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裏紙を複写しました:無論お祭りは好きです

プロレスは...好きかな、どうかな。DVDで借りた"マッスル"は面白かったけど。
候補作に禄に触れてないまま大賞が決まってしまってすっごいがっかり。
だって6月は忙しかったんだもん。ウェブログ更新だって出張先からやってたんだもん。
せめてお喋りくらいには参加したい。ということで。

(前略)

みんな今でも「ゲーム好きとしてはSdJよりDSPのが」とか言ってるのかな。ほんとに心から?
2000年以降でDSPがはっきりした「ゲーマーの見識」を示せたことってそうないと思うなー。
ケイラス郵便馬車Antikeと並べた2006年くらいじゃない? 
でもこの年はSdJだって郵便馬車に出してるんだから十二分だよね。
2005年なんてルイ14世だし。もう誰もあのゲーム憶えてないじゃん。
ナイアガラに出したSdJのが余程きちんと見てる。
2007年だって...この話は昨日したからいいか。
SdJが駄目でDSPがまともだった年って2002年だけじゃないかなー。
それだってSdJを一方的に責めるのは可哀想な面もあったし。
DSPは目を瞑ったって間違えようが無いけど、さすがにSdJはプエルトリコ選べないでしょう。

ん? 当然SdJ派ですが。
いや、ランク圏内からTaluva落としやがったことをまだ恨んでるとかそういうことじゃなくて。
ほんとだって。それ言ったらアンチSdJ派だって1999年のこと根に持ってるだけじゃないの?
大体さあ...

(後略)
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by Taiju_SAWADA | 2008-07-07 01:22 | うわごと

偽ゲーマーズ

プレーしてる間は楽しいんだけど終わった後ですっごく微妙な気分になるゲーム、というのがあります。正確に言うとプレーの前、ルール説明を聞いている瞬間からちょっと複雑な感情を覚えて、あとプレー中にしても楽しさとは別の何かが。何についての話かというと具体例としては Rieneck のキューバとか大聖堂(は共作ですが)とか。いや、便利なんですよこの二つのゲーム。ゲームがほぼ破綻しない構造になってるから安心できますし、意思決定ポイントもあちこちに分散してたくさん用意されてるので何か遊んだような感覚が容易に得られ(逆に疲れてるときには適当な手を指してもとりあえずゲームは進み)、さらには何か新しげなメカニズムまで用意されてる。いったい何が不満なのかと。

何が不満なのかと言えば、そのこと自体が不満なのですね。この種のゲームはあまりに安全すぎる。勿論大聖堂といえば最早業界トップメーカーと呼んでも構わないだろう KOSMOS の勝負作かつ原作モノなので、万一にもユーザの不興を買ってはいけないという事情はわかります。しかし問題は、このゲームはそもそも中心ユーザとして準一般層ではなくファン層を念頭に置いているということです。事実として大聖堂が取った賞は SdJ ではなく DSP なのでして。キューバに至っては Eggert という冒険が許されるメーカーからの出版でありながら大聖堂と同様の安全設計。

では安全設計の何が嫌なのか。これは立場を変えて、「ゲーマー」向けに安全設計のゲームを作るデザイナー、という状況を考えてみれば大変解りやすいのですが、つまりここには、「ゲーマー」という層に対して、安全設計でゲームを作らないとろくな事にならんだろう、という判断があるって事なんですね。安全設計でゲームを作るというのは言い換えれば、ゲームから多様性を剥ぎ取る、少なくとも逸脱の結果が読み切れないような枝についてはこれを刈り落としていく、ということです。

それで残るのは何か。結果の予測できる意思決定、どこかで見かけたことがあるから安心して進んでいける展開。そして大量の手続きと、場合によっては物珍しいメカニズムです。大量の手続きを捌くためには過去の類型を参照できるだけの知識なり経験なりが必要となりますから必然としてゲームは「ゲーマー」向けのものとなり、また物珍しいメカニズムによって、一種の批評的成功をも勝ち取ることができます。物珍しいメカニズムと物珍しい意思決定がここでは等号で結ばれないことに注意しましょう。メカニズムは意思決定のためのものではなくギミックとして用いられます。

これだけ親切に囲ってくれれば、それは面白くならない訳がない。と同時に、不愉快にならないはずもありません。プレイヤーがデザイナーに全く信頼されていないという明瞭なサインを手番ごとに受け取るようなものですから。「ゲーマー」というのはその程度の人種でしかないのだという諦念がなければ、このような設計は選べないでしょう。ゲームの構造に対する理解を欠いているかゲームを運用する能力を持たない人々を対象として作られた、危険な場所には立ち入らせないアトラクション。どれだけルールが複雑な造形をしていようと、これらは(鉤括弧無しの)ゲーマーズゲームではありません。

問題は、これが必ずしもデザイナーの側の非によるものではないということでしょう。こういうことについて過剰に苛立たしく思えるのは、原因の少なくとも一部がこちらにあることに自覚があるからです。掛け値無しのゲーマーズゲーム、例えば少し前に挙げた Container は正しく相当すると思いますが、これを我々が常に遊びこなせるか(遊びこなせているか)どうか。そう考えれば、我々の元に届けられるものの多くが偽ゲーマーズゲームでしかないのも仕方のないことです。手元の事実を突き合わせれば確かに、我々はどうもその程度でしかないらしい。

俺は違う、と言いたくはなります。なりましょう。でもそれも結局、ねえ?
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by Taiju_SAWADA | 2008-07-06 02:11 | うわごと