もとより競技性を旨とするようなゲームの場合「3人以上」というのはほぼ色物の同義語であって、またそれとは全く無関係の事情により、これまでどちらかといえばマルチプレイヤーズゲームを基本としてきたドイツ系ゲームにおいても2人ゲームの勢力が徐々に増してきているわけですが、どうもこの2人ゲームというものが苦手なのです。ということで今回は「3人以上であること」について。言わずもがなな内容という気はしますが、その割にはあまり文章として明示されているところを見たことがないので。
「2人」と「3人以上」の違いはただ一点に集約されます。「3人以上」においてはゲームの内部に非ゼロサム構造が内包されるのに対して、「2人」においてはそうではない、ということです。無論、ここでは(前に書いたような)ゲームが全体として非ゼロサム構造を持っているようなケースは想定していません。ゲームが全体としてゼロサムであるような(ごく普通の)ゲームを前提として、その中で非ゼロサム的なシチュエーションが発生しうるか否か、という話です。 これは書いてみて早くも後悔しはじめているほど当たり前の話でして、つまり3人以上のゲームにおいて、一人のプレイヤーの競争相手は全体としては残りの全プレイヤーになるわけですが、ゲーム中のある一時点において一人のプレイヤーが当面の相手をするのは必ずしも残りの全プレイヤーではない。「とりあえず相手をしないといけないプレイヤー」と「今の時点では関係ない(関係ないことはないにしても、とくに干渉してくることはない)プレイヤー」に他者を分けることができる、というところが重要なのです。 二人ゲームにおいて、あるプレイヤーが得をするということは、他のプレイヤーが損をする、ということです。 x + y = 0 のゼロサムなんですから当然ですね。 x が増えれば y は減ります。この関係は、三人ゲーム(あるいは四人以上のゲーム)には適用されません。 x + y + z = 0 のゼロサムにおいて、 x が増加すると y は増加するか? z は増加するか? なんとも言えません。はっきりいえることは (y + z) が減少することだけです。ここで、たとえば x のプレイヤーが今当面相手にできるのが y のプレイヤーだけだったとすると、この x と y の関係は、当然のように非ゼロサムであるということになります。 このような「非ゼロサムの内包」によってはじめて可能になるゲーム要素の代表的なものは、勿論「交渉」でしょう。2人とも幸せになれる可能性がないかぎり、交渉はそもそも発生しません。しかしここでは、「交渉」よりもむしろ「利他行為」を(あるいは利他行為をベースとした交渉、といってもいいかもしれませんが)取り上げたいと思います。 利他行為というのはまあ言葉の通り、誰か他のプレイヤーを利する行為のことを(ここでは)言っていて、もうすこしきちんと書くと、たとえばさっきの「x, y, z の三人ゲームにおける、 x, yの部分ゲーム」において、 x, y のどちらにも利益にならず、したがって z の利益になるような x または y の行為」みたいなことを想定しています。この利他行為はわりと嫌われがちな行為で、また嫌われる尤もな理由もあり、冒頭で挙げた3人以上のゲームが色物扱いされる(自分がベストを尽くしても、何の関係もないところが理由で負けちゃったりするわけですから)直接の原因でもあるわけですが、しかし利他行為の存在は、ゲームにいかにもマルチプレイヤーズゲーム的な緊張感をもたらします。つまり、利他行為が存在するがために、他プレイヤーに対して「信憑性の無い脅し」をかけることが可能になるのです。 信憑性の無い脅し、というのはたぶんゲーム理論の用語だったと思いますが、たとえば、自分と相手がいたとして、「あなたが私にとって不利益な行動を取るのであれば、私は『自分の利益を度外視して』あなたに復讐しますよ」という脅しをかけることです。信憑性のない脅し、というくらいですから当然この脅しに信憑性はない(どうせ「自分の利益の度外視」なんかしないだろう、というわけで)のですが、実際に相手プレイヤーの価値観に対して100%の確信が与えられるわけでもない状況においてこの脅しを無視することは難しく、故にこの脅しにどう対処するのか、というところが(ある種の)マルチプレイヤーズゲームにおいては非常に重要な問題となります。 また、相手が脅しに屈しなかった場合にどう対処すべきか、という問題も浮上します。実際に自分の利益を度外視するか否か。当面の損と、自分の価値観を相手に悟らせない・あるいは疑わせることの損得(脅しはかけやすくなりますが、まともな交渉は難しくなるというデメリットもあるので「得」ではなく「損得」になります)のどちらを選ぶべきか。これらの問題は、単純なその場で見えている損得の問題ではなく、損得に霧がかかっていること、そしてもっと根本的なこととして、個人の価値観に霧がかかっていること(あるいは個人の価値観が玩具にされていること)によって発生する問題であり、これらの問いには正解がありません。「正解っぽい解」すら無いかも知れない。 個人的に2人ゲームよりも3人ゲームに魅力を感じている理由は、この「正解がないこと」に尽きます。控えめな言い方であれば「正解が見えないこと」、強い言い方であれば「正解とか言う詰らない概念を玩具にしてしまえること」となりますが、いずれにしてもこの魅力は、マルチプレイヤーズゲームの堂々たる主役である「交渉」そのものよりも、継子扱いされがちな「利他行為」によるところが大きいのではないかと思います。
by Taiju_SAWADA
| 2004-11-28 16:48
| うわごと
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