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ブルームサービスに魔法がかかっていない理由

えー、唐突ですが、ちょっと軽く「魔法にかかったみたい(Wie verhext! by A.Pelikan / Alea 2008)」と「ブルームサービス (broom Service by A.Pelikan and A.Pfister / Alea 2015)」の比較をやってみたいと思います。周知のごとく(というのは「こんなサイトを見ている人にとっては」という意味で、何かの拍子で開いてみただけの人には当てはまりません)「ブルームサービス」は「魔法にかかったみたい」の後継作で、「魔法にかかったみたい」が採用していた独創的なシステムをほぼそのまま引き継いで別のゲームを作っているわけですが、その別のゲームの載せ方がどうにもよろしくないように思えるわけです。ということで、魔法にかかったみたいがどんなゲームだったか、ブルームサービスはどんなゲームか、何が引き継がれていて何が落ちているのか、何を付け加えようとしたのか、というようなことをざっと見ていきたいなと。

まずは「魔法にかかったみたい (Wie verhext!)」のおさらいから。

何種類かあるリソースを集め、そのリソースを払って勝利点アイテムを早い者勝ちで購入するゲームです。
リソースを集めるアクション、変換するアクション、リソースを払って勝利点アイテムを購入するアクション、特殊アクションが全てカードの形で表現されており、各ラウンド開始時に各プレイヤーとも秘密裏に、全部で12種類あるアクションカードから5枚だけ選び、これを手札に持ってラウンド開始。
スタートプレイヤーが手札から1枚選んで出し、そのアクションを実行したい旨を告げます。1枚のカードには「リスキーな強いアクション」と「確実な弱いアクション」の2つが書かれているのですが、スタートプレイヤーは必ず「リスキーな強いアクション」を行いたいと宣言しなければいけません。そうしたら、スタートプレイヤーは他のプレイヤーに対して時計回りに順々に、同じカードを持っているか聞いていきます。同じカードを持っているプレイヤーは直ちにこれを出し、そのカードのリスキーな強いアクションを行いたいと宣言するか、確実な弱いアクションを今すぐ実行するか、選びます。全員に聞き終わったら、最後に「リスキーな強いアクションを行う」と宣言したプレイヤー(だけ)が、これを実行し、次のスタートプレイヤーになります。
全員の手札が無くなったらラウンド終了、また手札を選びなおして新しいラウンドを始めます。一定数の勝利点アイテムが売り切れたらゲーム終了、勝利点の一番多い人の勝ち。

さて、もちろんこれはバッティングに関するゲームです。12枚の中から選んだ5枚のアクション、他の誰とも被りがなければノーリスクで強い方のアクションが選べる一方、誰かと被ったら、その中で強いアクションを行えるのは一人だけ、またリスキーな賭に出て失敗すれば何もできないのであって、「基本的には」被らないアクションを選びたいということになります。なりますが、「基本的には」という留保が必要になる理由もあります。というのは、普通のバッティングゲーム(全員が一斉に数字カードを出しあうやつ)では勝負を一旦降りようと思えば楽に降りられるのが常ですが、このゲームでは選んだカードは同じタイミングで出さないといけないので、5人でプレイしている限り、バッティング自体からはそう逃れられない。そしてもう一つ、自分が最後の一人になれるのであれば、むしろバッティングは好ましいことだと言えます。他のプレイヤーは一回分の「強いアクション」を取る権利を無駄にして、自分は強いアクションを実施できるわけですから。ということで、プレイヤーが気にしなければならないのは「他の誰かが同じカードを選んでいないか(普通のこの手のゲームなら、それに加えて他の誰かがこちらを出し抜くカードを選んでいないか)」ではなく、「【誰が】同じカードを選んでいそうか」だということになります。「誰かが」ではなく「誰が」。この段階で既に、チャレンジの内容がひとつ具体的になっています。

リスキーな強いアクションを宣言して成功したら、次の一巡ではスタートプレイヤーになります。スタートプレイヤーは強制的にリスキーな強いアクションを選ばされ、そして後ろにはプレイヤーがいっぱい控えていますから、普通に考えればかなり高い確率で失敗します。ただし、後ろのプレイヤーが一人もリスキーなほうを選ばないということは充分にあり得るので、推理が正確にできているのであれば、無謀な賭けというほどではありません。つまり、このラウンドで成功しようと思ったら方法は2つあり、成功が必須ではないようなアクションをうまく織り交ぜて無理のない計画を作ること、そしてもう一つは他プレイヤーの手札と計画を推理したうえでのギャンブルです。条件がフラットであればもちろん無理のない計画を立てるべきですが、これはバッティングゲームである以上無理のない計画は100%の安全を全く意味しないので、計画の狂い方に応じて適宜軌道修正が必要になります。そして差が開いている場合にはギャンブルが必須になり、このギャンブルの成否は推理の精度に大きく左右されます。

推理です。実のところこのゲームは、バッティングゲームではありつつも、いわゆる心理戦のゲームではあまりありません。心理戦というのは「相手がいま何をしようとしているか」に基づく遊びであって、「相手がいま何をしたか」になると心理戦度合いが一段階下がります。そしてこれが「相手がちょっと前に何をしたか」になり、そしてそのちょっと前から現在までの間に手がかりとなるようなヒントがいくつも落ちているとなると、心理戦というよりは推理といったほうが相応しいでしょう。もちろん、徹底してデータとロジックで進んでいくいわゆる推理ゲームではありませんし、またこのゲームでもほとんどノーヒントで2択のギャンブルが発生するような場面もあり(ラウンド第一巡のラス前手番、重要なカードでリスキーアクションか安全牌か選ぶような状況など)、このような場面で行われていることは心理戦に近いとは言えます。

このゲームが心理戦のゲームではないにも関わらず、それでもプレイ感覚としては依然としてある種の心理戦のように思える理由は、プレイの流れが心理戦のそれと似ていること、それによって心の動き方が心理戦のそれに似たものになるためでしょう。アクションを選ぶ→そのアクションの成功を祈る→残酷な結果が明らかにされる。この流れがとても短いスパンで次々にやってくることによる眩暈が、典型的な心理戦のゲームと似ているんです。(関係ない話ですが、この面では「髑髏と薔薇」もこれに近いことをやっています)

心理戦のもっとも重要なポイントであるところの眩暈を押さえつつ、心理戦にありがちな計画性の欠如からは逃れており、ミクロな個々の局面では一定の根拠に基づく推理(と時にアクセントとしてのギャンブル)、中距離では1〜2ラウンド単位での行動計画策定という、丁度良い具合に考えさせてくれる内容を持っており、しかしそれは静的な戦略研究への要請には繋がらない。「魔法にかかったみたい」は、とりあえずそういうゲームです。

それでは「ブルームサービス」はどういうゲームなのか。

これは土地を移動しながら、各地でリソースを捧げることで勝利点を獲得するゲームです。
基本システムは「魔法にかかったみたい」と同様ですが、アクションの種類が概ね「移動」「リソース取得」「勝利点の獲得」の三種類となります。移動の存在が主要な差異ですね。土地のそれぞれには色がついており、「隣接する黄色の土地に行く」アクション、というようなものが(色ごとに1枚ずつ合計4枚)用意されています。

この移動のシステムが、ブルームサービスを元の作品と大きく違うものにしている原因です。「魔法にかかったみたい」では、得点の高いアイテムは必要なリソースの量が多く、また得点の低いアイテムが取られた後でしか出てこない、ということになっていました。ブルームサービスでは、得られる勝利点にかかわらず、捧げるべきリソースの量は1個で固定です(微妙な例外がありますが、これは本当に例外なので、説明を省きます)。その代わり、得点の高い土地(アイテムの捧げ先)はスタート地点から遠い所にあり、大量の回数の移動を成功させないと届きません。

つまり、ともかく大量の移動アクションを成功させないといけないということになります。なるんですが、ここで問題になるのが移動先の色のルールです。例えば2歩先の緑の土地に行きたいとなったら、まず最初に「隣接する黄色の土地に行く」続いて「隣接する緑の土地に行く」を成功させないといけません。順番はとても重要です。逆に出したら一歩も動けません。普通のゲームなら逆に出すなどということは有り得ませんが、このゲームは「魔法にかかったみたい」と同じシステムを採用していますから、スタートプレイヤーが「緑の土地に行く」を先に出してしまったら、もう遠出できないことはそれで確定です。さらに言えば、ここは元のゲームと異なるところで、ブルームサービスではスタートプレイヤーも「確実な弱いアクションを今すぐ実行」を選択でき、そして弱いアクションでも移動はノーペナルティでできるので、端的に言えばブルームサービスは「誰かがスタートプレイヤーとしてこちらに不都合なカードを出してくる前に、スタートプレイヤーの権利を確保して弱いアクションで確実に移動する」ゲームだということになります。

この目的のもとでは、最初のカード選択は、「キーになる移動カードを選ぶ(2歩移動するリスクを犯すか否かの意思決定があります)」「スタートプレイヤーの権利を確保するために、誰かとバッティングしそうなカードを選ぶ(リソース補充などのアクションが行えればなお可)」という基準で行うことになります。さらに言えば、スタートプレイヤーの権利を確保するためのバッティング用カードは、自分が2番手であるような巡目でヒットしてもあまり意味がなく、理想的にはラス番で回ってきてほしいわけですが、ここをうまく制御することは極めて難しく、自分が第一巡のラス番だというのでないかぎり、かなり運任せに近くなります。2番手または3番手であるような巡目でそのようなバッティング用カードがヒットした場合、これはリソースではなくスタートプレイヤーを取りに行っている以上、リスキーな強いアクションを宣言する以外の選択肢が無いので、後ろを推理してどうこう、という事もありません。もう少し仔細がありますが、要はブルームサービスでは、リスキーな強いアクションを選ぶべき時と弱いアクションを確実に実施すべき時の差が極めて明確で、相手の手札次第で行動を変えるべき局面がとても少ないので、ブルームサービスには存在していた推論のミクロな遊びは丸ごと失われることになります。

これは移動をメインにした、ある種ピック&デリバーの亜種とも言えるゲームであるわけですから、失われたミクロな推理を補うためにルート選択における優劣が存在すべきなんですが、このゲームの基本マップでは、まず目指すべきルートと保険としてとっておくべきルートの選択肢がこれもまたあまりにも明確で、違いといえば保険をどれくらい大きく載せておくかしかありません(※)。
(※)上級マップでは、この意味での遊びどころがいくらかはあります。上級といっても面倒なルールがそれほど大きく増えるわけではありませんので、ブルームサービスをこれから遊ばれるという方には、最初から上級マップで遊ぶことを強くお勧めします。ただ、遊びどころがあるとはいっても、何しろ流れに大きく振り回されるゲームだということは予め了解しておくべきでしょう。流れに振り回されたまま、もう逆転は不可能になっていた、みたいなことは基本マップ・上級マップを問わず、よくあります。どうせ流れに振り回されるなら最終ラウンドでの大逆転みたいな線も一応用意しておいてくれよ、と思うのは人情ですが、ブルームサービスはラウンドごとの地道な移動を何回成功させたかで勝敗が決まるゲームなので、そういう機能は用意されていません。マクロレベルでの優劣を問わない「魔法にかかったみたい」では、最終ラウンドに大きい勝利点アイテムを立て続けに攫って大逆転、ということを可能にするための諸々も準備されていたのですが。

ラウンドごとに計画を行う楽しさは(計画の内容が大きく異なるとはいえ)引き継がれていますし、それは充分に楽しいことではありますから、少なくとも上級マップで遊んでいる限り、単体で見て全く評価できないゲーム、ということは無いでしょう。しかしやはり、元のゲームと較べてしまうと、噛みあわせが悪いルールの上に載せ替えたせいで、本来このシステムが持っていたはずの独創性がスポイルされ(何せカードを出した後にリスクを取るか取らないか悩む時間が殆ど無いわけですよ)、あまり移動できない変な移動ゲーム、というところに落ち着いてしまっています。元のゲームに比べてあまりプレイヤーに多くを要求してこず気楽に遊べる、というメリットは一応見いだせますが、しかしゼロ年代を代表する名カードゲームを押しのけてまで出す必要があったゲームなのか、正直に申し上げて憤りに近いものを感じております。

# 近々出版が予定されているというブルームサービス・カードゲームが魔法にかかったみたいの完全な復刻なのであれば、とりあえず水に流すことはできますが、どうなんでしょうね
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by Taiju_SAWADA | 2016-03-03 23:50 | うわごと

こうどなしんりせん - 前編:準備としての一般論

さてタイトルをこう決めた以上だいたい何を書きたいかは定まっているのですが、どのような論理と構成を用いるかについては現状まったく未定であって、そうであるからにはともかく話を何らかドライブさせられるような仕掛けを最初に作っておかないといけません。従ってここではひとつの仮説を立てるところから話を始めようと思います。

心理戦とはプロファイリングに関するゲームである。

オリジナリティの点ではあまり高い点は出せませんが、とっかかりの文言としては悪くないような気はします。正しいかどうかはともかく、というかそんなん知ったこっちゃないわけですが、こう定義しておくと色々役に立ちそうな感じがする。世の中には「高度な心理戦」という、迂闊に使うと可哀想な人扱いされる危険なフレーズがございまして、このフレーズのどこが問題かというと、言葉によって指し示される対象の中に分け入っていくのに全く役立たない点だと思うのです。高度な心理戦です、と言ってしまうと、必要とされるはずの次の言葉が出てこない。本来「高度な」というのは最終評価の話であって、ということはそこに至るまでのプロセスが、つまり対象となるゲームの解釈・分析があるはずなのですが、その肝心な解釈・分析の言語化に全く貢献してくれない。対して、プロファイリング、という言葉は、どうしたって次に「どのへんで何に関するプロファイルが溜まるわけ?」という質問に答えないと誰から見たって(「誰から」の中には自分が含まれるところが重要なところですね)何を言ったことにもならないわけですから。
ただ一点注意しておくべきこともあり、それは「ゲームである」の部分でして、これは「ゲーム」という言葉が通常指し示しうる対象の範囲から言うと相当に限定した用法になっています。具体的に言うと「これはゲームじゃないね」という、これも微妙なフレーズがありますが、このフレーズにおいて用いられる「ゲーム」と同じ意味です。微妙繋がりで言うと「ゲーム性」というフレーズにおける「ゲーム」も同じ意味ですね。まあ定義というか注釈なしで使ってはいけない言葉だということです。というわけで。

ゲーム性とは、対象の遊戯において良い結果を得るために行う解析過程、またはその過程の性質を指す。

うわ一気に抽象化した。やめときゃよかった。とはいえ、ま、必要な手続きではあるでしょう。別に珍しい定義ではなく、発想としてはコスティキャンとかに繋がってる、解かれたゲームは最早ゲームではない、というアレです。繰り返しになりますが、きーわーめーてー限定的な定義っていうか用法だということにはご留意を。わたくしが今回ここでやりたいのは、様々な「こうどなしんりせん」の断面図を見てみよう、ということなのでして、そのためにはどの面から切って何を鑑賞するか、最初にこんな感じで決めとかないといけないんですね。いやいけないとまでは言えないかもですが、少なくとも書いてるほうとしては決めとかないとしんどいんで。

準備としてはこんなところでいいんですが、本題(なんてものが本当にあるのかどうかは置いといて)に入る前に、これらの準備から言えそうな一般論について先に考えておきましょう。ここでプロファイリングというのは、「ケースAにおいてアクションaを取りケースBにおいてアクションbを取ったあのプレイヤーはこの(手の)ゲームについてxという行動傾向を持っているはずなので、そうすると現在値直面しているケースCにおいてはアクションcを取るんじゃないか」という、相手プレイヤーに対する推測のことを言っています。そうすると、心理戦のゲーム性とは、いまこのゲームにおける相手の行動傾向をケース/アクションのデータセットから解析する過程(の性質)だということになります。また、ゲーム性という言葉をこの用法で採るとすれば、ゲーム性評価の中で肝心になるのは「解析がすぐ終了してしまわないか?」という点になります。終了というのが必ずしも正常終了のことを指すわけではなく、これ以上は解析不能であると判断されるようなポイント、まあ異常終了とでも言いましょうか、に行き着いてしまっても終了となるってところには注意が必要ですが、ともかくゲームの中で解析を続けていけるということがポイントになります。これを心理戦に当てはめれば、ある時点でのあるプレイヤーの行動-結果のセットが、次の意思決定において有用なデータとなりうることが確保されていなければならず(そうでないと次の意思決定において優劣を判断できず、全ての行動が等価となって解析が終わってしまいます)、しかし同時に、それが決定的なデータではないことも確保されていなければいけません(決定的なデータがあるのであれば、それはもはや意思決定ではないわけです)。これは両立が非常に難しく、まあトレードオフの関係にあると言ってしまっても間違いとは言えないくらいのものですから、実際のゲーム製作では余計な失点を防ぎつつどのへんでバランスを取るかの見極めがデザイナーへの課題となってきます。ところで心理戦には殆ど全ての社会科学的なアレと同様に自己言及のアレというのがありまして、こういった解析そのものがプレイヤーの行動傾向に影響を与えるため、あるプレイヤーの行動傾向そのものが変化を続けることになります。これはさっきの解析正常終了と異常終了のバランスで考えれば明確に異常終了側に巨大な錘を乗っける条件でして、なんとなれば解析の正常終了はほとんど不可能であると言ってしまっても構わないわけです。人によってはこれをもって、そもそもゲームにおいてはプロファイリングというのは不可能であって、従って心理戦は不可能であり単なるスキンを被せたランダマイザに過ぎない、と結論づけることもあるくらいですし。ただ、私は(こういう文章をこれから書こうとしているわけですから)この意見には反対する立場を取ります。ある一定のメタレベルにおいて行動傾向を自発的に変えることがどれくらい容易か、という話で、ゆるやかな変化を続けることは可能というより必然であってもドラスティックな変化は相当に難しい、という仮定が「ある種のルールセットという制約下では」成り立つのであれば、心理戦には意味があることになります。さらに、「ある種のルールセットでのみ」成り立つ制約であるとすれば、ゲームの良し悪しをその面から捉えることもできるでしょう。注意点は2つあります。まず1つめ、ある一定のメタレベルまで心理解析の階を上げればそれに短期的に抗うことは難しい(長期的には当然可能であることは前提として)として、解析側であるプレイヤーはそのメタレベルまで、言語化は困難であるとしても非言語的には比較的容易に到達できないといけません。そうでないと結局ランダムにしか見えませんから。ここで成立させないといけないのは、他のプレイヤーを分析することは容易に可能であっても自分はそこから長期的にしか抜け出せない、という階層が存在していなければ、そのゲームは面白いものにはならないということ。そして2つめ、これはもう少し次元の低い話ですが、非自発的な変化の可能性については常に気を配らないといけません。これは誰が気を配っていないといけないかというと主にゲームデザイナーでして、たとえば端的な話、プレイヤーがサイコロあるいはそれに類するランダマイザを持っていて、これに従って手を決めることが可能であり、しかもそれが自分で手を決めるよりも有用であるとするならば、心理戦はどうしたって存在できません。従って、ゲームデザイナーはランダマイザの可能性を潰すことについて常に意識的である必要があります。逆に言えばここには「人間は本質的にはランダマイザを持っていない」という仮定があり、心理戦のゲームを作ったり遊んだりするということはこの仮定「も」呑んでおくということでもあります。これはつまりよく知られた手本引きと賽本引きの差異の議論のことです。私の立場ではこの両者の差異は自明となるわけですが、一方には人間が生得的にランダマイザを持っているとする立場では、最初に挙げたプロファイリング云々よりずっと手前の話としてこの両者の間に差異は認められないということになります。

ということで。心理戦というものが結構いろんなレベルで必ずしも明白な根拠があるとは限らない仮説に頼って築かれているものだということ、さらに、その仮説が成立しうるのだとして、実際に成立させるためにはデザイン上の意識的な手続きが必要となること。その手続きをクリアしているもののみが心理戦のゲームとして「有効」であり、そのゲームが提供するプロファイリング過程の優劣についてプレイヤーの審判を受ける資格を持つ。そしてその優劣というのは、大きくは「自明」と「解析不可能」の両端の穴に落っこちないようにどのあたりでバランスを取れているかによって定まる。そのバランスを取る上では、行動傾向に関するメタレベルの動学までデザインできていることが望ましい。というあたりが、とりあえずの一般論ということになります。これから個別のケースについて見ていく上でこのへんの前提は置いておく必要がどうしたってあります。あるんですが、実際にこのへんの議論を全部使って個々のゲームの優劣を議論するのかというとそれはまた別の話で。じゃあ最初にまとめてだらだらやるんじゃなくて個々の話をするときにそれぞれ必要な分だけの一般論を持ってくればいいんじゃね? という気も今したんですが、それはまた、それはまた、あったかもしれない別の文章として。

# というわけで次回に続きます。続くんですけど、現時点ではその次回というのを全く書いていません。ほんとにあるのかな次回。誰か代わりに書いてくれないだろうか。
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by Taiju_SAWADA | 2012-10-01 01:40 | うわごと

さえずるわたくしツヴァイ : 新作ファーストインプレッション関連

とりあえず俺内評価をまとめてみると、メルカトルやってねえじゃんとかツァバンドールも遊ばずじまいだったとか何でマイナーメーカーしか手つけてないのとか色々切ないことが判明するので皆もやってみて切なくなるといいです。評点はStandard & Poorsのフォーマットを借りてきました。このフォーマットが解りやすくて一番好きなのです。BB格以下は購入不適格、Aランクは購入したものを売ったり捨てたりせずに手元に残しておいてもいいかなってレベル。CCC格以下は俗に言うところのくそげー認定です。

AAA :
AA+ :
AA : Navegador
AA- :
A+ :
A : Grand Cru
A- : Olympus, Travel Blog, Triumvirate
BBB+: Furstenfeld, 1655, Wampum, Magnum Sal
BBB : 7Wonders, Antics!, Offrandes
BBB-: Troyes, 20th Century
----
BB+ : Vinhos
BB :
BB- :
B+ : Key West
B : Fabula
B- :
CCC+: Stich-Meister
CCC :
CCC-:
CC : Discover India
C :
D :

10-11シーズンは「Navegadorの年」という一言で片づけられそうな気がしてならないのですが、それでもGrand Cruの「経済ゲームとは一言で言えばこういうことなのです」という思想・主張に裏付けられた借金トラックのアイデアは大変すばらしいと思います。ゲームバランス若干狂ってねえか、という気はしないでもないですが、わたくしは完成度とアイデアを天秤にかけたら迷い無くアイデアを取るタイプのプレイヤーなので、そこは割とどうでもいい感じで。

OlympusとVinhosはどっちも「既存のフレームに過剰詰め込み」という意味では同じことをやってるゲームです。Olympusはゼロ年代ドイツ流儀の典型とも言えるワーカープレースメントの枠にアメゲー的な特殊カードを、それも全員が同じ数十枚の「手札」を持ってゲームスタートという強烈なあほルールと共にぶちこむカウボーイスタイル(←偏見)。Vinhosは拡大再生産ゲームの各パーツをそれぞれ虫眼鏡で拡大していって、でもあくまで一つ一つはドイツルールで仕上げるという形。どっちがいいですかって話になると、それこそ「好みじゃん!」って結論にしかならんような感もあるんですが、でもOlympusのが圧倒的に好き...というかVinhosの手法が病的に見えるのですよ。何がってボードが。ボードを埋め尽くすトラックとトラックとトラック。全て把握しないことには触れることまかりならぬと言わんばかりの。実際ドイツ系のルールって細かいルールまで含めて全員が全部把握してることを前提として回っているというのはあって、このゲームも恐ろしいことにその例外ではない。そこ行くとOlympusは良くも悪くもカウボーイスタイルですから、まあカードの中身を把握してるとかしてないとか面倒なこと言わんでもとりあえず遊べばいいじゃん、やりたい奴だけ極悪カードぶん回して無双すりゃいいじゃん、という大らかさがあって(いやルール自体はシビアですけどね)、どっちがっていうのは本来はニュートラルなんだろうけど現状2010-11シーズンの袋小路in独逸な概況を背景として考えると、どうしたってOlympusのほうを取りたくなるわけです。

Travel Blogはいまのところ最優秀FAUNAフォロワー。フバさんこんな芸もできるんすか。


-----------以下さえずりまとめ

Vinhosを2人でお試しプレー。普通に面白いとは思うよ、でもねえ、ここまで長いルール書かないと普通に面白いゲームって作れないのか?ボードなんか大量のトラックで溢れてて神経症の絵にしか見えない。「普通に面白い」じゃ読解1時間+インスト1時間で冷えきった俺の気分は高揚しないのよ

Offrandes. 序盤ぼんやりプレーしてたら何かものすごい大虐殺(最終結果で4倍スコア)が発生してしまった。ううむ申し訳ない。ちょっと不穏なだけのごくシンプルなルールセットだと油断したのが間違いで、実際にはワンミス即死のおっかないゲームでした。フランス人油断ならん

Navegador. ゲルツはぼくらを裏切らない。そして歴史軸的な評価を抜きで言えば今作がベストかもしれない。あと今回遂に独逸ゲームとしての一般性のようなものを手に入れたといえる、かもしれない。ルール短いし。

ビール侯爵。さすがにフリーゼ、それも自分とこのブランドの仕事ともなると、俺ドミニオンを作るにあたってドミニオンのシステムを適当につまんでくるような阿呆な真似はせず、きちんと「俺にとってのドミニオン解釈」を提示している。すごーく好きなゲームって程じゃないが、その意味で立派な仕事。

Wampum。ホイップの人の新作。作れる人だって事は解ったが、商道徳的にどうだろう。契約書にはテクニカル過ぎずルールはシンプルでちょっとした目新しさがあればなお良しって書いてありましたよね、とニヤつく作者が。多分尻尾生えてる。ボール一個分だけ外す絶妙な珍妙感。個人的には好きだが

ところでトリックマイスターって普通に詰まらないんですが皆様如何お過ごしでしょうか。久しぶりにフリーゼで留保抜きのハズレ引いた。口直しにゲームリンク付録のフォッペンを3回遊んですっぱり忘れると吉みたいな

7Wonders. あざとい誤魔化しが少々不誠実ラインを踏み越えて鼻につく嫌いはあるが、そこまで計算しての快楽最優先設計。SdJなら納得の受賞って感じ。ただDSPだとか、あるいは既に出てるFairplayアンケ1位とかって事になると、おまいら騙されすぎじゃないですかとも思う

magnum sal は嫌な流行に乗ったゲームに見せかけて全然違う・しかしこれはこれでオーソドックスな仕掛けで駆動する、ちょっとした試み(あるいは悪巧みといってもいいかもしれない)のある、2010年ならではのノーマルを追求した面白いゲームだった。やっぱり今年はポーランドなのか?

indie boards and cards の Triumvirateは割とすきー。少し待てばほとんど全部見えるんだけどそこまで待ってると微妙に間に合わない感じとか。

マーティン・シュレーゲルの"Key West"、最良の意味での90年代的アイデアと最悪の意味での90年代的粗野とどうでもいい意味での00年代的手癖をごたまぜにして腐ったUIと一緒に 1hでまとめたゲームだった。編集者しっかりしろよと思うが、ここから悪い所を削ると全てが一緒に消えそう

Fabulaはエッセンでルール読解が生煮えのままプレーしたですが、これはボードゲームではなくRPGです。Once Upon a Time的なゲームですらない。Hogsheadが出してた「ほらふき男爵」「Violence!」と同じシリーズで並べるとすごくフィットしそう。
ところでTGWでFabulaが「自分の物語を語り始めやすい」とあるけど、これには異論がある。この手のストーリーテリング〜簡易RPGの中ではかなり難しい部類に属するゲームよこれ。何が厳しいって自分の出した回答の【善し悪し】を評価されるところ。直球すぎ。他のゲームは大抵も少し慎ましい
### Once Upon a Time 遊んでるほうがみんな幸せだと思うですよ。このゲームは下手すると誰かを傷つける。

グランクリュ(エガート)今のところSpiel10ゲーマー向けでは一番のお気に入り(まだ5作しか遊んでないけど)。何てこと無い経済ゲームとも言えるんだが、ルールにある「経済ゲームとはつまり時間と資本の関係性に関するゲームである」というきっぱりとした主張が大変正しく心地よい。

1655(DDD)この種の、いろんな方向から得点源が絡んでしっちゃかめっちゃか、というゲームの中では纏め方がかなり巧い。日本のゲーム制作者、具体的にはカナイさんとキサラギさんは是非入手して遊んで頂きたい。絶対気に入るはず(もしかすると得られる所も何かあるかもしれない)。

20世紀(Suchy/CGE) ハルメンズではない(ヒカシューでもない)。前作シップヤードのロマン爆発から一転、編集者の意向かそっち方向はぐっと抑えて堅く遊びやすく作った発展ゲーム。それでもタイル連結は(意味もなく)残したあたりが作者の趣味。普通に面白く嫌味なく遊べる、とは思う。

でもなー、シャムの王→フィリピーノ・フルーツ・マーケット、とインディでキレキレの作品を立て続けにリリースしたジルベスターの、満を持してのメジャーデビュー作品が、アレ(※)なんだよねえ... (※「ディスカバー・インディア」クイーン・ゲームズ)
### きわめて遺憾ながらくそげーと言わざるを得ない。

トロワ(Pearl) 少なくとも、ダイス(で高い目を振る事)という大テーマに正面から取り組んだ点は最大限高く買いたい。結果このパッケージングでまとめざるを得なかったのはこのゲームというよか現状の独逸フレームの限界だろう。現にその限りでは面白いのだし。ま「Nice try!」て事で
PearlのTroyesについて高く評価したらブーイングを受けたですが、実際このルールセットは2010年とゆう現在を考える上で間違いなく義務鑑賞と言ってよいものだと思うのですよ。そりゃまあ完全犯罪とも言えるかも知れないが、ここにはポジティブな意味でデザイン上学ぶべき点が確実にある


(3/3誤記修正。ナヴェガドールのスペルまちがえてました。わたくしにはよくあることなので気にしないで頂けると幸い。こんだけアルファベット書いたの久しぶりなのでまだあるんじゃないかと思いつつチェックはしない)
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by Taiju_SAWADA | 2011-03-03 23:54 | うわごと

人のオカルトを笑うな

他愛ない定番の話題ってのは普通は単に他愛ないだけなんですけど、その中で妙に鬱陶しいというか嫌な気分になるアレというのもあって、例えば血液型占いなんてのは典型だと思います。人の性格を勝手に四パターンで適当に分けてさ−、んで何が楽しいのか知らないけども当たってるの私は違うのきゃいきゃい言ってて、んで馬鹿らしいとか何とか少しでも否定的なことを言おうものならお前の性根は腐っていてその性根そのものがXX型的だとか更なる泥沼に引きずり込まれ、あーもういい加減なんとかならねえのかその集団オカルトヒステリー、って思いません? 一応我々は学校で科学とか数学とか論理的思考とか習った文明人の端くれなんだし。ねえ?

そこで頷いた貴方。そうそう貴方ですよ貴方。ちょっとこっちに来て頂きたい。

ここにあるのが何か解ります? そうですね、サイコロです。ふつうの6面で1〜6の。じゃ私が何を言いたいか解りますか?

私はね、ボードゲームの人たちが交わす他愛ない定番の話題、その中で妙に鬱陶しいというか嫌な気分になるアレの話をしたいんですよ。一応学校で科学とか数学とか論理的思考とか習った文明人の端くれとしてはいい加減なんとかならねえのかその集団オカルトヒステリー、って思わないといけないはずの。もう解りますよね? 

「自分のダイス目は強いと思いますか?」

でねー。ものすごーくがっかりする事実としてー。合理的近代的科学的論理的個人であるはずの我々ボードゲームびとはですねー。極めて高い割合でこの設問に対して平然と「俺ダイス弱いから−」とか何のエクスキューズもなく抜かしやがるんですよ。そうお前だよお前お前。お前さっき血液型占いの非科学性とかさんざ嗤ったよな? その同じ口でダイスの目の強いとか弱いとか、何それ頭沸いてんの? 馬鹿?

えーと。明らかにこの場で最も頭沸いてるのは私だったので、氷とか角砂糖とか口に入れてクールダウンしてきました。いや、でも言葉の失礼具合の問題こそあれ、主張自体にはかわりありません。オカルト的な可能性を除外すれば、ダイス目が強いとか弱いとか、問題をより明確にするなら議論の主対象にしたいのは「ダイス目が弱い」と言ってる人についてなんですがそれはそれとして、そういうことを言ってる理由として考えられるのは、

・本当は全然そう思ってないけど、なんか理由があってネタとして言ってる。→場の空気に話を合わせるのはそれはそれで大切なことなので。お疲れ様です。「弱い」はまだしも「ダイス目が強い」のほうになると、そう言わなきゃ許されない場というのもきっとあるんでしょう。

・ダイスの振り方がおかしい。→自覚があるかないかともかく、それはイカサマと変わりません。振り方を矯正しましょう。

・(前項の系)ダイスの目を自由に操る手業スキルを持っている。→それは普通にイカサマです。封印しましょう。

・使ってるダイスがおかしい。→RPGとかミニチュアゲームとかと違ってボードゲームでは普通コンポーネントにダイスも含まれますんで、あまりこの可能性は高くないんですけど、該当する場合はあからさまなイカサマです。止めましょう。

・そう思ってるだけで、本当は別にダイスが強かったり弱かったりしてない。

まあ普通に考えれば最後に挙げたものが妥当でしょう。じゃあなんでそういうに思うようになるかというと、比較的健全なのは、決定的な場面で致命的なダイスを振って負けた(あるいは逆に勝った)ことが何回かあって、その強烈な印象が一般化されているというケース。とはいえその印象がダイスを振ること全般に対する態度になっちゃってることは結構あって、そういうシーンに出くわすと「もう21世紀なんだからさあ…」と思います。

一方あんまり笑って済ませられない割と不健全なケースというのは、確率とかよくわかってないがために、ダイスというものがコントロール不能な嫌な何かにしか見えなくて、その婉曲表現…ならまだいいんですけど実際にはそういう何やかやを誤魔化すために「ダイスが弱い」みたいなことを言い出す。じっさい確率ってのはえらく難しい部分を含んでるし色々直観に反していたりもして、わたくしにとっても普通にコントロールし難い何かではあるわけですけども、そうであるならばそのことを認めた上で嫌がるか、なんとかするように頑張るか、諦めつつミステリアスな魅力を持った隣人として付き合うか、というような真っ当な態度というものが様々にあるわけで、逃げを打った上でダイス、もっと言えばダイスを使うゲームの側に責任を覆い被せるのは全くもってよろしくない。

ゲームの側に責任を覆い被せるということで言うと、もっと不健全な理由というのもあって、さっきのパターンよりももっと単純に、出目が悪いのでゲームに負けます、という。本当はダイスを振る前の時点で話にならんのに、幸いにも出目が悪かったのでそういうことにしておこうとか、あるいは別に出目は全くもって悪くないのだけども出目が悪かったのでゲームに負けたことにしておこう、みたいな。いやね、ゲーム作るほうとしては当然そういうシュガーコーティングは考えることではあるんですよ無論。ちょっと話題になったブシロードの方による2010年7月のIGDA講演(講義録→せっき~のゲーム屋さん:気持ちよく「負けられる」ゲームデザイン http://sekigames.gg-blog.com/Entry/102/ )で明言されているとおり、商業ゲームのデザインでは、そういう部分が積極的に組み込まれることが大変多くなっています。ですが、一応シリアスにゲームを遊んでいるはずの人間が、無邪気にそのフレームに乗っかってね、その上でよりによって「だからダイスってのはねえ…」とか言い出すに至っては。振るよりもまず顔面に投げつけてやったほうがそのゲームの為になるんじゃないかくらいには思い悩んだりもするのです。いや本当に。

というところで最初に戻って。血液型占いとかどう思います?
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by Taiju_SAWADA | 2010-08-23 01:29 | うわごと

さえずるわたくし

なんか最近ゲームのこともTwitterでだだもらしにするようになってきたので、4月くらいからのゲーム関連tweetのうち主なものを抜き出して転載。このぶろぐと文体が違うのは、えーと、これでもウェブログに何か書こうという時はそれなりに気合を入れたり気を使ったりしているのです。



### 遊んだゲームについて無責任な一言


■Snapshot(Kosmos) 相手プレイヤーの駒をゴールの一部として設定する発想は良いと思うのだが、収束性とかゲーム人数とかそういう細かいところをもう少し詰めといたほうがよかったんじゃないの、という感が残る。

■HiG+Dorraの新作「ブタなかま」。いや豚仲間て!明らかに罵倒語ですよそれ!そしてルール見た限り割とシビアな早乗り物でAge8+には見えない。あと家畜を市場に売っぱらうのは余計な教育効果を産むんじゃないかと
■ブタなかま(HiG)プレーした。あなたの可愛い8歳のお子様を悪い子というかブタ仲間に育て上げるための教育ゲーム。ズーロレットが敢えて直接には触れなかったデリケートな領域に思い切り踏み込んだ、ズーロレットの陰画とも言える。ゲームとしては3人がベストだが、教育的には4人がいいかも。

■たぶん出る側としては最後のGameMarket。いやバザールで捨て猫を拾ってもらうだけだけど。買う側としては事実上Terraformerのために行く感じなので売り切れてないといいな
■Terraformers は期待通り大変面白かったのだが、テストプレイから参加してるB2FGames組に「お前はむしろ激烈ピーキーなバランスだったプロトタイプ版を無理矢理でも入手してプレイすべき」と主張されてどうしたものか。そんなこと言われてもねえ。
※Terraformersマジ最高。唐突に浅草に現れた2010年水準のゲームって感じ。後でなんかもう少し詳しく書くかも。

■ウルフレンドサーガ(ShootTheMoon): つまんなくはない。すげえ面白いってこともないが。プレイングかなり難しいゲームなのでプレイされる方は要注意。あと推奨初期配置がかなり鬼畜
※ウルフレンドサーガはレビューとか上がってるんでしょうか。ほんとに難しいゲームです。不用意に遊ぶとなんだかわかんないまま終わるので、ゲームを勘違いして単にカタンのぱくりに失敗したクソゲーと断定されかねません。でもこれ、そういうゲームでは全くないのです。まあデザイナーズノートの書き方とか随分不親切かつミスリーディングだなーとは思いますが。

■Vineta(WinningMoves)なんかこの手のゲームが面白くないのは俺の側の責任なんじゃないかという気がしてきた。これからはUndercover系のゲームに関しては口を噤んだほうがいいのかも。

■火牛陣(Swan)ラストの意外な展開にびっくり。トータルで見るとすごく面白いという訳じゃないと思うが、こういう驚きは初手からルールが全部分かってるボード・カードゲームの世界では滅多に味わえない
※ラストの5分で、それまでとはいきなり展開が変わるんです。カードを引いて効率良く集めて点を取るライトなゲームをさっきまで遊んでいたつもりが気づけば何故かマルチゴールシステムによる手の奪い合いに。

■Enemy Chocolatier(Cheapass) ものすごく高速で進んで終わるので一手がかなり重い。一見緩めな雰囲気に騙されると本当に何もゲームできないで終わる。結構いいんじゃない?
※これも難度高いゲーム。

■Speicherstadt(Eggert): カード構成を全員が完全に把握しないとゲームにならないという重大な一点を除いてはかなり素敵なゲーム。ファミリーストラテジー転向後のEggertは歩留まりよろしいですね
※しかしその一点は割と致命的だという説も

■GiftTRAP パーティゲームとして中々のもの。ただし勝利点のところはもう少しなんとかすべきかもしれない。終わって欲しいところで終わってくれない感。

■Psychopet(Goldsieber) 悪くないんだけど、ゲームの実質に比べてルールが複雑すぎるのと、ゲーム時間が少し長すぎる。もう少し刈り込めてたら傑作になれたかも。あとサイコである必要がどこにもない

■グースカパースカ(すごろくや):これは中々。すごろくやのこのシリーズは「すすめ!!海賊さん」の印象があまりに悪かったので見ないようにしていたが、この水準のが定期的に出せれば結構いいんじゃないか
※ちなみにマイベストなカワサキファクトリー製ゲームは断然「ルールの達人」。但しほんとはマイベスト/ワーストを決められるほどたくさんのゲームを遊んでいない。

■Egizia(HiG): 面白いんだけど、アッキトッカに作って欲しいタイプの面白さではない。綺麗過ぎるしあまりに普通すぎる。つまりワーカープレイスメント過ぎるということでもある。

■LangFinger(Pegasus): 最小セット/ファミリーストラテジー化したワーカープレイスメント。なんかミニチュアみたい。良い、というかこっちが本来先に来るべきなんじゃないの、という。

■Medina(HiG). いまさら。スパルタ系早乗りゲーム。教科書に使っても良い位、早乗りのポイントを押さえたルール。但しめっさ地味。コンポーネントに大量の木材を突っ込んでも誤魔化し切れないくらい地味。



### ゲーム同人としてぼんやり思ったこと


■んーと、せっかく同人なんだから、いくらかでも自分に都合のいいように同人の理想を振りかざせばいいと思うんだ。500円払った程度で御客様面すんじゃねえよ、とかね。
■そういうこととは別に単純に同人って言葉として響きが素敵なので声に出して読みたい日本語的に大事にしていきたい。東京化学同人とか会社名として最高にクールだと思うですよ
■実際のとこ別に「たくさんの人に遊んでほしい」訳でも無かったりするし
※ここからTable in the worldによる同人ゲームの価格についての記事 (http://www.tgiw.info/2010/06/post_831.html) へのコメント
■とはいえ遊ぶ側としては、タダでも嫌なんだけど。あんたのゲーム面白いって根拠ないし。むしろつまんない根拠が大量にあるし。ということは普通にある。試遊っても1ゲーム分の時間も割きたくない。同人漫画なら立ち読みできるからいいが、同人ゲームはその辺どうすんのか考えとかんとね。
■利益度外視に代表される同人の理念は崇高なものだし、何なら積極的に遵守したっていい。当然その場合は「販売」って言葉も使わない。んだけど、それって「俺のブースで御客様面しやがったら卵投げつけてやるがよろしいか?」ってことでもあるのよ。買う側としてほんとにそんな覚悟あるの?
■じゃあ5万円ゲームズとかどうかしら。レギュレーションは[1]売価5万円限定、[2]部数は1部以上(いちおう100部以内)、[3]1部あたり原価は5万円以上でなければならない。[3]が重要。



### たわごと


■なんだよーHavanaもFactory Managerも無視かよー
※もちろんSdJ。

■Asmodee版Can't Stop到着。他の版と比べて圧倒的に小さいのが素敵(そうじゃなきゃ現行品をわざわざ個人輸入したりしない)。Franjos版も標識版もでかすぎだって絶対。
※大箱派小箱派でいえばわたくしは当然小箱派。それも割と極北。

■コロレットのデザインで許しがたいのは+2のカードのフォントがまんまComic Sansだということで、誰か何か言ってあげる人いなかったのか。あのフォントを12pt以上で使うのほんと禁止
※禁止ー!

■独90sは無論大好きなんだけど、一方でインタラクションを限りなく狭量にした原因となる場所と年代でもある。今やダッチかノーマルかブラインド、いずれかのオークションしか許されなくなってる。
■ボードゲームにおけるインタラクションの基本要素ってどれくらいあるだろうか。時間をリソースとして表現すればかなりの部分はオープンオークション+ブラインドオークションで表せそう
※このテーマはもうちょっと詰めれば何か面白いこと書けるかも

■CivRevとSMACしかやってないので大きな事は言えないが、Meier式の文明ゲーム観がひっじょーに気にくわない。未プレイだがきっとTreshamやChvatilのも気にくわないだろう
■HistoryOfTheWorldまで行くと馬鹿さ加減に愛嬌が出てきて許せる気分になり、文明ゲームじゃないがTwilightStruggleになるとむしろ愛らしくなってくる
※「AはBに進化した! Xが1上がった!」みたいなノリがどうにも受け付けない。

■何度でも言うけどアイマスのオーディションはボードゲームなんですってば←すぐに自分の知ってるジャンルに引きこもうとする悪癖
※いやほんとにボードゲームなんですってば。というわけで以下、同じくTwitterからボードゲームのルールとしてリライトしたアイマスオーディション。



### 偽アイマスカードゲーム


■偽アイマスカードゲーム ルール (ver. beta1) ★とりあえず6人専用。★ぜんぶで15tweet.
■内容物: 各自のデッキ -- Normal: Vo4枚/Da3枚/Vi2枚 ★ JA: Vo,Da,Vi各3枚 ★ ボム6枚(Good3+Bad3)。 裏面はアイドル名のみ、表面はVo/Da/Viのみ。表からはアイドル名不明。
■加えて、興味チップVo/Da/Vi各60枚、得点チップVo/Da /Vi 各9枚、失点チップ Vo/Da/Vi各6枚、リーダーマーカー1個、ボムチップ18枚。流行はVo5/Da3/Vi2で固定。アイドル能力差無し
■ゲームの準備:興味チップを全て場に置く。得点チップと失点チップは脇に置く。ボムチップを3枚ずつ各人に配る。各人にデッキを渡す。誰が最初にリーダーマーカーを持つか適当に決める
■ゲームの構成:各ラウンドは9ターンで構成される。9ターン終了時にラウンド決算。3ラウンド終了をもってゲーム終了
■ラウンドの準備:各自、自分のNormal9枚を手札にする。加えて、JA9枚と、未使用のボム(最大6枚)から、秘密裏に任意の5枚を選び、これも手札とする。各自手札14枚持ちでラウンド開始
■ターン(1):各自、手札から1枚選び、リーダーに伏せて渡す(リーダーも1枚選ぶ)。リーダーは受け取ったカードを全てシャッフルし、どれが誰のものかなるべく分からないようにしてから全て公開する ※リーダーはシャッフルする前に、誰から何のカードを受け取ったのか中身を見てもよいです
■ターン(2):公開されたカード1枚ごとに対応する興味チップを場から1枚捨てる。Goodボムが出ていたら、捨てチップを3種各1枚場に戻す。Badボムなら、場からチップを3種各3枚捨てる
■ターン(3):ボムを使ったプレイヤーは自分のボムチップを1枚捨てる(チップが無くなったらボムは使えなくなる)。公開カードはそのままにしておく。リーダーはリーダーマーカーを任意の他者に渡す
■決算(1):全ての公開カードにつき、裏を確認して持ち主の前に置き直し、誰が何を出したか分かるようにする。Vo/Da/Vi各々、出した枚数の多さを競う。Goodは全種+1枚、Badは全種-1枚扱い
■決算(2):3位までが対応する種類の得点チップ1枚獲得、6位は失点チップを1枚受け取る。同値でのチップ争いの場合、出したボムの多い方が優位。それも等しいなら当該種類のJAの枚数が多いほうが優位
■決算(3):それも等しい場合、得点チップならどちらも受け取れない。失点チップならどちらも受け取る。決算は以上。決算が終わったら、使用したボムおよび手札に入れていたボムは全てゲームから除去
■興味ゲージ:ターン終了時、場からある種類の興味チップが無くなっていたら、その種類の得点チップ・失点チップはいずれも無価値になる。以降はその種類の興味チップの処理は行わない
■例外:場から2種類の興味チップが無くなった場合、最後の種類の興味チップは減らなくなる。場から一度に複数種類のチップが無くなるという場合、どちらを先に無くすかはリーダーが決める
■終了:無価値になってないVo/Da/Viの得点チップは1枚5/3/2点、失点チップは全て-1点。タイブレーカーはVoの得点チップ枚数->Da->Vi。それも同じならリーダーに時計回りで近い方が優位
※ほぼ誇張なし、ほんとにこういうゲームなんですよ。
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by Taiju_SAWADA | 2010-06-08 23:38 | うわごと

棚の整理予定

わたくし板張六畳一間に住んでいる都合上、所有ゲームの数を可能な限り少なく抑える必要がありまして。で、新作はどうせ欲望の赴くままに買うので、今あるほうのゲーム(プレイ済みのもの)を処分しないといけない。目標は大箱50個以内。さて問題は、何を残したいか? と。ということで自分用のメモとして、棚に残すゲームをリストアップしました。読者がどうとか基本的には気にしていませんが、一応エクスキューズとして一行ずつコメントを入れています。

歴史的重要性でもなく教育効果でも作品のレベルでもなく、あくまで「今、棚に残したいか」という基準です。Puerto RicoやCatanなど、なんか面倒なことになりそうなゲームはカット。Dominionは(それでも好きなゲームなので)今のところ残しましたが、今の感じだと2年後には棚から外さざるを得なくなりそう。逆にKremlなど、箱から出した時点でひとネタ取れて、それでいてちゃんと遊べる、そういうゲームは貴重なので評価が甘いです。

リストを作ってておもったこと:
・ヘビーゲームやライトウェイトと比べて、ファミリーストラテジーは作るのが難しく、佳作は多くても大傑作というのはそうそう出ない。しかも賞味期限もファミリーストラテジーの方が早い。
・2008年(ドイツゲーム年度では2009年)はすごい当たり年だったんだなー。しかしPyramidが子供レンジというのはなんか病んでる気がする
・2004年(ドイツゲーム年度では2005年)は不作だと思っていたが全然そんなことはなかった。
・やぱしボードゲームのデザインも一歩ずつ着実に進歩していると考えるべきなんすかね。ほとんどが2000年代になってしまった。
・Kuhhandelのオーパーツぶりは本当にどうかしている
・1920年代すでにアメリカの紳士淑女はご家庭でご子息とPitを遊んでいたのだと思うと何か変な感慨が

Havana [2009]
この独創的な機構をファミリーストラテジーの枠内で収めきったのがとても偉い。

Factory Manager [2009]
フリーゼがこんな大人なゲームつくるようになるとは、と結構感動もの。ちょうカットスロートなファミリーストラテジー。

*Filipino Fruit Market [2009]
「トリックテイキングで何か別のことをする」というよりはもう少し融合の度合いが強い。他人に見せてみたいゲーム。

Dominion [2008]
10年に1度の大船。Catan, Puerto Ricoあたりはリストから落としたけど、このゲームはまだ場所と拡張を選べば普通に楽しく遊べるはず。

The Princes of Machu Picchu [2008]
現時点でのGerdtsの最高傑作であり、したがって現代ゲーマーズゲームにおける最高到達点の一つ。

Space Alert [2008]
協力ゲームのオールタイムベストワン。1人ゲーム化をいかに避けるかという問題へのひとつの解。Chvatilの作としてもこれがベスト。

(Fauna) [2008]
トリヴィアでもドイツゲーム風の演出は可能だということを示した功績を讃えて。

Pyramid [2008]
Casasolaは年端も行かない子供に対しても容赦なくCasasola。というか子供ゲームなのかこれ

Comuni [2008]
システムに虐められてプレイヤー間に連帯意識が生まれるタイプのゲーム、の代表として。意外なくらい遊びやすい。

Cavum [2008]
Kramer&Kieslingのアクションポイント物から1つ。Torresと迷うが、やはりこのゲームが現時点での最終型と考えたい。

Wie verhext [2008]
「変格バッティング」のジャンルを作ったゲーム、になると思っていたが意外にフォロワーが出てこない。

aber bitte mit Sahne [2008]
ライトウェイトの模範。

Uptown [2007]
2007年にもなって出てきたあまりに堂々たるメインストリーム。最低でも今の100倍売れるべき。

Cash-a-Catch [2007]
この容赦なくもそこはかとなく阿呆っぽい愉快な競りゲームに皆さんもっと注目していただきたい。

(Key Harvest) [2007]
いや、とりあえずもういっかい遊んでみたいというだけなんですが...

(Ghost for Sale) [2007]
くだらなさというのはゲームにおいて大変重要な要素。このゲームはシリアスさとくだらなさの混交が素敵にいい塩梅。

Leonard da Vinci [2006]
ワーカープレイスメントとは何か、というテーマにおける格好の教材。

Hermagor [2006]
ルールのあちこちに素人っぽい手つきの粗さが目に付くが、しかし面白いものは面白いとしか。

Taluva [2006]
"The Game".

Buccaneer/die Safeknacker [2006/1996]
このような特殊な表現であっても競りゲームである、というセンス・オブ・ワンダー。

*Sioux [2006]
Wie verhextより古い貴重なゲーマー向け変態バッティングゲーム。ルールをリライトして再販してほしい。

(Techno Witches) [2005]
最も洗練されたアナログ距離ゲーム。

Antike [2005]
記念すべきロンデル初商業作。地政学ゲームのドイツ的表現としてもこれ以上のものは(Gerdts自身のものも含めて)今のところ存在しない。

(Caylus) [2005]
無論ひとつの記念碑。かつ、それを超えたものを持っているゲームでもある。ただ、遊ぶ場が今あるかと言われると厳しいかも。

(*Happy Dog) [2005]
学研がこういう仕事をしていたことがあると折に触れ思い出してあげたい

(Twilight Struggle) [2005]
Warsimカテゴリ/2人用から何か、ということで選んだが、どっちかというと阿呆枠という気もする。Conflict of Heroesが面白かったら真面目なWarsim枠はそっちにあてる。

*Fab Fib [2004]
Bluff/Liar's diceと迷ったが、こっちのほうが馬鹿なことになる可能性が高いので。ブラフゲームは法螺の量が果てしなく上昇してかないと嘘でしょう。

(Reef Encounter) [2004]
重ゲー方面でのBreeseの代表作。Keythedral遊んでないからどれが一番かは決めがたいが

Fifth Avenue [2004]
世界で最も誤解され過小評価されている純ゲーマーズゲーム。それはもう犯罪的なくらい。

(*Linq) [2004]
ワードゲームから1点。となるとLinq以外の選択肢ははじめから無かった。

Fearsome Floors [2003]
Power Gridだと息詰まりだしFrischFleishはゲームが地味すぎる。このゲームが最も良い意味でフリーゼ的。

*Mogul [2002]
よいこの株教育ゲーム。再販まだー?

*Xactika [2002]
深入りしないなら、トリックテイキングはこれ1本だけ遊んで置けば十分だとおもう。

Cairo [2002]
みんな賢いふりしてないでもっとこういうの作りましょうよー

(Witch Trial) [2001]
偉大なプロジェクトだったCheapass Gamesから何か。ということで、ボードゲーム部門からはこちらを。

Aladdin's Dragons [2000]
遊ぶ度に評価が上がる。「これはワーカープレイスメントではない」と意識しながら遊ぶと別の意味でも面白い。

(Keytown) [2000]
もういちどきちんと遊んで評価してみたい。

*Lift Off [2000]
へくてぃっく物からはこれを。Space dealerでもいいんだけど、これくらいの不真面目さのがいいんじゃないかと。Tamskは難解すぎるし...

*Citadels [2000]
やー、なんのかんの言っても面白いすよ操り人形

*Mamma Mia! [1999]
言わずと知れたRosenbergの最高傑作。記憶ゲームのふりをしたチキンレース、をこの可愛らしいパッケージでご提供。

(*Maskenball Venezia) [1999]
パーティゲーム、というとこれしか思い浮かばない。やあああっと入手の目処がついた。

Chinatown [1999]
このゲームはぜひ時間制限付きで。人は簡単に人を騙せるし騙されもする(※この場合の「人」は自分自身も含みます

(Keydom) [1998]
これは単にコレクターズアイテムとして。

*Verraeter [1998]
役割秘密選択はあまりにVerraterの香りがきつすぎて結局フォロワーがCitadelsくらいしか出なかった。それだけVerraterが上手すぎたという話でもある。

*Kahuna [1998]
2人でドイツ風のボードゲーム、というと真っ先に出てくるタイトル。意外に満たすのが難しい条件。

(*The Big Cheese) [1998]
Cheapassの非ボードゲーム部門から。衝撃のコンポーネント。そして気合一発の競りゲームという不思議ジャンル。

(*Twilight) [1997]
あまりにも怪しさ爆発なルールでつい選んでしまった。別に後悔とかはない。

Tigris & Euphrates [1997]
Stephenson's RocketやAmun-Reは狙って作ったゲーマーズゲームだが、これは「できてしまった」90年代Kniziaの奇跡。

Ursuppe [1997]
ドイツ風超能力対戦ゲームの嚆矢。超能力対戦でありながら実際の振る舞いが貧しく切ないところも愉快なポイント。

Loewenherz [1997]
Domaineも良いゲームだがやっぱりこっち。

El Grande K&I [1995/1997]
ドイツ風エリアマジョリティの原点であり代表作であり変態。但しK&Iは常に着用のこと。

*High Society [1995]
あまりに美しいルール。

Intrigue [1994]
交渉ゲームは好みの部分が大きいが、これは「いわゆる交渉ゲーム」のどの定形からも逸脱していて素晴らしい。

Billabong [1994]
複数駒乱数無しレースゲームとして、Breaking Away, Circus Maximusと並ぶ名作。

Kohle, Kies & Knete [1994]
これは交渉ゲームではなく乱痴気ゲームなのでお間違えなきよう。

Neue Spiele im Alten Rom [1994]
Kniziaの約1ダース。Kniziaの天才を示す証拠物件。

*Once upon a time [1993]
他の何物にも代え難いバカゲー。いや馬鹿なのはゲームではなくプレイヤーなのだという説も。

*En Garde [1993]
あふれるフェンシング感、というより、フェンシングはこのようなゲームなのではないかと妄想させる力に秀でているというべきか

Modern Art [1992]
ボードゲームにおけるオークションの取り扱いの水準をたった1作で別次元に蹴り上げた記念すべき作品。

der Fliegende Hollaender [1992]
個人的にTeuberで一番好きなゲーム。アクセントとして交渉を取り入れたファミリーストラテジーとしては見本のような一品。

(Bauernschlau) [1991]
なんだかよくわかんないけど妙に楽しい。

Breaking Away [1991]
これ絶対メジャーから出すべきだと思うんだけど、作者のひとはロンドンパンクか何かなんだろうか

Barbarossa [1988]
飛び道具オールオッケーを世間に対して宣告したゲーム。偉人のデビュー作に相応しい。

Bausack [1987]
デクスタリティ物はこれがあれば今のところ他になにもいらない(ほんとはハムスターロールは少し惜しい)

(Schoko & Co) [1987]
仮にも「ビジネス」「ゲーム」を名乗るならこれくらいやらんと嘘でしょう。お仕事ってほんとたいへん。

Kreml [1986]
ちっとルール汚いとか難があるんだが、見せてひとネタ遊んでふたネタ、というゲームの存在はたいへん貴重。

*Kuhhandel [1985]
これはもうオーパーツの一言。85年とか信じられん。

Can't Stop [1980]
バースト系、あとダイス・フェティシズムへの捧げ物として。権利者はこのゲームの8人拡張案を考えて売ると儲かると思います。

*Pit [1903]
永遠のマスターピース。

()は優先度が他より低いゲーム
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by Taiju_SAWADA | 2010-03-01 00:47 | うわごと

モルゲンラントとワーカープレイスメント

ただいま三ヶ月遅れでEssen Spiel09の動画を編集しているのですが(ゲームを訳したり作ったり会社やめるとかやめないとかで色々忙しかったのです)、中で全くSpiel09と関係ないものの単に切って捨てるにはちょっと惜しいシーケンスがあったので、別枠で貼付けてみました。
テーマは表題の通り。書いておきたかった話だったのでちょうどいいかなと。問題はしゃべってる人の上ずった鼻声が激しくうざいことですが。美容整形で声変えられないもんだろうか。



# エキサイトブログがやっとYouTube貼付けに対応するようになりました
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by Taiju_SAWADA | 2010-01-20 23:06 | うわごと

フィンカ指数またはDr. Kniziaの教育的指導

(お好みでタイトルにびっくりマークを添えていただいても結構です)

ドイツ・ゲームオブザイヤー(SdJ)はその選考基準のひとつとして教育効果を挙げていたような記憶があります。ボードゲームの普及を大目標とするSdJにしてみれば当然と言えるでしょう。ところで「教育」には2種類あります。つまり、「ゲームを用いた教育」と「ゲームに関する教育」です。

06年の大賞作品「郵便馬車」は、ドイツの地理についての学習効果がプラスの評価に繋がったという話があります。これは「ゲームを用いた教育」の例で、このゲームを遊ぶことで××(ゲームとは無関係の何か)を学べるよ(そして××を学ぶことでより良い人間になれます)、というやつですね。いわゆる教育ゲームは全てこれに当てはまります。基本的にゲームというものは放っておくと弾圧されるものなので、こういったエクスキューズは常に必要とされます。但し、これによって間接的にゲームをめぐる環境は良くなるとしても、そのこと自体は××にとって良いというだけで、ゲームにとってプラスの効果があるわけではありません。

そこで後者「ゲームに関する教育」の話になります。そのゲームを遊ぶ事でゲームについて学べるよ(そしてゲームを学ぶことでより良い人間になれます)。なんか括弧の中怪しいですか? というか「良い人間」というのがそもそも怪しいんですけども。しかしゲームについて学ぶのは実際のところそれなり以上に有意義なことだと思うんです。いや本当に。ボードゲームに限っても、これを構成する【本質的な】要素には、意思決定と相互作用、触感とテンポと快楽の関係、デザインにおける作家性、商業的な要請に関する問題、システムと主題の連関、遊ぶことそれ自体の意味、その他、それぞれ個別に学問としても成立しうる・あるいは既に成立しているようなものが大量に含まれています。我々はゲームに触れるごとに、ゲームについて考える。「悪い」ゲームを遊ぶ事でこそ学べる事も数多くあるわけですが、それはそれとして、このゲームを遊ぶ事でそういったことを自然と学べるようにできている、ということであれば、それは確かにゲームの普及を目的とした賞を与えるに相応しいと言えます。

最近のSdJ受賞作を見ると、07年「ズーロレット」、08年「ケルト」となっています(09年の「ドミニオン」には明らかに別の意味があるので脇に置いておきます)。この2作はまさにゲームについて学ぶためのゲームです。08年の「ケルト」について言えば、もともとKniziaはジレンマの構造がはっきりしたゲームを好んで作る(というか「そういう」ゲームしか作れず、その代わりに「そういう」ゲームを作らせればこれ以上無く巧い)人ですが、このゲームでは、何を行うと何をあきらめ、誰に何をしていることになり、そして自分は何のリスクを取る事になるのか、というゲームの構造をこの上なく明確に分かりやすく提示しています。それでいて、その明確なジレンマ構造にはしかし、いわゆる「クニツィア・ジレンマ」の凶暴さは無い。学習用のゲームだから、それはとりあえず不要なんです。そういう凶暴さこそを愛するフリークスどもの相手をここでわざわざする必要は無い(そういう連中はどうせ買うには買うんだから、後で「拡張」セットでも与えておけばよろしい)。

そして07年の「ズーロレット」、および作者シャハトによる他いくつかの著作。個人的にはシャハトってあんまり好きなデザイナーじゃないんですが、それでもこの人のメインストリームを引き受けようとする意思には頭が下がります。ゲーマーズゲーム市場が再整備された00年代に入ってから、メインストリームを引き受けようとする上質のデザイナーというのは数が極端に減ったのですけども(ゲーマーズゲーム作ってるほうが楽しいのは確かですから)、シャハトはその一人であり続けようとしています。その姿勢が最も強く現れているのが07年の「ズーロレット」でして、ここにはとにかく、どーぶつの絵やらテーマだとか、お馴染みのコロレットシステムだとか、とにかく甘いものでプレイヤーをおびき寄せて卓に着かせ、気づかれないうちに【ゲーム】をさせてしまおう、というデザイナーの固い意志が現れています。なんとかして猫の気をそらして注射を打ってしまおうとする獣医みたいな涙ぐましさ。ちなみに続く08-09シーズンの「ヴァルドラ」も、ボードゲームの手続き的側面、たとえば公開されたカードは覚えておくといいよ、とか、効率的なルートを考えてみよう、とかそういう点にに着目した、やっぱり学習ゲームになっています(ヴァルドラはそのぶん相互作用の取り扱いについてはぞんざいになってて、ぼくはこれはズーロレットから少し後退しているんじゃないかと訝っているのですが、それはまた別の話として)。

で、ここまでで話を終えるとSdJ最高、ということにしかならないので、バランスを取るために(←うそ)、おいSdJ何しやがんだ、というアレについても最後に触れておきましょう。09年最終ノミネート作「フィンカ」です。

「フィンカ」はDSP(ドイツゲーム賞)4位。もう勘弁してくれよ泣いちゃうよ俺、というくらいの人気ですが、巷でどれだけ人気を博していたとしても、少なくともSdJは無視を決め込むべきでした。単に詰まらないということなら別にどうだっていいのですが、このゲームは上記の意味での教育上、強い悪影響があります。

いったん話が横にそれますが、「ゲーマーズゲーム」という言葉について、このサイトでは何回か触れた事があります。おおむね「安全弁の無いところで繰り広げられる、複雑に絡み合った意思決定の遊び」と、(このサイトでは)定義しています。複雑に絡み合った意思決定のシステムを築き上げるために、ゲームの手続きはどうしても込み入ったものになるのですが、遊ぶ側として想定されているのはゲームが好き過ぎる人たちなので、複雑でもある程度別に構わないものとしてデザインが行われます。例えばこないだ話題にしたMac Gerdtsのゲームなんかがそうですね。

「ゲーマーズゲーム→手続きがどうしても込み入ったことになる」。ここまではいい。ではこれはどうでしょう。「手続きが込み入ってる→ゲーマーズゲーム」。あるいはこんなのとか。「手続きがそれっぽい→ゲームっぽい」。

先ほどMac Gerdtsを引き合いに出しましたが、「フィンカ」には、Mac Gerdtsのゲームと同様、【アクションが描かれた輪の上で自分の駒を動かすことで、自分のアクションを選択・制御するシステム(ロンデルシステム)】が採用されています。この動きがじつに「それっぽく」、この輪の上で自分の駒の位置を選択しているとゲームがばりばりと進んでいくものですから、何かゲームを遊んでいるようなシズル感を得られるのですが--実際のところ、フィンカにおいて行われる選択は、そのほとんどが「最善手ほぼ自明」「どれを選んでも常人レベルでは結果予測不能」のいずれかに落ち着きます。結局のところ、フィンカから得られるのは「オペレーションを遂行することで盤面が進んでいくこと」こそがゲームである、というメッセージです。さらに悪意に取れば、ここがゲーマーズゲームの入口であり、さらに複雑なオペレーションを行う事でより深いゲームになる、という風にすら解釈できます。何せロンデルシステムですからね。何が深いって?

ここで抜け落ちているのは、ラベンスバーガー社のテーマでもある例の一言、 "THINK" です。ボードゲームは、世間様に対するエクスキューズとしても、そして実際に進むべき道としても、常に "THINK" に関する娯楽でなければならない。それを推進する立場にあるはずのSdJが、まさに "THINK" だけが巧妙に抜き去られたゲームをわざわざ最終ノミネートに選ぶなどとは。

あまりにも切ないので、わたくし今年から右派に転向することにします。青少年に悪影響を与える度数を「フィンカ指数」で表現し、フィンカ指数が1を超えるゲームについては、どっかの自治体かなんかに倣って悪ゲーム指定のうえ焚ゲームとさせていただきたい。--まあ幸いにして今のところ、単なるくそげーは山とあってもフィンカほどに悪影響を与えるゲームは見つからないわけですが。
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by Taiju_SAWADA | 2010-01-02 23:26 | うわごと

日本ボードゲーム大賞09投票

5作挙げられなかったことにびっくり。もう俺はだめかもしんない。

09エッセン以降では、まだ全然遊んでないゲームばっかだけど今のところ「ハバナ」がだんとつでベスト。シュタウペえらすぎる。2番目が「ティンダハン(@フィリピーノ・フルーツ・マーケット)」、3番目に「ダンジョン・ロード」。

1. カヴァム
クラマー&キースリングが長年取り組んできたアクションポイントシステムの最終成果。「バイソン」で手にした研究成果を武器に、やりたい放題やったという感じ。ちなみにものくそ重いゲームだがきちんとドイツ的な安全弁がそっと付加されており(この奥ゆかしさが素敵だ)、純ゲーマーズゲームというわけではない。決して見た目ほど怖いゲームじゃないので、未プレイの方は是非経験してみていただきたい。

2. もっとホイップを
リメイクだが元のゲームは名前も知らなかったので今年扱いに。08-09のSdJはこれがドミニオンの対抗になると思ってた。ライトウェイトかくあるべしという傑作。

3. テネキー
すばらしい出来なのに何で誰も振り向いてあげないんだろう。08-09シーズンで最も不当に無視されたゲームのひとつだと思う。いやお前も何も書いてないじゃんと言われればごめんなさいと返すしかないのだが。みんなテネキー買うといいよ。

4. ビザンツ
08-09シーズンのAmigoは何故か突然昔の切れを取り戻したが、たぶん09-10シーズンでは元の微妙なAmigoに戻るんだろう。それはそれとしてこれは「大人になったオルネラ」のゲーム。オルネラが大人とな。信じがたいがそうとしか言いようが無い。09エッセンの「アッシリア」はオルネラというよりはイスタリのゲームみたいだし、オルネラがオルネラでいられるたのはこのゲームが最後だった、ということになるかもしれない。メジャーメーカーによるオーバープロデュースというのは今後大きな問題となりそう。エギツィアとかどうなんだろ。

5位なし


以下は09年の作品とは個人的に言いがたいので選外だが、今年扱いならベスト5の価値のあるゲーム。

(ギャラクシートラッカー)
フバキルはこのゲームを含めてドイツ系本格参入以来外れが一切無い。「ダンジョンロード」も手堅くとてもキャッチーで面白いゲームだったが、でも彼の最高傑作は前作の「スペースアラート」だと思う。スペースアラートは協力ゲームに新たな手法を持ち込み成功したゲームだ。で、さらにその前の作品がギャラクシートラッカー。いくらなんでもこれを09年のゲームというのは無理があるでしょう。

(スモールワールド)
遊びやすくなり、しかし難度は更に上がったVinci。本質的にはVinciと同じゲームだと判断したので選外。大傑作ではあるのだが、恐ろしく難度の高いゲームでもある。正直なところ、僕はこのゲームをまともに遊べている自信がまったく無い。世間での持て囃され方が不思議でならない。カヴァムなんかよりよっぽど怖いゲームよこれ。スモールワールド怖すぎるの件についてはそのうち何か書きたい。

(ドミニオン)
個人的には08年のゲーム。感想は前に書いたとおり。

(呪いのミイラ)
Casasola=Merkle信者としては当然おさえてしかるべき、また言及されるに足る出来の子供ゲーム。子供に対してもカサソラはカサソラだった。でもこれ07年のゲームじゃなかった?

(マチュピチュの王子)
08年に遊んでしまったので選外だが、本当は何も知らなかったことにして1位に挙げてしまいたい。ゲルツにとって、そしてボードゲーム界にとって「古代」以来のマスターピース。これに比べれば「インペリアル」や「ハンブルグム」は並のゲームだ(インペリアルは「古代」の最大の美点である軽さを失っているし、ハンブルグムはマチュピチュと比べてしまうと何故ロンデルと早乗りドイツゲームを組み合わせなければいけなかったかというプレゼンが薄い)。

(ルアーブル)
これも08年扱い。本質的にはアグリコラと同じところを目指したゲームなんじゃないかと思うが、アグリコラの「?」だった部分が潰されて、納得しやすいゲームになってる。あと、07年以降のワーカープレースメント全盛の中、ケイラスからそこを持ってくるかー、というローゼンベルクのセンスが素敵すぎる。

(パンデミック)
09年のSdJノミネート自体が不思議だった。07-08シーズンのゲームでしょこれ。協力ゲームとして何か新しい達成があるわけじゃないんだが、単純にわーきゃー楽しいゲーム。ここまで楽しいなら全然OK。


(1月4日追記)
あれ考えてみたらComuniって今年だよね? なんでリストに載ってないんだ? ...と思ったがもしかしてこの「コミューン」って書いてあるのがそうなのか? いや誤訳とまでは言わないが限りなく誤訳に近い訳だろこれは。イタリアの話じゃなくなっちゃうじゃん。もう投票しちゃったけどComuniがあるならこれが2位(1位でもいいんだけど。微妙なところ)に入るから5つ埋まる。よかったよかった。
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by Taiju_SAWADA | 2010-01-02 20:44 | うわごと

no luck?

いまMac Gerdtsのゲームの和訳をやってて、ということはこんなとこで余計なおしゃべりをしてると各方面からそれはもう偉い勢いで怒られたりするのですが(このサイトの更新が全くないのは和訳ばっかやってるからですごめんなさい)、無論Gerdtsはまあ控えめに表現しても天才としか言い様の無い素晴らしいデザイナーなわけですけど、ひとつだけどうしても気に入らない点があって。彼、自分のゲームの序文に「strategy game without luck of dice or cards」って書くんですよね…それも誇らしげに。

大事なことなので何度でも言いますが、マルチプレイヤーズゲームにおいて「no luck」というのは性質の悪いフィクションでしかありません。これは2人用ゲームやn人ソロゲームとマルチプレイヤーズゲームを分ける最大のポイントで、「no luck」、すべてはテメエ次第。というのは2人ゲーム(およびn人ソロゲーム)のための言葉です。そしてマルチプレイヤーズゲームはこの言葉の否定から始まります。テメエがどんだけ喚いてもどうにもならない、第三者という名前の領域が必ず存在する。これはほとんど定義かトートロジーかというほどのもので、マルチプレイヤーズゲームを遊ぶということは、そのことを否応無く引き受けなければいけないということでもあります。否定したところで嘘にしかなりません。

いや、ただの嘘なら別にいいんですけど。嘘は必ずしも性質が悪いわけではないし、フィクションだということでもありません。問題は、マルチプレイヤーズゲーム、それもしばしばゲーマーズゲームにおける「no luck」という言葉は、2人用ゲームにおける「no luck」の含意を悪用しているということです。2人用ゲームにおいて、この言葉は「紛れの一切無い、ピュアに貴方の頭脳を試す勝負である」というストイックな競争(カイヨワがお好きなら、「アゴーン」とルビを振って頂いても構いません)の宣言を意味します。ブラフも揺さぶりもなく、あくまでデシジョン・ツリーを先まで見渡すだけ、本質的には勝負の対象としての相手もいないものとみなすことさえできる、要は自分がどこまでの高みに達したかを測定するための装置。いや、実際のところトップランクの棋士の発言なんかを見るとそこで起きてるのは全然そういうことではないみたいなんですが(むしろ彼らの言葉はマルチプレーでも同様に適用できるものであることが多いです)、原理としてはそう言える。

で、このストイシズムをマルチプレイヤーズゲームに持ち込むために、「no luck」という言葉が使われていると。luckのあるゲームは紛れのある・貴方の頭脳を試すに値しない低級なゲームであり、no luckなこのゲームは紛れの無い・貴方の頭脳を試すに値する本物の測定装置である、というね。あのー、困る訳ですよ、勝手に一人で頭脳を試されたり高みに立たれたりしても。置いてかれた四人で目配せして袋叩きにしちゃうと後で恨まれそうだし。このフィクションはそういう変な誤解をプレイヤーに与える可能性がひっじょーに高く、何と言うか青少年の教育上いろいろとよろしくありません。

どこまで行ってもマルチプレイヤーズゲームは貴方の頭脳に挑戦するピュアな測定装置ではありません。それこそ「あいつ袋叩きにしちゃおか」がいつでも成立する、下賤で野蛮で猥雑な何かでしかありません。Gerdtsの"Antike"にしても同じことで、「no luck」だってんで喜んでどれだけ先を見たところで、隣の蛮族がわけのわかんない理由で殴り掛かってきたらそれで終わりです。だからこそ、変なフィクションに引っ張られて内実の伴わない自意識を振り回すのは止めにして(2人用ゲームでなら大いにやれば良いと思います。そこには確かに内実がありますから)、仕組まれた野蛮、必要に応じてluckもdiceもcardもふんだんに突っ込んで組み上げられた猥雑の猥雑ぶりを、にやにや一緒に舐め回せばええじゃないか。わたくしはそう思うのですが。
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by Taiju_SAWADA | 2009-12-17 01:38 | うわごと