カテゴリ:感想・紹介( 47 )

サンファン San Juan

[Puerto Rico の同作者によるカードゲーム化。工場を建てて原材料を工場に持ち込んで売却して金銭を得て金銭払っていろんな建物(いろんな特殊効果つき)建てて、という流れはプエルトリコを簡略化したもの。カードゲームなので原材料も建物も金銭もカードによって表現される。原材料獲得だったり建物建設だったりのフェイズの流れが、プレイヤーの意思決定によって変わってくるというあたりもプエルトリコと一緒。最終的に建物建設によって得られる勝利ポイントを最も多く稼いだプレイヤーの勝ち。]

確かに詰まらなくはない、というよりも場合によっては積極的にかなり面白いと言う評価を出してしまうことすら可能なゲームではあります。個人的にも、2ゲーム行ってそのうちの少なくとも片方については充分に楽しませていただきました。しかしこのゲームは、その「場合」の範囲において見過ごせない問題を抱えています。

このゲーム、勝つために何をしなければいけないかという点については非常に単純にできていて、要するにそれは「手札をより多く入手すること」。なにしろこのゲームでは「手札」というのが唯一のリソースなのでして、ということは手札をより多く手に入れるために、可能な方法の中から何を採用するのか、というのがプレイヤーが行うべき意思決定の全てとなります。

この単純化はどういう結果になるのか。元となったボードゲームであるプエルトリコにおいては、奴隷・農地・作物・建物(工場)・金銭・そして勝利点が全て別個のリソースとして存在しており、特に金銭または勝利点という「最終的に必要なもの」を入手するためには奴隷・農地・作物・工場の全てを適切に入手し適切に活用しなければならない、という高いハードルが課せられていました。この高いハードルは、プエルトリコというゲームが持つ豊かなプレイヤー間相互作用の源泉であると同時に、所見の人間を思い切り引かせる原因でもありました。ここを取り払うということ自体は、単にひとつの選択であり、「正しい」とか「間違っている」とかいうべきものではありません。プエルトリコの「深さ」を捨てる代わりに、より取り付き易く気軽に遊べるものに仕立てることができるようになる。この時点ではそれだけのことです。

「単にひとつの選択」で済まされない点は、プエルトリコのもうひとつの特徴、より適切に述べるならばプエルトリコからサンファンに引き継がれたほうの特徴にあります。つまりは一つ一つの建物に付与された特殊効果。例によってと言うべきか、「使える」特殊効果と「使えない」特殊効果というのが混在していて、これをきちんと把握していないと、ゲームが成立しません。これを把握するためには、一ゲームか二ゲームくらいの経験は必要となります。まずここで前段との方向性の齟齬が生まれます。

そして更なる問題点。特殊効果(と、ゲームの基本的な了解事項)を把握した時点で、このゲームはほぼ「終わってしまう」のです。理由は二点。まず、特殊効果は(プエルトリコの「金を揃えたら早い者勝ち」方式ではなく)カードのランダム配布方式によって行われるため、戦略の選択は配布されたカードによって大幅に制限されることになります。そしてもうひとつ、前段で述べたように、このゲームにおいて必要なものはとにかく「カード」だけであり、そしてカードの獲得には複数の方法が用意されているため、いったんプレーの方針(つまりは主力となる建物ですが)が定まってしまえば、あとは他のプレイヤーの動向も相互作用も関係なく、ソロプレイ的に結果を出してしまえるのです。

「特殊効果を把握していないプレイヤーが、特殊効果を把握しているプレイヤーと混じった場合、楽しく遊ぶことができない」「特殊効果を把握しきってしまったプレイヤーは、楽しく遊ぶことができない」この二つの但し書きに引っかかりさえしなければ、確かにサンファンは楽しいゲームではあります。しかしこの但し書きは、いくらなんでも狭量に過ぎるのではないかと思うのです。

San Juan
by Andreas Seyfarth
(Rio Grande Games, 2003)
(Alea, 2004)
★★☆
[PR]
by Taiju_SAWADA | 2004-08-23 00:17 | 感想・紹介

チョコ・アンド・コー Schoko and Co.

えらいこと残忍なビジネスゲーム。カカオを入札で買ってチョコレートに加工して売却するというだけの流れなんですが、最も重要な点は加工に必要な人件費の高さと、チョコレート売却価格の不安定ぶり。不安定と言うのはまあ乱数を使ってはいるのですが、使い方が凝っていてむしろスキル差を強調するような結果になっている。問題点と言えばあまりに凶悪すぎる点で、差がいったん開くと縮めるのはまあ確実に無理かなと。何せ序盤の一ターンであっさり再起不能まで落ち込めますから。あとはイベントカードの使い方が、このあたりはさすがに昔のゲームと言うところで。だいぶ雑です。問題といえばかなり問題のあるデザイン。でもここまで残忍だとそれはそれで有りという気になってくるから不思議。

Schoko and Co.
by Yves Hirschfeld and G. Monnet
(Schmidt, 1987)
★★★
[PR]
by Taiju_SAWADA | 2004-08-15 13:04 | 感想・紹介

ジャンク Dschunke

[色々な船から色々な商品を入手して売り払って勝利点を得るゲーム。全員一行動→全員商品追加補充→売り払い。で一ターン。これを繰り返し。行動は「船から商品補充」「船から勝利点獲得」「船から荷物積載」から選択(どの船で行動を起こせるか、はターンごとに変わる)。商品や勝利点を選択した場合、得られる量は、それまでにその船に積んだ(有効な)積荷の量で決まる。売り払いフェイズでは、全員で入札を行い、各商品につき最も多い枚数を提示したプレイヤーが勝利点を獲得する。問題は、競り勝てなかった場合も提示した商品は没収されてしまうことで、このおかげで色々な思惑が錯綜することになる。]

素性の悪いゲームでは決して無いと思う。思うんだけどもどうも乗れなかった。理由は割とはっきりしていて、このゲームは各ターンに一通りのことを行って収支出して10ターン構成、というふうになってんだけども、そのターンごとの収支があまりにもくっきりしすぎてるのです。ちょうど「アッティカ」の感想文で喋ったのと逆のことが起きてる。一応、後のターンを見越した投資のようなこともできるようにはなってるんだがー、実は「ジャンク」では自分が後々どういう行動を取れそう(とる権利を獲得できそう)かという点について相当に正確な見通しが立てられるようになっていて、でその仕組みが、少なくともこの論点については逆効果になってる。「将来に賭けてリスクを取る」ものであるはずの投資が、ちょっと慣れればあっさりと現在価値に割り戻されて計算されてしまう危険。

他にも、いろいろと「こうすればああなります」というのが明確なつくりになっていて、そういうのが好みの人ももちろんいっぱいいるんだろうけれど、わたくしは主に上記の理由から、このゲームに関してはもう少し乱数でぼかして仕上げるべきだったのではないかと考えます。

Dschunke
by Michael Schacht
(Queen, 2002)
★★☆
[PR]
by Taiju_SAWADA | 2004-08-15 13:03 | 感想・紹介

アッティカ Attika

[タイル置き。手番になったら、「自分専用のタイル山からタイルを2枚めくる」か、「既にめくってあるタイルを3枚まで置く」か選ぶ。タイルを全部置ききれば勝ち。タイルを置く際にはコストを払う必要があり、置きたいマスに描かれているフリー資源か、または手元のカード(行動をパスすると貰える)で支払いを行う。というわけで良い資源のあるマスを早い者勝ちで奪い合いたいのだが、一方で、「タイルを一定の順番で置くとコストが只になる」というルールがあり、これを狙ってタイルを引き続けるという方針も考えられ、さてどうしたものか。]

「新しい」とまでは言わないものの、現在の主流から外れた(*)システムを意図的に採用し、結果を出していると思います。

派手な一発逆転が存在しないので、終盤にさしかかったあたりで上位とだいぶ離されていたりすると、モチベーションがだいぶ落ちてしまうというのは難点であって、さらに言えば「派手な一発」が存在しないということはそれ自体が「地味」ということにもなってしまうというところはあります。とはいえ、それはこのゲームでは致命的な弱点になってはいません。

点差と言うものが、単に毎ターンの得点差を積み重ねた結果の現れだったとすると、いちいち毎ターンの行動の正否を確認しなければならず、さらに、今回のターンの失敗をリカバーするには、今回のターンと基本的には繋がりのない「次回のターン」の得点をどうにかするしかありません。ということは「今回のターンの負け」は確定事項であって、基本的に取り返しがつかず、そしてその事実は毎回のターン終了直後に突きつけられてしまいます。

アッティカにおける「点差」というのはそういうものではなくて、最初に採用した戦略がタイル引きの結果あるいは他プレイヤーの動向によって変更を余儀なくされる、そのタイミングをどれだけ正しく見積もったのかという成績(いや、単に引きがものすごーく悪かったとか良かったとかそれだけかもしれないんだけど)が、中盤の終わりから終盤にさしかかったあたりで、初めて明確なものとなって現れるのです。もしかすると、得点と言うものが明確なものとして始めて意識される時点を、このゲームにおける終盤の始まりとしてみるべきなのかもしれませんが。いずれにしても、それより手前の時点においては、自分のとった行動の良し悪しは、予感として現れ、それ以上のものには発展しません。予感された失敗の少なくない部分は、何らかの形でリカバーをとることによって「なかったこと」にしてしまえます。

そして結果が現れた時には、プレイヤーは自分の失敗(いや、単に引きが以下略、という考え方も勿論ありだが)を思い返すことになります。それはリカバーに失敗したために顕在化したのかもしれないし、リカバーがそもそもできないような大きな失敗だったのかもしれないし、そもそも戦略自体に無理があったのかもしれないし、単に運が悪かっただけなのかもしれない。でもはっきりしていることは、そこで思い返される失敗というのは「大きなものがひとつかふたつ」という形をとるということです。

前者と後者で何が違うのかというと、今回のゲームの終盤においてやる気がなくなるという意味では別に何も変わらないんだけれども、次回以降のゲームに対するモチベーションが違います。前者だと「なんだか全体的に駄目だったよねー」で終わってしまいますが、後者ならば「今回はここが駄目だったので次回はそのへんを意識してみよう」ということになります(**)。アンチクライマックスは勿論欠点でしょうが、後者の場合にそれが致命的なものとはならないのは、ゲーム自体への信頼までは揺らがないからでしょう。

というわけで比較的健全な上達意欲を喚起するゲーム(***)。ルールも充分に平易で、誰にでも安心して薦められます。メルクレは創作姿勢まで含めて信用できるデザイナーだと思います。

(*)というほど「現在の主流」を追いかけている訳じゃないんですけど、「自分のタイルを(時間コストを払って)手元に引き寄せてから置く」「全部置けば勝ち」という基本ルールを採用したゲームというのは、一見多いように思え、しかし考えてみると全く思いつかなかったのでこう書いてみました

(**)もっとも、そのへんを意識して次回のゲームに臨むと今度は別のところで問題が発生する可能性があり、上達意欲が必ずしも短期において直線的に上達に結びつくかというとそうでもないかもしれない

(***)わざわざ「健全な」と入れたのは、特にこのクラスのゲームにおいては「上達意欲」というものが必ずしも良い方向に作用するとは限らないからです。始まる前から結果の分かっているゲームなぞ誰がやりたいんかね、っつう話。

Attika
by Marcel-Andre Casasola-Merkle
(Hans im Glueck, 2003)
★★★
[PR]
by Taiju_SAWADA | 2004-08-15 13:01 | 感想・紹介

オアシス Oase

[土地を入手して、その土地用の商品を手に入れて、勝利点=土地面積×商品数というゲーム(土地は4種。なので商品も4種)。特徴的なのは行動決定フェイズで、まず全プレイヤー、自分専用の山札から、行動カード(土地1マス広げるとか商品2つ貰うとか)を1枚ずつ最大3枚までめくる。次に、行動順の早いプレイヤーから順に、他プレイヤーのめくった行動カードセットのうちから一組選び、カードの内容を実行する。でもって、行動順1番のプレイヤーに選ばれたプレイヤーは次のターンでは行動順1番になり、以下同様。]


オファーをかけて行動順を獲得するというこのゲームの根幹システムが正直微妙なのかも、婉曲表現を用いずに言えば癌なのかも、という気はわりと強くしていて、というのはこのゲームでは「行動順トップ」を取らないと意味が無く、さらにその行動順トップを得るためには「特定の一人の気を引く」ことだけが重要になっている。したがって、有効なオファーの方向性が一定になってしまう。それだけならまだいいが、その「オファーのかけかた」であるところの1/2/3枚メディチシステムは、このゲームの「なんとしてでも特定の一人の気を引く」というのとはあまりにも食い合わせが悪い。目指すべき方向性がひとつしか存在せず、しかも「一着狙いか降りか」しか無いのに、手(つうかめくったカードですけど)の修正が効かないというのはあまりにもあんまり。1枚目をめくった瞬間に「トップ取れそうか?(勝負すべきか否か?)」ということがかなりの程度分かってしまうのは、いくらなんでも無しでしょう。

Oase
by Alan R. Moon and Aaron Weissblum
(Schmidt, 2004)
★★
[PR]
by Taiju_SAWADA | 2004-08-15 12:58 | 感想・紹介

フィルシーリッチ Filthy Rich

[看板を買って通り(1番地から9番地まで)に置いて、客が来る(サイコロ振って1から9まで)のを待つゲーム。看板には初期コストと税金(サイコロで0が出ると払う必要あり)と、客が来たときの収入、その他特殊能力などが書いてある。看板を置く際、他人の看板に覆い被せるような形で置くことにより、他人の看板を無効化したりもできます。お金を稼いで「ぜいたく品」を三つ最初に買ったひとの勝ち。]


乱数の派手な飛び交いと、陰湿な(でも実行力にはかなり疑問がある。なぜかというと乱数が強すぎるから)つぶし合い、そして最も重要な「金銭の綱渡り」。基本的には乱数飛び交う死地をいかにしてぎりぎりの所持金で潜り抜けるか、というゲームであってあとはギミックに過ぎないと言ってもよいと思うのですが、ギミックが楽しいので意外に飽きません。こういう「モノをいじくることの楽しさ」を主眼においたゲームというのは確かにほかの媒体を用いてはできないものでしょう。あんまりこうゆうのばっかりでも困るけど。

貧乏ぶりが重要なゲームなんで、3人だとやや緩すぎるかな。5人だとシビアすぎる感じなので、まあ4人ですかね。

Filthy Rich
by Richard Garfield
(Wizards of the Coast, 1998)
★★★
[PR]
by Taiju_SAWADA | 2004-08-15 12:57 | 感想・紹介

Intrigue : 公正と信頼の「反」交渉ゲーム

以下、 Intrigue とゆうゲームについて書くです。書いてみたらちょっと長すぎる上に話があちこち飛んで分かりづらくなってしまったので、見出しなどをつけてみることにしました。


0. ゲーム概要


相手に賄賂を贈って自国の人材を相手国の役職に就けてもらったり(役職に就くと、就いた職の重要度に応じて相手国からではなく銀行からお給金がもらえます)、相手から賄賂を貰って自国の役職に相手国の人材を受け入れたりする交渉ゲーム。すでに誰か他人が役職についているところに人材を派遣して追い落とすのも大事。この場合は賄賂バトルになります。全ての人材の処遇が確定したらゲーム終了、所持金の一番多い人が勝ち。


1. なんで「イントリーゲ」なのか。

もう10年前のゲームをいまさら初プレー。たいへん面白かったのですが、いっこだけ引っかかるところがありまして、それは何かというとこのゲームのタイトルなのです。 Intrigue とはすなわち陰謀のことであるのですが、このフェアネス精神溢れるゲームの呼び名が「陰謀」は無いだろうと。そういう意見がほかにも当然あるだろうと思ってあちこちのレビューなどを読んでみたのですが、目に付くのは友達を無くさないように云々(ディプロマシーじゃないんだから)みたいな話ばかりで、あれ僕もしかして少数派ですか?

なぜこのゲームに(パブリックイメージやセルフイメージと違って)公正の精神が根付いているのか。それは単純なことで、「相手を騙して裏切って陥れる」ということに、殆どの場合メリットがないからであります。


2. ゲームの流れについて

このゲームの流れは、概ね「前半」と「後半」のふたつに分けることができます。前半は「良い役職が空いているところに人材を送り込む」フェーズ、後半は「既に埋まっている役職に人材を送り込む(前任者を追い落とす)」フェーズです。前半から後半への移行は、良い役職が概ね埋まったあたりで発生します。良い役職が空いているのであれば賄賂バトルなどしても何の得もありませんし、逆に役職が埋まっているのであれば、これはそもそも戦わないという選択肢がないわけです。むろん移行期には、上のほうの役職が埋まってきたあたりで「どれくらいの役職であれば『良い役職』と言っていいのか」「戦うことのコストはどれくらいか」を判断しなければいけなくなり、その結果として各プレイヤーの移行タイミングには差が生じることになりますが、とはいえこれはコストやリスクの計算法の問題であって、ちょっと早いタイミングで移行したからといって裏切り者呼ばわりされる謂れはどこにもありません。


3. 前半に行われること

前半は、「相手国に人材を送り込む(自国のターン)」→「相手国に賄賂を支払う(相手国のターン)」→「相手国が、人材をどの役職につけるか決める。なお、必ずいずれかの役職には就けないといけない(相手国のターン)」という流れで行われます。相手国のターンが来たときに、相手国に複数の人材が送り込まれているか一人しか人材がいないかによって話は少し変わりますが、まずは単数の場合。


3.1 人材が一人だけ送り込まれている場合の処遇

ここで最も重要なルールは「なお、必ずいずれかの役職には就けないといけない」というところでして、このルールがある限り、いずれ全ての役職は埋まってしまいます。全ての役職が埋まってしまうからにはいずれにせよ自分ではない誰かに俸給は支払われてしまうわけで、ということは、賄賂を貰う側にとって「敢えて低い役職にしかつけてやらない」という行為は、別にさほど有利には働かないということになります(*)。

(* 但し、俸給は毎ターン支払われる事から考えて、良い役職はなるべく空けたままにしておいたほうが、支払い総額は少なくなります。しかし、高い役職が空いているような国には人材が群がりますから、「良い役職につけない戦法」で稼げるターン数は高々1ターンというところでしょう。このような戦法をとることによって賄賂の額にどう影響があるかといえば、これは「良い役職しかない場合、どうせ空いた役職には就けないといけないわけだから賄賂など少額でよい」という方向に行く可能性と、「たくさんの人材が入ってきて賄賂競争が発生する」という方向に行く可能があり、これは展開しだいなのでこの場ではなんともいえません。)

この、「賄賂支払側にいじわるしても、賄賂受取側にとって損にも得にもならない」ということがポイントになります。仮にこれが、「良い役職に就けると賄賂受取側にとってはっきりと損になる」とか、あるいは逆であれば、賄賂の額に関わらず、良くない役職(あるいは良い役職)に就けようとする動機が発生し、とくに「良くない役職に就けようとする動機」が発生する場合には、裏切りがどうのといった話が浮上してくるのですが、そうではないと。それでも賄賂をたくさん払わせたいことには変わりないわけですから、どういうところに落ち着くかといえば「賄賂をたくさん払ってくれれば厚遇するし、賄賂が少なければ冷遇する」という態度を明確にすることによって、なるべく多くの賄賂を受け取る、となります。

では、「たくさん」とはどれくらいか。「厚遇」とはどれほどのものか。この感覚は人によって異なります。何しろ、役職に就いた賄賂支払側が得ることのできる俸給の総額は、どの時点で追い落としがかかるかによって全く異なってくるわけで、単純に俸給総額から山分けで、というような賄賂額の設定が取れないのです。追い落としを受けるリスクをどれくらい見積もるかは、人によって当然異なります。ということは、賄賂受け取り側にとっての「たくさん」と、賄賂支払い側にとっての「たくさん」とでは意味するものが違う可能性が大いにある。互いの「公正」の基準の違いをいかにすり合わせられるか。これがここで行われる可能性のある「交渉」の実態です。


3.2 人材が複数送り込まれている場合の処遇

複数の国から同時に一国に対して人材が送り込まれている場合も基本的に処理の流れは同様ですが、この場合、「先に人材を送り込んだほうの国が先に賄賂を贈る」ことになっています。賄賂の額は公開ですから、後に人材を送り込むほうが有利なわけです。ということは、人材を送り込むほうとしては、後から割り込んでこられるとあまり嬉しくない(後から飛び込んできたほうは「空いている最も良い役職」を得ることをベースに賄賂額を設定し、先に入ったほうは「空いている二番目に良い役職」を得ることをベースに賄賂額を設定するので、実際のところ戦闘というほど激しいことにはならないのですが、飛び込んでこられることが嬉しくない、という点においては変わりありません)のであって、「なるべく良い役職」と「なるべく飛び込んでこれないこと」の二つを念頭に置きながら、送り込み先を決定します。でもって、これ、想像できると思うんですが、交渉云々の問題ではありません。交渉して協定を結ぶというのは、互いに得になるからやるんであって、この場合は「互いに飛び込んでいかない協定」など結んだところで良いことなどなにもないのですから。


4. 後半に行われること

後半、誰かを役職から追い落として自国の人材を職につけようという場合。ふたつほどルール上のポイントがあるので、先にそれらを説明してしまいましょう。

a: 人材には5種類あります(各国とも、5種類×2人=10人の人材を抱えてゲームスタート)。追い落とせるのは同じ種類の人材だけです。後半ともなると、まだ派遣先を決定していない人材は限られてきますので、「あのすばらしい役職についているあいつを追い落としてうちの人材をつけたい」と思っても、その「あいつ」と同じ種類の人材を既に別のところに使ってしまっている場合、追い落としは不可能なのでした。

b: 追い落としをかけようとして賄賂バトルが発生した場合、まず、すでに役職についているほうの人材から、賄賂を役職提供先に払います。この額は公開です(なお、賄賂は必ず一定金額以上支払う必要があります)。その後、追い落とし側が賄賂を役職提供先に支払います。で、最後に、役職提供側が、どっちを役職に残すか決めます。結果に関わらず、賄賂は戻ってきません。ということは、追い落とし側が圧倒的に有利であると言えます。極言すれば、追い落としを誰かがしかけてきた時点で、追い落とされることが確定します。

おそらく、このゲームに「Intrigue」というタイトルが付いている由来は、上記ルールのbだと思います。「私はあなたを追い落とさないのであなたも私を追い落とさないでください」とゆう。しかしそこで問題になるのがルールaのほうで、追い落としによって良い役職を得たい場合、自分の抱えているのと同じ種類の(他国の)人材が良い役職についてないといけないわけで、そうするともう、良い役職を得たいというのが前提であれば選択肢は最初からあんまり無かったりします。選択肢を広く持っておきたければ派遣する人材の種類と順番には細心の注意を払う必要があり、むしろ後の結果に繋がりが大きいのは交渉よりもこっちの人材マネジメントのほうでしょう。

さらに、追い落としがかかった場合、争いの舞台になる国で双方からの賄賂を受け取るプレイヤーには、リスクフリーの収賄益が発生することも忘れてはいけません。良い役職をめぐっての争いとなった場合、収賄益が莫大な金額にのぼることもいくらでもあります。ということは、追い落としをかけようとしても、その舞台となる国のプレイヤーが現時点で自分より高い順位にいると予想される(所持金は公開義務なし)場合、その国で事を起こすのは可能な限り避けなければならず、というような要素も追い落とし先選択においては無論考える必要があり、そうすると「協定」などというものが意思決定に際して主張する余地などもはやどこにもないのです。そして最初から意味を持たない協定というのは、逆に健全なものになります。挨拶みたいなものですから、裏切りがどうとかそういう重たいことが発生するわけもないのでして。


5. まとめ

一般に、交渉ゲームが協定と裏切りをベースとしているのに対して、このゲームではそのような要素は用意されているにせよ扱いとしては大きなものではありません。交渉という面で見て最も大きい要素は、序盤において行われる「公正」の基準のすり合わせであり、交渉という言葉を取り払った時の一番大きな要素は、人材派遣の種類とタイミングです(二番目は所持金のカウンティングでしょうか)。つまるところこのゲームは、ぱっと見では「交渉ルールのみが整備された最小セットのルール」といういかにもな交渉ゲームでありながら、その実は交渉ゲームにおいて発生しうる様々に愉快な鬱陶しさとは無縁なゲームなのであって、従って交渉量(というか喋る量というか)は多いのにたいへん後味爽やか、という全くもって素敵としか言いようの無いプレー感が保証されているのですが、どうも周りには同意見のひとがいないようで、わたくしといたしましてはこれはなぜなのだろうと首を傾げるしかないのでありました。



イントリーゲ Intrigue
by Stefan Dorra
(FX Schmid, 1994)
(AMIGO, 2003)
★★★☆
[PR]
by Taiju_SAWADA | 2004-07-31 14:14 | 感想・紹介