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重要タイトルで振り返る捏造ドイツボードゲーム20年史(part3)

プエルト・リコ | 2002

プエルトリコがDSPを獲った瞬間はそのままイコール「特殊能力対戦物がドイツにおいてOKになった瞬間」であると言えます。プエルトリコが何で面白かったかという話であれば、独特かつ効果的なフェーズ選択システム(と積荷ルール)によって形作られる「遅延をめぐる攻防」にまず触れる必要があり、このゲームにおける特殊能力の面白さはそれが前提になっているわけで、特殊能力について触れるのは後回しでも別に構わないくらいなんですが、残念なことにそっちのほうはその後ぜんぜん流行らなかったのでして。ここで取り上げるべきは専らテキストのほうになります。

プエルトリコ以前と以降で大きく変わったのは何か。テキストが有りになった、ではありません。イベント的なテキストは90年代にも生き残っていましたし、特殊能力としてのテキストはこれ以後もメジャーになってはいません(特殊能力としてのテキストのメジャー化は「アグリコラ(2008)」あたりでしょうか)。特殊能力が有りになった、というのも本当はちょっと違ってて(いや冒頭ではそう書いたんですけど)、90年代的な特殊能力というのは厳然と存在しています。「90年代的な」というところが重要なポイントで、90年代の特殊能力は概ね「イベントカードをどう現代化するか=ファミリーストラテジーの通常進行の中にどう組み込むか」という問題意識と繋がっています。そのへんが最もよく現れているのが前回の「エルグランデ」で、旧来のイベントデッキを特殊能力デッキに作り替え、プレイヤーの選択次第で場からどのカードを獲得できるか変化するという形を生み出しました。拡張の「エルグランデ K&I (1997)」では更にラディカルになっていて、特殊能力デッキをそのままプレイヤーの手札とし、元々のアクションカードと機能を融合させ、通常のゲーム手順の中に組み込むことで、特殊能力選択のフェーズそのものを削ってしまっています(エルグランデK&Iは特に意識的な例でして、それほどこの部分に拘っていないゲーム、例えば「フィレンツェの匠」などは、カタンの特殊カード的な処理で済ませてしまっています。こちらのほうが多数派ですね)。

プエルトリコが変えたのはこの部分です。プエルトリコ以降(厳密には1年飛んで03-04シーズンから。02-03シーズンのDSP受賞作は、特殊能力に関して典型的なカタン処理を行っている「アメン・ラー」です)、特殊能力はイベント山札から離れ、最初から面陳で全部場に並ぶようになります。プエルトリコ以前のドイツゲームにもそういう取り扱いをやった作品はあって(もうこの流れは今シリーズのお決まりですね)、ここでは「原始スープ(1997)」がこれに当たりますが、97-98当時の原始スープというのはそれはもうエクストリームでカルトな作品という位置づけのゲームでございまして、いや位置づけがどうこうではなく実際原始スープはどの特殊能力をいつ選ぶかで全てが決まるエクストリームなゲームなんですけど、なんにせよ主流派ではなかった。それを言うならプエルトリコそのものだって発表当初は普通にエクストリーム扱いされていたようにも思うのですが、お値段とか流通とか意外と当時のドイツ本流的な部分が強いとかいろいろあったのでしょう、「この手のゲームとしては」の前提付きながら大ヒットしてしまい、実際大ヒットしてみると意外にみんなあっさり受け入れてむしろ嬉々として能力の強弱談義に花を咲かせ、なんならそういう談義とか嫌いじゃないご新規のユーザまで連れてくることになってしまったのです(←ここ重要)。そしてこの流れは、特殊能力から特殊性を取り除いた「サンクトペテルブルク(2004)」、ケイラスの項で再び登場すると思われる【微妙な能力の組み合わせ】ゲームの火付役「ルイ十四世(2005)」で確定的になります。

この流れを振り返った後で改めて「ドイツボードゲームの終わりとその後」というテーマを考えた時、「終わりの始まり」つまり転換点の役を割り振るのに最も相応しいゲームはやはりこのプエルトリコだと言えるでしょう。ただし、何からなにへの転換点なのかということはきちんと言及しておく必要があります。つまり、「多主体複雑系的(≒マルチゲーム的)ジレンマ」をベースとしたゲームから「強弱解析のケーススタディ」をベースとしたゲームへと流れが移り変わる瞬間、という意味です。最初にモダンアートの項で取り上げた「クニツィアレスク」というのは前者の要素のミニマル化だと言えます。そして後者はTCG/CCGを支配する主題であり、より広くは2人用ゲーム一般を支配する主題です。マルチゲームの2人ゲーム化。その最初の作品となったのが、醜い汚れ仕事にまみれた如何にもなマルチゲームである「プエルトリコ」だというのは少し皮肉なところがありますが、歴史というのはそういうものなのでしょう。いや全部わたくしの按配なんですけど。



キャメロットを覆う影 | 2005

ドイツゲームの終わりとその後の話はいったん中断して、ここで協力ゲームの話題を入れておきたいと思います。この話題はこのサイトでは散々しつこくやってて新しく付け加えることって何も無いんですけど、それでも偽史を作る以上はやっとかないといけないトピックではあるのです。ドイツゲームの20年で未解決に終わった問題というのはいくつかあって、たとえば「結局ゲームにおいてダイスというのはどう扱うべきなのか」なんてのがあり、こういうのは次の世代のゲーム(の出版社と作者とプレイヤー)が考えていかないといけないんですが、それら未解決の問題のなかで取り分け大きいのがこの「協力ゲーム問題」です。協力ゲーム問題というのは、協力ゲームを如何にマルチプレイヤーズゲームとして成立させるか、という問題のことです。協力ゲームは放っとくと「声の大きい奴が1人でやってんのと変わらないよね」ということに必ず陥ってしまい、というのはそれを防ぐ強いインセンティブのある人が場に誰もいないからですが、これを何とかしないと複数人で集まってゲームをする意味がなくなってしまいます。

なんでこの問題が未解決なのかというと、まず解くのが難しい問題であるというのがひとつ。あとは80-90年代のドイツゲームが基本的に協力ゲームにあんまり興味を持ってなかった、ということもあるでしょう。なぜ興味が無かったのかというと、その年代のドイツゲームでは勝敗というのはいい加減に決まるものだったので(多主体複雑系的ゲームでは勝敗というのは本質的にいい加減なものなのです)、勝敗についてさほどシリアスに考える必要がなかった、ということは指摘できます。それがエルグランデ以降のゲーマーズゲームの定着で「スキル」の概念がクローズアップされ、さらに前述のプエルトリコのところで述べた解析化の流れにより、勝敗、つまり勝ったひとと負けたひとがいること、という事実が相応に重いものになってきました。その緩衝材として必要になるのが(カジュアルゲームと)協力ゲームであった、という筋書きは、ひとつあり得るんじゃないかなと思います。

前置きが長くなりましたがそんなわけなので、ドイツゲームでは協力ゲームの歴史そのものがあんま無いのです。相応しいスタート地点はおそらく「ロード・オブ・ザ・リング」ですが、これ2000年のゲームですから。そしてこれはあくまで(ドイツゲームとしては)開始点なので、協力ゲーム問題は別に何も解消されていません。欧州のボードゲームで、まっとうにこの問題に取り組んで成果を挙げ、さらに市場にもそれなり以上に受け入れられた、という条件を満たすものを探すと、出てくるタイトルがこの「キャメロットを覆う影」になります。

キャメロットが何をやったか。これは一言で表すことができて、「裏切り者がいる<可能性>の導入」です。いるかもしれない、いないかもしれない。その揺らぎが重要だ...というのはそのまま別のエントリで述べたので詳しくはそちらを(【「である」のではなく「になる」こと】 http://toccobushi.exblog.jp/3461437/ )。実際に裏切り者が1人います、だと今度は単純な1vsNになってしまって協力ゲームではないので、「可能性」にとどめておくことで「全員協力しているのだけれども全員の情報をオープンにできない」という状態をともかく現出させたことが「キャメロット」の主要な功績です。まあ実際にはかなりの確率で普通にいるんですけどね裏切り者。

それだけ? それだけ。それだけです。それでも、やっぱり初めにやった人は偉いんですよ。このあと協力ゲームはそれなりに数が出るようになり、その中で協力ゲーム問題をクリアしたといえる水準にあるゲームも複数出てきています(具体的には「スペースアラート(2008)」と「花火(2010)」。「パンデミック(2008)」は楽しいゲームですが協力ゲーム問題に関する限り2000年の水準を一歩も出ていません)。で、何でそういうものが出てくるようになったかを考えた時、キャメロットがデザイナーに与えた影響、つまり「協力ゲーム問題というものがある」と認識させたこと、これは大きかったんじゃないかと思うのです。
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by Taiju_SAWADA | 2011-10-24 01:23 | 感想・紹介

重要タイトルで振り返る捏造ドイツボードゲーム20年史(part2)

2回目でーす。今回も勝手な断定をエクスキューズなしでばんばん飛ばしてますが、「俺の中ではこれが真実」以上の保証は何も無いんで、「な、なんだってー」くらいの気分でよろしくどうぞ。逆に言うなら「俺の中ではこれが真実」ってところまででよければ確実に保証します。意味のある保証かどうかはともかく。

さて今回はクラマー&ウルリッヒ二連発。内容を一言でまとめると「クラマーはえらいひと」。



エル・グランデ | 1995

1995ニュルンベルグ発表のカタンがアメリカのゲーマーズゲームからゲーマー臭を取り除くことによって「ファミリーストラテジー」の再定義(っていうか「定義」ですね。ファミリーストラテジーはカタン以降のドイツゲーム・ムーブメントの中で使われだした言葉ですから)を行ったゲームであるとするならば、1995エッセン発表のエルグランデは、ドイツにおけるゲーマーズゲームのフォーマットをこれ一作で規定することになったゲーム、と申せましょう。

この「フォーマットの規定」というのは、たとえばモダンアートによって現代の競りゲームのあり方が規定された、というのとは意味合いがちょっと違います。現代競りゲームの場合はモダンアート以前には殆どそういうものが無かったのに対して、エルグランデ以前にもドイツ的なゲーマーズゲームと呼べるものはそれなりに存在しています。例えば同じメーカーの最初の批評的成功作である「ディ・マッヒャー(1986)」は典型的なドイツルールで構成されたゲーマーズゲームですし、ドリス&フランクも「でっかい馬鈴薯(1989)」や「フッガー・ヴェルザー・メディチ(1994)」みたいなものを出しています。「チョコ&コー(1987)」など今遊んでこそ新鮮なゲームと言えるでしょう(言えるんです。いや面白いんですってチョコ&コー)。そういうわけでゲーム自体は存在していたのですが、「ドイツ・ゲーマーズゲーム」というフォーマットのほうがこの時点までは無かったのです。もっとも分かりやすいところで言えば、「ドイツ・ゲーマーズゲームは表示時間が90分(実際遊ぶと初ゲームなら2時間半)」というのは、このエルグランデが始め、このエルグランデによって広まった慣習です。従って我々が、あるいはメーカーが「90分のゲーム」というとき、そこでは「エルグランデくらいの長さのゲーム」ということが暗示されています。そしてこのエルグランデ参照というのは中身の方にも及んでいて、エルグランデがSdJを取って以降、つまり1996-97シーズン以降ドイツゲームの終焉(2008年頃)まで、「ドイツ・ゲーマーズゲーム」は実質「エルグランデみたいなプレイ感を持つゲーム」を指すことになります。歴史的な意味でのエルグランデの重要性は、何よりもまずここにある、というのがわたくしの認識です。カタンによってファミリーストラテジーが定義されました。カタンは超ヒット作になりましたから、カタンによって産まれた「ボードゲーマー」というのも数多くいたことでしょう。そのようにして形成された土壌の上に、わずか8カ月後に産み落とされたエルグランデが、そのようなボードゲーマーの熱狂的な支持を受けたことは間違いありません(何せこの重たい内容でご家庭向けの賞であるSdJを獲っているのです。如何に当時のドイツ人が熱に浮かされていたことか)。エルグランデによってドイツ・ゲーマーズゲームの市場が整備され、ここに我々がいま知っているゲームシーンが完成します。

さて、「エルグランデみたいなゲーム!」という影響は、当然ながらゲームシステム面にもあったわけです。というより、「歴史的に見てエルグランデってどんなゲーム?」という話をすれば、どちらかというとシステム面のことが先に来るでしょう。つまり、ドイツ式=一着二着式の非戦型エリアマジョリティというジャンルを作ったゲーム、としての評価です。例によってエルグランデが本当の最初のゲームというわけではなく、例えばクニーツィアの「古代ローマの新しいゲーム(1994)」に収録されている「インペリウム」などはこのジャンルの先行作品と言えば言えるんですが、1996-97シーズン以降ひと山いくらって程に大量生産されたドイツ式エリアマジョリティが先行作例として「インペリウム」を参照していたはずはなく、みんなエルグランデみたいなゲームを作りたかったんです(もうちょっと意地の悪くない言い方のがよければ「エルグランデを超えるゲーム」ですかね)。何しろエルグランデは腹に重く来る面白いゲームですし。でもそれだけなら、あんだけ売れたカタンに嫡子が最後まで生まれ無かったのに、ということになってしまうのでして、要はエルグランデみたいなゲームって作りやすいんです特にカタンなんかと比べると断然。基本構造はチキンレースのジレンマの多面指しで、地形学的あるいはルール的な縛りによりリソース投入に「ここから入るならこのルート」という戦略的な選択肢を整えて、あとは妨害とかリソースの複雑化とか、何でもいいんで素敵なサムシングを独自要素として放り込めば一丁上がり(一応補足しておくと、そんな簡単には素敵なサムシングなんか作れません)。「エルグランデがドイツ・ゲーマーズゲームを作った」という言葉は、良くも悪くも「エルグランデがドイツ・ゲーマーズゲームをデザインするためのメソッドを作った」という裏を含んだものです。もっとも、そういうメソッドで生産された製品の横にエルグランデを並べてみると「いったいどうしたのだお前は」と言いたくなるほどキャラが違っていて、久しぶりに遊んでみても作りの自由さに改めてびっくりすることになるのですが。



フィレンツェの匠 | 2000

何でこのラインアップでフィレンツェの匠が混じってんの、というのは入れたわたくしでも思う所で、面白いことは間違いなく面白いゲームですが別に何かセンセーションを巻き起こしたりムーブメントを先導したりはしていないのであって、実際入れるか入れないかでかなり迷ったのですが。何で入れたのかといいますとですね、とある方との会話の中で確かにそうだなあと思ったことがあって、これ「リソース or 勝利点」の二択システムをメジャーに押し上げたゲームなんです。一応振り返っておきますと、このゲームでは名誉な何かをゲットする機会がプレイヤーにつきだいたい5〜8回くらい巡ってきまして、その都度もらった名誉をお金と勝利点に振り分けると。これは競りゲームなので当然ながらゲームの遂行にはお金が必要であり、そしてお金を獲得する手段は事実上これだけなので、名誉を勝利点に割り振るというのはゲームを畳みに入っているということになります。で、これ、どうということもないシステムに見えますし、いかにもドイツゲーム的な美意識を持ったシステムでもあり、さらに言えば現在では「ドミニオン(2008)」をはじめとして多くのゲームに普通に搭載されています。あとは別ジャンルですが、RPGでは経験点をスキルに割り振るみたいなのは(これがフィレンツェの二択システムとは似て非なるものだというのは後で触れますが)遙か昔から王道中の王道です。ですが実際に振り返ってみた時、このゲームより以前には、そういうシステムはほとんど見られないのです(例外についても後で触れます)。

うん、まあ、そうかもしれない(そうじゃないかもしれない)。でもだからなんなの、それがそんなに大事なことか? というのはごもっともなのですが、ここで触れておきたいのは、あのボードの外周にくっついている謎の目盛、つまり「勝利点トラック」という概念です。勝利点vsリソース二択システムは導入の効果がたいへん明確であり(完全な拡大再生産化を回避してゲームを収束させ、加えてその収束のさせかたもプレイヤー側に委ねることでジレンマの数をひとつ増やす)、導入の際の困難も全くなく、誰でも入れようと思えば簡単に入れられる扱いやすいシステムでありながら、ほとんど誰も入れようとはしなかった。なぜか。考えられるのは、それまでは「勝利点」という考え方がまだ完全には自明のものになっていなかった、という仮説です。名誉によって買えるものとして、お金と勝利点が同じ売場に同じ扱いで並んでいる。こういうやり方は、勝利点というものがお金やその他リソースと同じような、ボードゲームにおいて操作の対象となるひとつのブツである、という発想に立つ、そしてそのような発想が自然に受け入れられることで初めて可能なものです。今を生きる我々としてはつい「いや、勝利点ってそもそもそういうものでしょ?」となりがちですが、少なくともドイツのボードゲームにおいて、勝利点というのはかつてそれほど自明のものではありませんでした。いま我々は「お金(やその他のリソース)をたくさん手元に持ってきた人の勝ち」と「最初に勝利点を一定量稼いだ人の勝ち」と「ゲーム終了時に勝利点トラックで最も先に行っていた人の勝ち」とを別段区別して扱いませんが、これらは歴史的には全て別のものです。お金を稼いだ人の勝ち、リソースを集めた人の勝ち、というゴールには百年来の伝統がありますが、勝利点を一定以上、というゴールはこれに比べると数がだいぶ少なくなります(トイバー「バルバロッサ (1988)」「貴族の務め (1990)」など。おそらくこれはレースゲームから派生したシステムでしょう)。そしてもっと少ないのはゲーム終了時に勝利点トラックを最も先へ、というゴールで、例えば80年代のSdJを見てみると「ゲーム終了時に勝利点トラックを最も先に」を堂々と使っているのはどうやらクラマーくらい(「アンダーカバー (1984)」「フォルム・ロマヌム(1988)」)だということがわかります。おおクラマー。

先ほど保留にしていたRPGのスキル分配とこのシステムの先行作例についてここで触れましょう。RPGのスキル分配がこの文脈においては似て非なるものだということは、もうお分かりいただけるかと思います。RPGにおいてスキルというのはいずれにせよリソースですから、単にどれにしようかな、というだけの話であり、2択システムのメタ言及性(勝利点というメタ概念をエクスキューズなしで非メタなリソースと同じ高さに引きずり下ろしてしまう、ということ)とは関係ありません。そして例外的な先行作例についてですが、フリーゼの初期作品「贋金づくり (1994)」が挙げられます。ただ決定的に違うのは、フィレンツェにおいて勝利点トラックにあたるものが、贋金づくりでは「コイン」なんですね。手元にプラスチックのチップが受け渡されます。ゲーム的な効果自体は全く一緒であっても、フリーゼにおいては交換対象にテーマ的な意味とブツの触感をはっきり持たせることで糖衣を被せていた。2000年のクラマーには、そういう躊躇はありませんでした。盤上で堂々と勝利点をめぐる剥き出しのメタフィクションを展開しても普通に受け入れられる、ゲームシーンは既にそうなっていたのです。
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by Taiju_SAWADA | 2011-10-13 23:36 | 感想・紹介

重要タイトルで振り返る捏造ドイツボードゲーム20年史(part1)

「歴史的重要性の観点からわたくしが勝手に選ぶこの20年の代表的ボードゲーム(欧州系システム限定)。モダンアート・カタン・エルグランデ・フィレンツェの匠・プエルトリコ・キャメロットを覆う影・ケイラス・ドミニオン・七不思議。みんなもやってみよう。みんなって誰だ?」

ボードゲームの歴史、特に現代史を考えることは重要なことだと思うのですが、重要なことだとは思っていても知らないものは知らないし教科書もでていない。のでおしまい、というのは少々後ろ向きすぎるようにも思えるので、とりあえず現代史を捏造してみるところから始めましょう、というお話でございます。「みんなもやってみよう」というのは、みんなもここに挙げたゲームをやってみよう、という意味ではなく(いや基本的にここに挙げたゲームについては未プレイならぜひ遊んでみるといいとは思いますけども)、みんなも勝手に歴史的重要性の観点から代表的ボードゲームを挙げてマイ現代史を捏造してみよう、という意味であります。捏造の山から正史が立ち上がることもあるかもしんないというポジティブシンク。根拠無いけど。

なんで20年で欧州系限定かというと、その範囲を外れると捏造しようにもなんも知らないので書くことがない、というのが理由のほとんどです。残りの理由としては、たとえばこの20年で欧州系限定をはずしてしまうとどうしたってM:TGに触れざるを得なくなり、そうするとM:TGと並べて恥ずかしくない程度の影響力を持ったボードゲームってこの20年ではカタンだけなので、ちょっとやりたいことと違ってきちゃう、というのがあります。レンジが30年だとウォーハンマー、40年ならD&D、50年だとタクティクスみたいな初期のウォーゲーム、とかまあいろいろあるんでしょうけど、よく知らないのでとにかくこの20年、「欧州系」限定です。正確に言うと「欧州系以降」限定。つまりドミニオンは冷静に考えてみると欧州系と言えるための条件を殆ど満たしてないけど当然入れるからね、という宣言です。


モダン・アート | 1992

欧州ボードゲーム20年偽史をモダンアートから始めるというのは何かたいへん意義あることのような錯覚を覚えて書いてる方としてはちょっとした興奮があります。というのは、「欧州ボードゲーム20年史」というのはほぼ「ドイツ・ファミリーストラテジーの興隆と衰退、そしてその後の展開」に等しいわけで、その書き出しというのは何をもってドイツゲーム・ルネッサンスの始まりと定義するか、につながります。そこでたとえばカタンを出してくるという態度があり、あるいは20年縛りを無視してスコットランドヤードという手もある(というか、「スコットランドヤード(1983)」を始まりと定義するのであれば、お題のほうを「30年史」に変えるわけです)。その中でクニーツィア、それもモダンアート。含意はふたつあり、「ドイツゲーム・ルネッサンスの時代とはそのまま競りゲームのルネッサンスの時代と言い換えることが可能である」ということ、そして「ドイツ・ファミリーストラテジーの最も大きな主題は、クニツィア的なるもの、であった」ということです。

特に前者については、競りゲームの歴史ははっきりとモダンアート以前・モダンアート以降に分けることができます(もちろんクーハンデル(1985)みたいな例外はあるにせよ)。全てが競りだけで構成され、あらゆる行動が価格付けという言語によって構成されるゲームでありながら、しかしその言語によって行われることは必ずしも単なる価格付けだというわけではなく、むしろ本質的にはプライシングというよりも空気の形成に関するゲームである。クニーツィアはこのモダンアートにおいて、競りというシステムをミニマルに用いることで、競りというだけに留まらない複雑な味を持たせることに成功しました。これにより、九十年代のボードゲームにおいて競りは第一級のゲーム要素に格上げされ、クニツィアがリファレンス的なゲームを同時期にいっぱいつくったこともあり、やたら数多く出回るようになります(各作者の名誉のために、その多くが十分に遊べる水準を保っていた、ということは付け加えておくべきでしょう)。また、ここで提示されたミニマリズムも、その後のドイツゲームにとってひとつの規範をもたらしました。そしてこの「競りとミニマリズム」によって退潮したボードゲーム要素というのも確実にあり、それはたとえばダイスだったりイベントだったりするわけで(直接戦闘は八十年代の時点でドイツではマイナーになっていました)、そういう新たに追加された要素と退潮していった要素とが九十年代、つまりドイツ・ファミリーストラテジーの時代を形作ることになったのでした。

 そうすると今度は、この時代がどこで終わったのか、という話になり、これも当然いろいろキーイベントを挙げることができるのですけども(後述するいくつかのゲームの登場なんてのは分かりやすい例ですね)、今述べたような競り史観=クニツィア(レスク)史観を採用するのであれば、1999年のスティーブンソンズロケットか2003年(だっけ)のアメンラーというのが分かりやすい終わりの始まりと言えます。前者はクニツィアが初めて狙って作ったゲーマーズゲーム、後者はそれがDSPを獲得した、というイベントです。何なら2008年のケルトを、ドイツ・ファミリーストラテジーの時代への別れの挨拶、という扱いで見ることだって可能でしょう。ああいうミニマリズム的な45-60分クラスのゲームが大箱で並ぶようなことは本当に少なくなりました。

※追記:タージマハル(2000)というのもあるのですけど、あれはどっちかというとチグリス・ユーフラテス(1997)と同じ系統、つまり「できちゃった」ゲームなんじゃないかなーと。ポーカー狂いのクニーツィアがうっかり産み落とした危険なドイツ・ゲーマーズゲーム。



カタン | 1995

ドイツゲームの象徴をなにか1つ、という条件だったらふつうはこのゲームを挙げますわね。少なくとも商業的には、ドイツゲームの時代というのは完全にカタンの時代とイコールです。その後10年、ドイツゲームが生産される基盤そのものを作ったゲームですから、当然歴史的に見てこの20年で最も重要な作品でございます。

システム面から言えば、ファミリーストラテジーにおいて許される複雑さの上限を再定義した作品というのがまず第一に来るでしょう。カタンというのは玩具屋で平積にされて売りに出るメジャーな作品としてはかーなり複雑なルール構成のゲームで(いやヴェルニサージ(1993)十分複雑じゃね、とか言わんように。あれは五千部しか出てません)、これが大ヒットしたことで、ここまではやってOKとなった。もちろんこれはちょっとずれた認識で、ルールの複雑さとユーザが遊んだ事後の印象としての複雑さとゲームの難度はそれぞれ別のことである、というのが本当のところなのですが、ともあれルールの複雑さについてはここまでOKになりました。と。このゲーム自体は別にゲーマーズゲームじゃないんですが、システム面でも「ゲーマー」が産まれるきっかけになったゲームとは言えます。
なんか口調が煮え切らないんですけどこれは何故かというとですね、よく言われることだと思いますが、このゲームって各パーツを抽出してみると全然九十年代ドイツ風ファミリーストラテジーじゃないんですよね。まずルールが複雑なことが第一に挙げられますが、それよりも重要な点があって、それはドイツゲームの系譜のどこかに位置づけることがかなり難しいシステムだということです。カタンの先行作品として良く名前が出てくるゲームって"Borderlands (1982)"と"McMulti (1974)"だと思うのですが、どっちもアメリカのゲームなわけです。そして後に続くゲームはないと。んでこれは外側から見た言い方ですが、内側から同じ事を言うなら、何より全面的なダイスの採用と堂々たる特殊能力カードの運用。特殊能力カードはその後もなんとなく残っていくことになりますが、ダイスを好んで大箱に突っ込むデザイナーはたぶんトイバーが最後の一人で、トイバーが一線から引いたら本当にダイスはメインストリームから消えてしまいました。ドイツゲームが終わった現在になっておずおずとダイスの再定義が始まっていますけれども、第一級の要素として復帰するのは(あったとしても)だいぶ先のことでしょう。トイバーは当時の基準で考えるとダイス的な乱数を本当に愛した人で、ことあるごとにダイスやらルーレットやらを、結構アクロバティックな方法で取り込んでいます。90年代にダイスを用いるにはここまでやらんと駄目だったですか、ダイス末期ですしねえ、という印象もありますけど、ただたとえばこのカタンが代表例ですが、トリッキーかつ全体から浮かないような使い方でありながら、プリミティブなダイス勝負感覚、つまりあの「この目を出したんぞオラ」なオカルト、そういうものを大事に残しているんですね。最後の一人だけあってダイスを使うのが最も巧かった人だと思います。

そして、これは功罪半ばするところですが、交渉要素の大幅なカジュアル化、というのもこのゲームの残した大きな影響と言えるでしょう。モノポリー(1933)からディプロマシー(1959)を経て延々と続く交渉=鉄火場論。カタンはそういうのと関係のないところでプレイヤー間の交渉をメインストリームのユーザに提示し成功しました。そして鉄火場的な交渉ゲームはその後完全に立場を失いました(いや、これは割と恨みがましい嘘が混じってますけど)。この流れを決定的にしたのはローゼンベルクの衝撃的なデビュー作「ボーナンザ(1997)」で、この二作によってドイツにおける交渉とはそういうことです、というスタンダードが形作られました。前述のアメリカからカタンへという話と組み合わせると、カタンが行ったのはドイツゲームとしての要素を入れ込むというよりは、アメリカのゲームを象徴する生臭さをアメリカのゲームから取り除くことだった、というように言っても良いかもしれません(ただ、そう言ってしまうと後継者がKeyaertsということになってしまい、それはそれで違和感があるのですけども)。

※一応追記しておきますと、これはあくまでカタン単体の話であって、トイバーが常にソフィスティケイテッド・アメリカの人だと言いたいわけではありません。というより、「カタン」シリーズを除けば、トイバーはほぼ常に王道ドイツの人で、それも1997年版レーベンヘルツを除けば王道ドイツ・ファミリーストラテジーの人だと言えます(前述のとおりヴェルニサージはゲーマー寄りですが)。



...すぐ終わると思いきや意外にも全然先に進まないのでここで切ります。続きは近いうちに。


追記(10/12): あーキャメロット抜けてたー。というわけで足しました。決して個人的にはそこまで好きじゃなくて書くのめんどくさいからこっそり削ったわけではー。
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by Taiju_SAWADA | 2011-10-12 00:34 | 感想・紹介