カテゴリ:うわごと( 44 )

3人以上

もとより競技性を旨とするようなゲームの場合「3人以上」というのはほぼ色物の同義語であって、またそれとは全く無関係の事情により、これまでどちらかといえばマルチプレイヤーズゲームを基本としてきたドイツ系ゲームにおいても2人ゲームの勢力が徐々に増してきているわけですが、どうもこの2人ゲームというものが苦手なのです。ということで今回は「3人以上であること」について。言わずもがなな内容という気はしますが、その割にはあまり文章として明示されているところを見たことがないので。

「2人」と「3人以上」の違いはただ一点に集約されます。「3人以上」においてはゲームの内部に非ゼロサム構造が内包されるのに対して、「2人」においてはそうではない、ということです。無論、ここでは(前に書いたような)ゲームが全体として非ゼロサム構造を持っているようなケースは想定していません。ゲームが全体としてゼロサムであるような(ごく普通の)ゲームを前提として、その中で非ゼロサム的なシチュエーションが発生しうるか否か、という話です。

これは書いてみて早くも後悔しはじめているほど当たり前の話でして、つまり3人以上のゲームにおいて、一人のプレイヤーの競争相手は全体としては残りの全プレイヤーになるわけですが、ゲーム中のある一時点において一人のプレイヤーが当面の相手をするのは必ずしも残りの全プレイヤーではない。「とりあえず相手をしないといけないプレイヤー」と「今の時点では関係ない(関係ないことはないにしても、とくに干渉してくることはない)プレイヤー」に他者を分けることができる、というところが重要なのです。

二人ゲームにおいて、あるプレイヤーが得をするということは、他のプレイヤーが損をする、ということです。 x + y = 0 のゼロサムなんですから当然ですね。 x が増えれば y は減ります。この関係は、三人ゲーム(あるいは四人以上のゲーム)には適用されません。 x + y + z = 0 のゼロサムにおいて、 x が増加すると y は増加するか? z は増加するか? なんとも言えません。はっきりいえることは (y + z) が減少することだけです。ここで、たとえば x のプレイヤーが今当面相手にできるのが y のプレイヤーだけだったとすると、この x と y の関係は、当然のように非ゼロサムであるということになります。

このような「非ゼロサムの内包」によってはじめて可能になるゲーム要素の代表的なものは、勿論「交渉」でしょう。2人とも幸せになれる可能性がないかぎり、交渉はそもそも発生しません。しかしここでは、「交渉」よりもむしろ「利他行為」を(あるいは利他行為をベースとした交渉、といってもいいかもしれませんが)取り上げたいと思います。

利他行為というのはまあ言葉の通り、誰か他のプレイヤーを利する行為のことを(ここでは)言っていて、もうすこしきちんと書くと、たとえばさっきの「x, y, z の三人ゲームにおける、 x, yの部分ゲーム」において、 x, y のどちらにも利益にならず、したがって z の利益になるような x または y の行為」みたいなことを想定しています。この利他行為はわりと嫌われがちな行為で、また嫌われる尤もな理由もあり、冒頭で挙げた3人以上のゲームが色物扱いされる(自分がベストを尽くしても、何の関係もないところが理由で負けちゃったりするわけですから)直接の原因でもあるわけですが、しかし利他行為の存在は、ゲームにいかにもマルチプレイヤーズゲーム的な緊張感をもたらします。つまり、利他行為が存在するがために、他プレイヤーに対して「信憑性の無い脅し」をかけることが可能になるのです。

信憑性の無い脅し、というのはたぶんゲーム理論の用語だったと思いますが、たとえば、自分と相手がいたとして、「あなたが私にとって不利益な行動を取るのであれば、私は『自分の利益を度外視して』あなたに復讐しますよ」という脅しをかけることです。信憑性のない脅し、というくらいですから当然この脅しに信憑性はない(どうせ「自分の利益の度外視」なんかしないだろう、というわけで)のですが、実際に相手プレイヤーの価値観に対して100%の確信が与えられるわけでもない状況においてこの脅しを無視することは難しく、故にこの脅しにどう対処するのか、というところが(ある種の)マルチプレイヤーズゲームにおいては非常に重要な問題となります。

また、相手が脅しに屈しなかった場合にどう対処すべきか、という問題も浮上します。実際に自分の利益を度外視するか否か。当面の損と、自分の価値観を相手に悟らせない・あるいは疑わせることの損得(脅しはかけやすくなりますが、まともな交渉は難しくなるというデメリットもあるので「得」ではなく「損得」になります)のどちらを選ぶべきか。これらの問題は、単純なその場で見えている損得の問題ではなく、損得に霧がかかっていること、そしてもっと根本的なこととして、個人の価値観に霧がかかっていること(あるいは個人の価値観が玩具にされていること)によって発生する問題であり、これらの問いには正解がありません。「正解っぽい解」すら無いかも知れない。

個人的に2人ゲームよりも3人ゲームに魅力を感じている理由は、この「正解がないこと」に尽きます。控えめな言い方であれば「正解が見えないこと」、強い言い方であれば「正解とか言う詰らない概念を玩具にしてしまえること」となりますが、いずれにしてもこの魅力は、マルチプレイヤーズゲームの堂々たる主役である「交渉」そのものよりも、継子扱いされがちな「利他行為」によるところが大きいのではないかと思います。
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by Taiju_SAWADA | 2004-11-28 16:48 | うわごと

非ゼロサム

(* 以下の文章では「ゼロサム」という言葉が頻出しますが、意味の分からないかたは「決まった大きさのパイを奪い合うようなゲーム」だとお考えください。で、1位~最下位までを決定するような普通のボードゲームは「あらかじめ順位が定められており、その中でより良い順位を奪い合うようなゼロサムゲーム」である、というところまで了解していただければ)

交渉もののゲームをプレーしてて時折思うことというのがあって、基本的にボードゲームやカードゲームは「プレイヤー全員が単一のゼロサムゲームに参加している」という構造を取っていますから、そうすると交渉相手も自動的に「有限の大きさのパイを奪い合う競争相手」ということになって、ということは交渉を行った結果、相手にとって有利な事態が発生すると、そのこと自体にのみ着目する限りにおいては、自分にとって不利な結果をになる、ということになります。

無論交渉事というのは両者にとって得になるような状況においてのみ成立するというのが基本ですから、だいたいの場合は相手も自分も浮いて、交渉していない人々が沈む、ということになってくれてじゃあいいじゃないか、とはなるんですが、ただゼロサムの枠がどうしてもあるんで、たとえば相手が極端に浮きになるような交渉を成立させようという発想はでてきません。

で、もうちょっと妙な交渉を有りにできないかなー、というわけです。そこで当然のように思いつく発想で、ゼロサムの構造を取っ払ってみよう、と。

既存のボードゲームにおけるノンゼロサム、というと、

・全員協力ゲーム
・「全員負け」(または「全員勝ち」)という状態が定義されているゲーム

の二種類をとりあえず考えることができます。ただし、「ノンゼロサム前提の交渉」というここで掲げている視点から眺めた場合、これらを採用することには躊躇が生まれます。

まず前者について。「全員協力ゲーム」というのは、実際のところ一人ゲームと大差ありません。全員協力ゲームと一人ゲームの違いというのは、全員協力ゲームにおいては「各プレイヤーが異なる情報を持っており、かつそれらの情報について相互参照が厳しく禁じられている」のに対して一人ゲームではそうではない、というそれだけのものでしかありません(*)ので、交渉をやろうとしてもそれは自分自身と交渉しているのと同じ事で、全ての点が妥結点になってしまいます。

(* 正直なところ、世の全員協力ゲームがそのあたりをどれくらい意識しているのかというのも少々怪しい気がします。「他プレイヤー」という監視者がいないのだから、情報開示の禁止を相当に厳密に行えるようなサポートをルール内に入れる必要があるのに、そのへんをパスして普通のゼロサムゲームと同じようにリソースを扱わせていたり)

後者については、別に前者ほどの問題はありません。特に「全員負け」については、交渉ゲームのなかに普通に取り入れることができるという考え方もありでしょう。ただし個人的に引っかかるのは、もともとゼロサムがベースとなっているボードゲーム・カードゲームに「全員勝ち」とか「全員負け」というようなステータスを入れるのがどのような意味をもつのか、ということです。こういうゲームをプレーしていると、考え方がゼロサムになってしまいます(「普通はそうだ」とまでは主張しませんけど。少なくともわたくしとしてはそうです)んで、そういう頭になっているところに「全員負け」などと言われても、「全員同順位→要するに引き分け」としか解釈できないのです。

というわけで上記のような方法はとりたくないと。さてどうしましょうか。

んで考えたのですが、「ゼロサム」部分を取り払うかどうするかという議論をやるのであれば、「プレイヤー全員が単一のゲームに参加する」という部分を取り払おうという発想をしても別に構わないのではないか。つまりは一つのゲームシステムにおいて、複数のゼロサムゲームが同時に行われている、という状況を考えるわけです。たとえばプレイヤーが6人いるとすれば、プレイヤーA, B, Cの3人によって行われる「ゲームX」と、プレイヤーD, E, Fの3人で行う「ゲームY」に分ける。そして交渉は、ゲームXに属するプレイヤーとゲームYに属するプレイヤーとの間で行うことにします。無論、交渉を成立させるためには、ゲームXとゲームYの両方で使用できるようなリソースを複数種類用意しておく必要があります。

このようにしてしまえば、とりあえず相手がやたらと浮くような交渉を成立させてしまっても、貰うものだけ貰ってしまえば後は「あっち側の世界」の話ですので、とりあえず自分に不利にはなりません(むろん「あっち側」の人々からは恨まれるでしょうから、後の交渉でいろいろあるかもしれず、そのへんがこの枠組の限界ではあります)。今までよりも野放図な交渉を楽しむことができるようになるでしょう。交渉とは直接的には関係ない話ですが、他プレイヤーとの干渉という意味では、「あっち側の他プレイヤーを叩く」という行為がゲームに及ぼす影響についても、通常のゲームとは異なる効果が得られそうでもあります。

難点としては、1回の「ゲーム」において複数の勝利者が出るというのが興を殺ぐのではないかということ、構造上最低敢行人数が4人、できれば6人以上欲しいということになってしまって最近の少人数ゲーム化傾向に逆行しているということ、あと何といってもデザインするときに他のゲームをまともに参照できないので作るのがえらく難しい(←妙な実感が篭ってますが何故でしょうね)、ということでしょうか。でも実際に現れれば面白そうな感じはするし、少なくとも目新しさで一定の注目は得られると思うんですが。
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by Taiju_SAWADA | 2004-08-29 22:13 | うわごと

なきごと

登録する前に調べておけという話ではあるんですけども。

まさかここまで使えないシステムだとは思わなかったよう。

腐ってる! 腐ってるよExcite Blog!

とにかく記事の検索性がゼロに等しい。
いったん埋もれたが最後、まともに記事を見つけるのは不可能と言っていい。
あー。PukiWikiのほうについでに記事も書いたほうがよぽど良いんじゃじゃないのか。

というわけで、まだしばらくはこっちで続けますが、そういうことになる可能性が高いという点につきましてはご了承ください。
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by Taiju_SAWADA | 2004-08-15 13:27 | うわごと

Kai Piranja / 何故わたくしは坊主めくりと相性が合わんのでしょうか

はい。合わないのです。というわけでちょっと考えてみました。

・山札があります。
・一枚ずつめくっていきます。
・めくりたいだけめくって構いません。いつ止めても構いません。
・めくるのを止めた場合、めくったカードは全て獲得できます。
・とある条件で、カードめくりは強制中断されます。この場合、カードは獲得できません。

とゆうゲームのことを「坊主めくり」とここでは呼んでいて、こないだ遊んでみた Kai Piranja なるゲームはこの坊主めくりゲームの一群に属するものです。
面白かったか、といわれると面白くなかったのです。あるひとつのゲームが面白くないというだけのことであれば、それはまあごく普通のことですからどうでもいいのですが、問題と言うのは別にあって、それはつまり、

そもそも坊主めくりのフォーマットって面白いのか。

いや面白いけど。という方もいらっしゃると思うので、何が不満なのかをもうすこし書いておきましょう。坊主めくり系を含めたバースト系のゲームに対して、わたくしが求めているものは「進み続けることの緊張感」なのですけれども、坊主めくりフォーマットを採用すると、この緊張感がむしろ出なくなる傾向があるのではないか、と思うのです。

バースト系のゲームには、

・「ゴー」を選択するごとに、失敗時に失うものの(見た目上の)価値は増大する

という大前提があります。成功時に得るものの(見た目上の)価値については、常に一定だったり、ランダムに上下したりと様々ですが、ともかく、トータルで計算した場合には、

・「ゴー」を選択するごとに、(見た目上の)損得勘定(つまるところリスクを考慮に入れたリターン)は概ね悪くなっていく

必要があります。これはシステム上の要請です。「見た目上の」という括弧書きを繰り返していますが、基本的には見た目だけでなく実際にも損得勘定が悪くなっていかないといけません。そうでないとストップをかける人がいなくなってしまいます。

というわけで、「ゴー」をかけるごとにだらだらと右下がりで落っこちていく損得勘定グラフを睨み続け、ゼロを切って赤字ゾーンに突入したところで「ストップ」をかける、その「ゼロを切る瞬間」のタイミングを誰よりも正確に見切ること、というのがバースト系ゲームの基本構造となります。

となるんですけど、これだけの構造でゲームを支えることは不可能です。不可能だっつってるのに堂々と提示してくるから Kai Piranja は詰まらんのだと言う話になるのですが、それは措くとして、なぜ不可能なのか。相手にしているのが思い切り乱数で、しかも意思決定の回数もそんなに多くないからです。

さてどうすべきか。

1. 見なかったふりをする。
それをすると Kai Piranja になってしまいます。

2. バーストとは別の要素を派手に盛り込んで、バーストの要素を後ろに追いやってしまう。
たいへんナイスな解決法なのですが、それは逃亡です。戦ってください。

とゆうことで、真面目なバースト系ゲームにおいては、たいてい

3. 「進み続けることの緊張感」を演出する
という手法がとられることになります。ああやっと話が繋がった。

「進み続ける緊張感の演出」は、見た目上の損得勘定と実際上の損得勘定の間に派手な乖離を起こすことで行われます。いや、見た目上と実質との乖離というのは、勝利点システムを採用している全てのゲームに当てはまることではありますけども、それは話に関係ないのでほっとくとして。「進み続ける緊張感」を演出するにはクリアしなければいけないハードルが2点ほどあって、最初のひとつが、まずプレイヤーに「進み続けること」を選択させないといけないということ。このハードルと、先ほどの前提をあわせると、「勝利点的にはさらに沈み込む可能性のほうが高いのだがここで勝負しておかないと勝てる可能性がゼロに下落」というシチュエーションを発生させないといけません。これがここで限定的に言っているところの「乖離」です。

ちゃんと書くなら、勝てる可能性が本当にゼロまで下落してしまうとそのプレイヤーのモチベーションもゼロになってしまうので『大幅に下落』あたりにとどめておく必要があるとか、どこまで勝負しておく必要があるのかという点に関してぼかしを入れておくことによって意思決定の要素を残して「させられ感」を軽減させないといけないとか、そういうことも考えないといけないんですが、とりあえず上記のようなシチュエーションを発生させたとしましょう。問題は後半のハードルのほうで、これは当たり前のことなんですけど、進み続けるという不利なギャンブルに勝てる可能性がきちんとそれなりの確率で用意されていなければいけません。そう繰り返し行うわけでもないゲームにおいて、微小な確率はプレイヤーの中であっさり確率ゼロに変換されてしまいますから(少なくともモチベーションという点においては)。理想を言えば、不利なギャンブルにおける不利の源泉は、見た目上の(および実際の)ペナルティを主とし、勝利確率の減少はあくまで副次的なものであるべきです。実際のところ、上位を追いかけているようなプレイヤーに対して実質的効果のあるペナルティを配置するのはたいへん難儀なことなので、勝利確率の減少によって対処するのは仕方が無いのですが、その減少度合いについては熟慮しないといけません。

坊主めくりフォーマットの問題はここにあります。1枚めくって危険札がでなかったとなると、連続してめくるときにそれが危険札である確率は、さっきめくったときよりも確実に高くなります。となると一定枚数めくらないといけない場合、危険札を引かない率というのはかなり厳しいことになってしまいます。さらに厄介な点として、「これ以上の枚数は絶対に引けない(ゲームが終わるか、あるいは100%の確率で危険札が出る)」という枚数が、坊主めくりフォーマットを採用すると(かなりデザイン上の無理をして回避しない限り)出てきてしまうことになります。

何が言いたいかというと、ゲーム終盤、7枚差を追いかけていて最後の自分の手番になって、残り山札がどう見ても10枚を切っている(しかも危険札がまだ中に複数残ってる)という状況はえらく寂しいよね、ということなのです。そういう状況になる前になんとかしろって? いや、だからそれじゃバースト系ゲームである意味が無いんですってば。
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by Taiju_SAWADA | 2004-07-25 23:56 | うわごと