません。ルール説明の30分は、複雑に絡み合う諸要素の説明に費やされるのではなく、特殊なメカニズムを採用したが故に避けがたく発生してしまう例外事項や注意事項の説明と、ゲームの破綻を避けるために付与された特殊ルールの説明に終始します。

もう一つの欠点は、株式によってオーナーの権利を奪い合うことが志向されているルールであるにもかかわらず、そのような乗っ取りを頻繁に発生させるにはあまりにも株式の流動性が低いこと。これは「そもそもサイコロの中に株券購入の目が1/6しか含まれていない(自由行動の目が1つあるので、株券購入ができる確率は1/3なのですが、自由行動は大変価値の高い目なのであんまり積極的に株券購入に使う気にはなりません)」ことと、「全5社中4社の新株が売り切れるまでは“中古”株は買えない」ことの二点、特に後者が主たる原因でして、後者の条件が満たされるのはゲームの終盤(下手するとゲーム終了まで条件が満たされないことも)ということになってしまいます。この結果、ゲーム序盤に一人一人が1社ずつ過半数の株を買ってオーナー権を確定させ、、残った1社に関する取り合いは発生するにしても、株券をめぐる争いは実質これだけということになってしまいます。せっかく用意されている株のルールがいまいち意味の無いものになってしまい、概ね鉄道を引くだけのゲームというところに落ち着いてしまっているのです。

ならば、まあ引けばいいか、ということで引きますと、ここではかなりの部分が「自由行動の目をどれだけ出せるか?」ということに左右されてしまう、という話が出てきます。これを三つ目の問題とすることもできて、もうちょっとこの部分はなんとかならなかったのかな、という気分は正直なところあります。とはいえ、そもそもダイスを大々的に取り上げているゲームであるという時点で、さほど緻密な戦術が要求されるゲームであることを期待してもしょうがないんで、この点については他の二点に比べれば大きな問題とはならないでしょう。どちらかといえばこの点は、第一の問題点のサブトピックとして扱われるべきもので、「こんなダイスメインの軽いゲームなのになんでルール説明が延々と終わらないのか」という形で(のみ)取り上げられるべきものだと思います。

さて、これだけうんざりするような要素を兼ね備えつつ、それでも捨てきれないだけの魅力をこのゲームは持っています(持っている、と思います、たぶん)。何が楽しいのかと言えば、主にダイスが楽しい。ダイスを「振るのが」ではなく、「ダイスが」です。じゃらじゃらしたダイスを資金として持っておくこと、振ったダイスを線路に見立てて置いていくこと、自由行動の目を使わずに自分の前にリザーブしておいて勢力を誇示すること。無論これは偶々それが楽しかったということではなく、「ダイスの目を線路に見立てる」というところから(おそらくは)出発して、そのようなゲームにおいてダイスはどのように扱われるべきものなのか、という点を正しく組み立てていった結果であると言えます。特に「振った目」が線路(*)であるのに対して、振る前のダイスは「線路にも変えうるもの」であるという点で「資金」として扱われるというアイデアは綺麗で、また新しくもあります。

(*)もっと厳密には、振った目は線路そのものというよりは「線路を引く」という事業というか行為を示していると解釈するほうが妥当です。そのため、線路を引くという事業について、トンネルを掘る必要があるなど通常以上の困難が発生する場合には、追加の費用が発生し、そしてこの追加費用は(単なる線路である「振った目」ではなく)資金そのもの、つまり振る前のダイスで支払わなければいけません。単に「追加でもう一本線路が要る」としなかったところが素敵だな、と思うわけです。

新しさに価値はあるのか? という話もありますが、ここでは、「このゲームの新しさには価値がある」と言いきってしまってよいと思います。単に珍奇であるというのではなく確かに筋の通った新しさであること、その新しさを核に据えて一つのゲームを(あるいは、このゲームに触発されて現れるかもしれない複数のゲームを)充分に支えきれることは、大きく評価されてしかるべきことです。デザイナー一人で立ち上げているような小メーカーのゲームには、やっぱりこういったものを期待したいなー、と。

Railroad Dice
by Jens Kappe
(Wassertal Spielverlag, 2003)
★★★
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by Taiju_SAWADA | 2004-10-16 22:06 | 感想・紹介

The Penguin Ultimatum

[得点カードの周りに権利カードを置いていって、得点カードの周りが埋まると決算。置いた権利カードの数字に応じて点数が入る。但し、得点を入手するためには、先に得点カードの上に「チップ」を置いておかないといけない。一枚の得点カードの上には一枚のチップしか置けないので他のプレイヤーとの競争になるのだが、プレイヤーは3枚しかチップを持っていないので、あまり早い段階で置いてしまうと延々と得点が入らないまま焦らされることになる。あとは権利カードを置く際の細かいルールとか、ボーナスポイント関連のルールがいくつか。]


そもそもこういう「最初に入った人にだけ権利があるんだけどできるならなるべく遅いタイミングで入りたい」もののゲームと相性が合わない、というのは確かにあるかもしれません。詰まらないとは思わないんですけど、どのゲームも同じにしか見えないのです。

このゲームは同系統の他のゲームに比べると、ややそのあたりのジレンマは薄めにできているのかな、という気がします。ここではジレンマのきつさというのは概ね「入りたいところに先に入られた際のどうしようもなさ」によって規定されるのですが(但し、これを強くしすぎて「なるべく遅く入りたい」が消えてしまうとゲームとして成立しなくなります)、このゲームはそこそこ逃げられる...んじゃない? というくらいの取り方になっています。まあ他のところで勝負すればいいか、とか、別のチップで稼いでるからいいかなー(ほんとは良くないんですけど、気分として)、という。その代わり「なるべく遅く」の部分もそんなに強くない。得点カードの上に置いたチップが複数あり、しかもチップの移動についても多少の制限はあるものの、まあ問題なくできる。

で、ジレンマ自体は比較的弱めにできていて、そうすると他にどういう遊びかたがあるのかといいますと、プレイヤー同士の潰しあいということになりましょう。権利カードの配置によって各プレイヤーに有利っぽい範囲みたいなものができてくるのですが、それを如何に効果的に潰していくか。どっちかというとそちらが主となると思いますので、プレーの感覚はプレイヤーがどれくらい好戦的かによってたぶん変わってくるんじゃないでしょうか。守備的なプレイヤーが多くなると、ちょっと地味目のファミリーゲーム、という臭いが強くなります。今回はそういうゲームになって「うーん地味ー」という感想でした。面白いのは好戦的なプレイヤーが集まったプレーだと思いますが、ただ戦略上どっちが有利か(つまりゲームの印象がどっちに収束するか)、となると微妙ですね。

あと、ゲーム自体とは関係ないっちゃ関係ない不満なんですが、なんでこのゲームを出したかったのか、というのがいまひとつ見えない、という点があります。プロフェッショナルが作って大手メーカーが出しているゲームならば、シンプルに金のため、で何の問題も無いんですが、Eight Foot Llamaって同人メーカーでしょう。世の中に腐るほどゲームが存在する中で敢えてアマチュアが更なるゲームを世に出す、というときには、何らかの「このゲームを出さなければならなかった」という理由が必要なのではないか。そして(プロダクトの品質は低く、完成度への期待もさほどは持てない)同人ゲームをプレーすることの楽しみというのは、第一にはそのデザイナーの問題意識をシステムから伺うことにあると思うのです。ところがこのゲームのシステムは「早乗り系」の一言で片付くもので、プレー感覚も「地味目のファミリーゲーム」という、平たく言って上記の期待とは真逆をいくものです。このゲームを作った理由がシステムからは分からない。いや、これが堂々たる完成度を誇る傑作というのであれば、そういうことは気にしなくても構わないかもしれないんですけども、別にそんなに凄いゲームってわけでもないんで。

The Penguin Ultimatum
by Jim Doherty
(Eight Foot Llama, 2003)
★★
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by Taiju_SAWADA | 2004-10-05 00:36 | 感想・紹介

ビラボング Billabong

[駒五つ持ちのトラック一周レース。最初に全駒ゴールさせれば勝ち。手番には、自分の駒を一つ選んで、一歩移動(これは非常手段)かジャンプ移動(こっちがメイン)を行う。ジャンプ移動は、適当なほかの駒を指定して、その指定した駒を中心として自分の駒との対称点まで、自分の駒を移動させる、というもの(但し、間に障害物、というか第三者がいてはいけない)。ジャンプ移動は行えるかぎり一手番に連続して何回でも行える。ジャンプ駒を利用してスタート地点から一気にコースを半周したりできるのが醍醐味。]

このゲームをプレーして気づいたのですが、わたくしこの手のゲームならばほぼ無条件で好みのようです。「この手の」というのはつまり、他の駒との位置関係絡みのインタラクションを利用したパズルっぽい移動ルールを用いる、一人複数駒持ちのレースゲーム。「大円形競技場@古代ローマ」なんかもまさにそのジャンル。何で好みなのか、といわれるとなかなか説明するのが困難なんですけども。でもほら、駒がいっぱいあって多人数でみんな好き勝手動き回るから必然的にケイオティックで、でも乱数一切無いからなんか読み筋がありそうな気がして、そうでなくても後のこと考えないでの最善手っぽい手を探すだけでもけっこうがんばる必要があって、その無駄に考える疲労感が心地よくて、ついでに言えば次の手まで決めて動かした後で他のプレイヤーが状況を弄ってしまわないようにこっそり祈る瞬間とかとってもスリリングで、って感じでいろいろ楽しいじゃないすか。
あるいは、さっきは「ジャンル」と書いたんですけど、そのジャンルに入れる、ということ自体がもう評価なのかもしれません。つまんないゲームだと、パズルっぽさを狙ってもパズルっぽい爽快感がぜんぜん出なかったり(つまるところ「解けた」ときの開放感の話)、インタラクションもぜんぜん起きなかったりして、そもそもさっきの定義によるところのジャンルに含まれないのかなー、と。


Billabong
by Eric W. Solomon
(Franjos 1994)
(Amigo 1995)
(Franjos 2002)
★★★★
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by Taiju_SAWADA | 2004-09-14 23:10 | 感想・紹介

そっとおやすみ Schlafmuetze

[「うすのろばかまぬけ」とかその系統のゲームのバリエーション。手番のプレイヤーはカードを隣に一枚渡す、という作業を続けていって、カードの絵柄がそろったプレイヤーは、手札を“そっと”伏せる。誰かがカードを伏せた(ということに気づいた)ら、あとはカードがそろってるプレイヤーもそろってないプレイヤーもカードを伏せる。一番遅かった人の負け。]

子供ゲームにこういうことを言うのもどうかとは思うんですけど、でもまあ言うんですけど、これゲームとして成立してないです。まず第一に、手札を「そっと」伏せることのメリットが別に無い。そっと伏せるというようなことに気を配っている暇があったらほかの事に気を配れ、という話でして、実際このゲームにおいて手札の持ち方の基本は、全部カードを揃えておいて親指と人差し指の2本指で支えるように(手を離せばいつでもすぐに「伏せ」られるように)持つ、ですから。普通の「うすのろ」系ゲームでこれをやるといつまで経ってもゲームが終わらないんですが(要するに子の持ち方は「自分で絵柄を揃える気はない」つうことですんで)、このゲームの場合、絵柄の都合により揃える気がなくても誰か一人くらいは揃ってしまい、ということはこの持ち方でないと確実に負けてしまいます。まあそれは大人になることで回避するにしても、より根本的な問題として、だれが「負け」なのかわかんないんですよこのやりかただと。普通の「うすのろ」では、人数マイナス1個のトークンを用意しておいて争奪戦、ですから、負けた人が誰なのかは非常に分かり易い。ところが、誰が一番最後にカードを伏せたか、なんて言われても、これはビデオでも回しておかないとわかりません。増して全員が既述の「臨戦態勢」で臨んでいた日には、殆ど全員が同着になってしまいます。
白熱するのは確かではありますが、じゃあ許せるか、となると無論話は別です。


Schlafmütze
by Ulrike Fischer
(HABA, 2002)
★☆
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by Taiju_SAWADA | 2004-09-14 23:05 | 感想・紹介